ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

京都 白樺コミュの高瀬照美さん逝去

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
白樺のテミさんが昨日逝去しました。
死因など詳細は分からないので取り急ぎご報告。
ごく簡素な葬送になるようです。
出棺は明日10月4日(日)午後4時に東山ブライトホールから。

コメント(6)

1枚目の写真は白樺45周年の時に使った昔の写真。少女時代のテミさんは、ママゴト遊びをするにしても何をするにしても仕切り屋だったと聞いた。
ほかの2枚は1994年の真如堂の境内での花見。安保闘争の時期に京大総長だった奥田東さんが毎回お決まりの歌を披露した。泰さんの死後は桜の木に結わい付けた遺影を囲んで酒盛りをした。
テミさんと村ちゃんのツーショット。泰さんは「村公」と呼んで可愛がったと聞いている。
ついさっきNHKの日曜美術館で丸木スマの絵を観ました。原爆の図で知られる丸木位理の母親。73歳で絵を描き始めたという。
竹本信弘さんから自身が執筆製本した豆本と丸木スマの絵葉書が白樺に定期的に送られてきた時期がありました。
絵葉書は泰さんよりよっぽどテミさんが喜んでいました。丸木スマと高瀬照美の絵は理論を学んだ経験がない人の独自の模索がベースにあるという意味で似ているところがあるように思います。

画像はぎりぎりの生存をかけて光愛病院で闘病している泰さんに毎日届けた手料理に添えたテミさんの絵。1979年9月20日の泰司日記より。
「夜食がなくなると、さみしくなるだろうな。今たべたいものは肉。でもここに居る人たちはみんなタフだ。その日その日を、ここを住まいとしてやっている。

いつの頃からのことだろう。ぼくにも、この1年間は空白というか、記憶が断片的にしかない。
てみこはずいぶん心配しながら、見守っていたんだろう。
てみこだけじゃなく周囲のみんなも。
難破寸前だったわけだ。」
高瀬照美さんは10月4日午後、五条通の東山ブライトホールに集まった30名ほどの人たちが添えた花とともに送り出されたそうです。

10月1日(木)は元気でいたけれど、翌日訪ねた時には亡くなっていたと娘の望さんから参列のみんなに報告があったと聞きました。死因は老衰。享年82歳。

造血能力の低下という原因不明の症状で定期的に輸血をしなければならない状態が続いていたようで、日常生活もしんどかったと思いますが、楽天的に振舞う姿勢は高瀬泰司さんも母親の鈴木みどりさんも同じですね。
破天荒な人生を突っ走った高瀬泰司さんを支え続けたテミさんの馬力も一つの才能かもしれません。

みどりさんが脱子宮で摘出手術をした事後療養中、みどりさんをクリニックに連れて行ってくれという電話がテミさんからありました。
「食べ物がのどを通らへんねん。病院で診てもらうからおばあちゃんを頼むわ。」
診察の結果は食道がんで、手術の成功率は50%ということでした。幸い転移もなく手術は成功しましたが、ぎりぎりまで頑張ってしまうのがテミさんでした。

ガンの手術の日、白樺の若手常連が5~6人ほど京大病院に集まってベッドを囲みました。
雑談の合間にみどりさんの子宮摘出手術の時のことを話しました。この日は白樺を休むことができず、11時までお店をやるからかわりに手術に付き添ってほしいといわれていたのです。
手術が終わって戻ってきたみどりさんが麻酔で眠っている間に見た夢を勘違いして「えらいもんどすなぁ、手術室で映画を観せてくれはった。」と言いました。
この話にテミさんが「へえ、私もそうするわ。」と言った時に浮かんだ真顔の表情が内心の不安をうかがわせました。
数人のスタッフに付き添われて手術室に向かう後姿はどうにでもしてくれと開き直っているようにも見えました。
死に向かうテミさんもやはりこんな風に全部を受け入れる心持ちだっただろうか。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

京都 白樺 更新情報

京都 白樺のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング