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城下町コミュの角館

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 横手盆地最北部に当たる出羽国角館(カクノダテ)は南流する檜木内(ヒノキナイ)川と南西流する玉川に挟まれた台地上に位置し、川が合流する角に館が築かれたのが地名の由来だと言われる。
 室町時代には北浦郡の門屋城を本拠とする戸沢氏の支配下に入り、その重臣の角館氏が標高166mの山上に小松山城を築いたとされる。
 応永31(1424)年、角館能登守が上浦郡の小野寺氏と通じて謀叛を起こしたため、戸沢家盛がこれを討ち、居城を門屋城から小松山城に移転、角館城と改名した。城の北麓に城下町も形成される事となった。
 その後、戸沢氏は北浦郡内の国人領主の仙北前田氏・本堂氏・楢岡氏を傘下に組み込んで力を付け、「鬼九郎」の異名で呼ばれた猛将戸沢盛安は、天正年間(1573〜92)に最上義光(ヨシアキ)と連携してさらに支配領域を拡大、大曲地方にまで勢力を及ぼした。
 天正18(1590)年、盛安は小田原に参陣して豊臣秀吉から44000石の所領を安堵されたが、その直後に小田原において陣没してしまった。その後は弟の光盛が継いだが、朝鮮出兵の途上、名護屋で客死、盛安の子政盛が家を継いだ。
 慶長7(1602)年、関ヶ原の合戦で西軍方と見做された佐竹義宣が常陸国水戸から久保田(秋田)205800石に転封されて来ると、角館もその所領とされ、戸沢政盛は常陸国松岡40000石に移封された。
 義宣は蘆名義広に16000石を与えて角館城主とした。義広は義宣の実弟で幼少時に陸奥国会津地方を治める名門大名蘆名盛隆の婿養子となって第20代当主となったものの伊達政宗に敗れて常陸に逃れ、秀吉から江戸崎45000石を与えられていた人物である。
 義広は藩内領主の扱いであったため、元和元(1615)年の一国一城令で角館城は廃城とされ、城跡の古城山中腹に館を構えて領内の統治を行なう事となった。しかし義広夫人(蘆名盛隆の娘)が館内で妖怪を見たため、元和6(1620)年、古城山の南麓に館を移し、新たに町割を起こして城下を北麓から南麓に移転させた。これが今日の角館城下町の始まりである。道路の幅員を広げるとともに見通しを避ける工夫をこらし、下水も整備された。防火対策としては、南北に細長い町を東西に貫く形で中央に土塁を築いた「火除け地」を造成、その北側を武士の居住区である内町、南側を町人の居住地である外町とした。
 角館に随従した蘆名家家臣には、稲葉家・河原田家・岩橋家・青柳家などがあり、総勢は200名程度だったと言われ、格式の高い家ほど山麓の領主館に近い所に屋敷を構えた。
 なお、佐竹氏直臣の今宮家等の武士が外町東南の田町に別途武家屋敷エリアを設けて居住しており、彼等は蘆名家への監視役的存在だったと推定される。
 承応2(1653)年、義広の孫の第3代当主千鶴丸(3歳)が父祖の菩提寺である天寧寺の縁側から転落して沓脱石で頭部を強打する事故で死亡した事により蘆名氏は断絶し、明暦2(1656)年に佐竹氏の分家である佐竹北家の佐竹義隣(ヨシチカ)が角館3600石の領主となった。河原田家・青柳家等蘆名家旧臣の一部は角館に留まって義隣に仕える事となった。
 義隣は公家の権大納言高倉永慶の子であったため、京を懐かしんで小倉山・加茂川等の地名を命名、角館が東北の小京都と呼ばれる契機を作った。また、寛文4(1664)年、京の右大臣三条西実条(サンジョウニシサネエダ)の孫娘が2代目義明の正室になった際、姫の母は姫が寂しくないようにと嫁入り道具とともに京都の枝垂桜の苗木3本を持たせた。この桜は、家臣の屋敷などにも植えて増やされ、現在は天然記念物に指定されて角館名物になっている。
 佐竹北家家臣の小田野直武(1750〜80)は平賀源内から洋画を学び、秋田蘭画と呼ばれる一派を形成し、佐竹北家第6代当主佐竹義躬(ヨシミ)や秋田藩主佐竹義敦も直武の弟子となって蘭画を描いた。
 また、天明年間(1781〜89)に佐竹北家家臣の藤村彦六が山桜の皮を利用した樺細工を創始、以後角館の武士達の間で手遊(スサ)びとして広まる事となった。
 戊辰戦争では秋田藩は新政府側に立った事から、奥羽越列藩同盟諸藩の侵攻を受ける事となり、明治元(1868)年8月28日には列藩同盟側が角館の目前まで迫った。角館佐竹北家第11代当主の佐竹義尚は新政府軍の応援を得て町の南を流れる玉川を盾に防戦、秋田藩側拠点が次々に陥落して孤立無縁となる中、列藩同盟が瓦解する9月18日に至るまで徹底抗戦を貫き、角館を死守した。義尚はその功績で後に男爵に叙されている。
 廃藩置県後は秋田県仙北郡角館町となるが、郡役所が大曲に置かれたため、郡の中心地としての地位を喪失した。
 また旧士族達の間で樺細工で生計を立てる者が増加し、大正時代には全国に販路を持つ角館の特産品となった。
 明治から昭和初期には平福穂庵(スイアン;1844〜90)・百穂(ヒャクスイ;1877〜1933)父子が秋田蘭画の影響を受けて近代日本画の巨匠と言われる地位を築いた。
 明治33(1900)年の大火災で、田町・外町から内町南部が炎上したが、内町北部の上級武家屋敷は類焼を免れた。 
 昭和8(1933)年から翌年にかけて檜木内川の左岸堤防1980mに408本の染井吉野が植樹され、後に国の名勝に指定されている。
 昭和51(1976)年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された事が契機となって、江戸時代の街並みを残す小京都の城下町として注目を集めるようになり、「隠し剣鬼の爪」や「たそがれ清兵衛」等の映画のロケ地ともなった。
 平成17(2005)年、田沢湖町・西木村と合併して仙北市となった。
 現秋田県知事の佐竹敬久は佐竹北家の子孫である。

