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シャボン玉ホリデーコミュの訃報=谷啓さん逝く…

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谷啓さん死去=2010年9月10日、
私邸の階段から転落し、頭などを強打した為に
杏林大学医学部付属病院に搬送されたが、
9月11日午前5時頃に逝去。78歳没。

残念!

「バーボン・ストリート・ブルース」
谷啓とザ・スーパーマーケット


「New York New York〜Duke Ellington Medley」
今夜は最高より


「クレージーキャッツ30周年」
ハナ肇とクレージーキャッツ with タモリ


合掌!

谷 啓(たに けい)
1932年2月22日〜2010年9月11日)
日本の俳優、コメディアン、トロンボーン奏者。
本名=渡部泰雄(わたべ やすお)

東京府荏原郡調布町(現・東京都大田区田園調布)生まれ。
渡辺プロダクション所属。
中央大学経済学部中退、中央大学学員会三鷹支部会員。
写真家の吉田ルイ子はいとこにあたる。

日新製鋼につとめていた父の転勤により、生後すぐ広島に転居。
5歳までに東京に戻り、小学校から横浜へ移り六浦尋常小学校へ通う。
子供の頃は、幻覚や幻聴の症状があり、夜に月が二つ見えたり、
天井が膨らんで落ちてくるように見えたり、
夜中に「ゴムまりを突く音」や「泥棒の足音」が聞こえたりした。
非常な恥ずかしがりやながらサービス精神のある子供で、
「お手伝いさんを驚かそう」と、硬くなった犬のフンを
かじったことがある。また、小学生時代は、級友の前で
落語を演じていた。
中学入試に失敗したため、国民学校高等科に1年通う。
この不合格の際も、「落ち込んでいることがばれないよう」、
口笛をふきながら上機嫌で帰ってきたという。
その後、軍需工場で働く。
1945年4月に旧制逗子開成中学校に進学。
入学式の時のブラスバンドの演奏でトロンボーンに出会い、
一目惚れして、当時の音楽部(現:吹奏楽部)に入部。
しかし、トロンボーンという名前を知らず、
また、あの楽器はなんというのかとも聞けず、担当楽器を
決める際に適当にチューバを希望し担当した。8月に敗戦を迎えると、
進駐軍がジャズを持ち込み、それを聞いて「こんなに楽しい音楽が
あったのか」と夢中になる。また、大量に上映された
アメリカ産のコメディ映画にも夢中になる。
逗子開成高校時代から、キャバレーでバンドマンのアルバイトを
していた。関東学院大学経済学部に進むが、高校時代の音楽仲間を
追って中央大学経済学部に転学。音楽研究会に所属し、
バンドを組んでキャバレーや米軍向けに演奏していた。
一方、喜劇俳優にもなりたくて、劇団民藝や
俳優座を訪ねたが相手にされなかった。
在学中に、米軍相手のコミカルな演奏が原信夫に注目され、
シャープス&フラッツに参加。本格的な演奏のほかに、
トロンボーンのスライドを足で動かして吹くなどのコミカルな
演奏も行う。「スイングジャーナル」誌上でトロンボーン奏者として
上位にランキングされるようになる。
芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイを
日本語風にしたもの。名乗り始めた当初は、
「ダニー・ケイを敬う」という意味で「谷敬」だったが、
ファンから「谷敬という字はいけません。なぜかというと、
谷底でいつも敬っているんじゃ、ずっと底にいることになるから」
という指摘を受け、「谷をひらく」という意味の「谷啓」と改名した。
ただし、髪型や芸風は、「アボット・コステロ」のルウ・コステロに
似せている。「クレージーキャッツ」の他のメンバーはみな、
ミュージシャン志望で役者になろうとは全然思っていなかったが、
ただ一人、谷だけがコメディアン志望でもあった。
1953年、フランキー堺から「スパイク・ジョーンズのような音楽を
やろう」と誘われ、谷もスパイク・ジョーンズの大ファンだったため、
フランキー堺とシティ・スリッカーズに参加し、音楽ギャグを盛んに
やる。だが、フランキーが日活に引き抜かれ、フランキー不在の
シティ・スリッカーズは「普通のジャズバンド」になってしまう。
そのため、同じバンドの植木等の紹介で、ハナ肇に会い、
ハナのバンド「キューバン・キャッツ」に1956年2月に移籍。
のちにバンド名はクレージーキャッツと変わる。ジャズ喫茶に出演し、
多彩なギャグで人気を博す。
1959年の「おとなの漫画」以降、コメディアンとして多くの
TVバラエティ番組に出演。「ガチョン」(当時は伸ばさなかった)
「びろーん」「アンタ誰?」「ムヒョーッ」といった各種のギャグで
不動の人気を獲得した。「谷だァ!」というギャグも
一時期使っていたが、これは当時の流行語にもなった
青島幸男の「青島だァ!」に対抗する形で発せられたもの。
青島の葬儀・告別式では弔辞を担当し、
「『谷だァ!』…(『青島だァ!』が)返ってきませんね…寂しいです」
と呼びかけた。
俳優としてもテレビドラマや映画に多数出演している。
1975年には、かねてからの夢だった本格的ミュージカル、
森繁久弥主演の『屋根の上のバイオリン弾き』に出演、
肉屋のラザール役を演じ、4年間の間、出演した。
演出家の福田陽一郎の「好みの役者」で、
福田が演出する舞台に多数出演している。
1975年ごろから、自身のバンド「谷啓とザ・スーパーマーケット」を
結成し、現在も活動中(結成時には、キーボード担当として、
若き日の近田春夫も参加していた)。
またハナ肇が晩年に結成したバンド
「ハナ肇&オーバー・ザ・レインボー」にも参加。
(ドラム:ハナ肇、トロンボーン:谷、ピアノ:宮川泰、
トランペット:中川善弘、ベース:江藤勲、
テナーサックス:稲垣次郎)ハナが亡くなる直前まで活動していた。
ここ数年はバラエティ番組への出演がめっきりと減ったが、
90年代後半にはスーツにサングラス姿で、『笑う犬の冒険』の
オープニングMCを勤めた。
2005年には、資生堂のUnoのCMに登場し、
往年のギャグ「ガチョーン」を披露をした。

コメント(6)

せめて病気だったらまだあきらめもつくのに…
ショックです。

死因が松尾和子さんと同じですね、、、。

合掌。
Alohaisaiさん
よ〜く、お調べになりましたねえ・・・
ガチョ〜ンだと思ってましたが、ガチョンだったんですねえ・・・
アンタ誰? タニだ〜、アオシマだ〜、
ご冥福をお祈りいたします。
クレージーのメンバーも犬塚弘さん桜井センリさんの二人だけになっちゃいましたねぇ…

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