*角館のシダレザクラ
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=12867598&comm_id=320240
*檜木内川堤(サクラ)
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=12867700&comm_id=360748
+青柳家
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55354368&comm_id=398257
+岩橋家
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55358677&comm_id=398257
・石黒家
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55352624&comm_id=398257
・河原田家
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55359001&comm_id=398257
・小田野家
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55359358&comm_id=398257
・蘆名家墓地
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55360345&comm_id=398257
・戊辰戦争戦没者墓地
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55366744&comm_id=398257
・姥桜
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55368095&comm_id=320240
・姥杉
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55368750&comm_id=320240

コメント(26)

東日本の城下町を取り上げて下さりありがとうございます。

角館は3度行きました。何度訪れても飽きない,見事な街並みですよね。
多くの武家屋敷が現存し,これだけ観光地として栄えてるってのが本当に驚きです。

現在、角館に宿泊中です。帰宅したら写真をアップします。
当地は昨日は凄まじい豪雨だったそうで、秋田新幹線もストップしていましたが、今日は小雨程度で済んで助かりました。
樺細工の工芸品は買われましたか?

角館って,殿様(大名家)がいたわけじゃないのに,あれだけツアー客を集めるってのがスゴいですよね。
ニャジ様
 土産は「かりんとう」を買っただけで、樺細工の工芸品は買いませんでした。この種のものをプレゼントして喜ぶ人物が身近にいないので…。www
 角館は厳密には城下町じゃないのに城下町として売り出したのが正解でしたね。「小京都」のキャッチフレーズも首都圏に人に受けがいいようですし。
 そして、東京から新幹線で乗り換え無しで行け、日帰りすら可能な点も大きいでしょうね。JR東日本も盛んに宣伝工作を行なったみたいですね。
 しかし、何よりもあの武家屋敷の風情は他所では味わえないものだという事が首都圏の人々を惹き付けるんでしょう。
 ちなみに、大阪では角館の名を知る人は稀です。 
私は同じ東北の武家屋敷街、「金ヶ崎」と「登米」も好きです。
角館のように観光客がおらず、いまだに子孫の方がそこに住んでいることに惹かれます。
金ヶ崎や登米にも行ってみたいものです。
遅くなりましたが7月31日土曜日に訪れた時の写真をアップします。

角館城登山口です。意味不明のマスコットがいました。
熊も出るようです。www
角館城跡です。本丸跡はかなり広い平地になっています。
南曲輪からは角館市街を一望に出来ます。
角館城本丸跡に聳える姥杉〔仙北市指定天然記念物〕です。
同じく、角館城本丸跡に聳える姥桜〔仙北市指定天然記念物〕です。
左;角館城跡(古城山)
中;檜木内川 前日の豪雨で増水していました。この日は小雨でした。
右;檜木内川堤(サクラ)〔名勝〕
左;復元小野崎家住宅(角館公民館・武道館)
中;仙北市立角館町平福記念美術館
右;武家屋敷の茶屋 稲庭ざるうどん 800円
 青柳家〔秋田県指定史跡〕です。秋田蘭画の創始者小田野直武(1750〜80)の胸像もあります。 
左;仙北市立角館樺細工伝承館
中;角館のシダレザクラ〔天然記念物〕
右;松本家〔秋田県指定文化財〕
岩橋家〔秋田県指定史跡〕です。映画『たそがれ清兵衛』の撮影地です。
左;小田野家〔仙北市指定史跡〕
中;角館武家屋敷資料館
右;坂本家
曹洞宗萬松山天寧寺 角館領主蘆名家菩提寺

左;山門〔仙北市指定文化財〕旧角館城城門を移築したとの口承あり
中;青銅製阿弥陀如来坐像〔仙北市指定文化財〕台座は沓脱石
右;本堂
天寧寺の蘆名家墓地〔仙北市指定史跡〕です。

左;初代領主蘆名義広(1575〜1631)墓
右;第3代領主蘆名千鶴丸(1650〜53)墓
 角館領主佐竹北家菩提寺の曹洞宗久米山常光院にある戊辰戦争戦没者墓地〔仙北市指定史跡〕です。東北で唯一新政府側に立った秋田(久保田)藩に来援して戦死した新政府軍将兵の墓です。薩摩藩士1・長州藩士1・肥前平戸藩士7の計9名が眠っています。
 佐竹北家墓地〔仙北市指定史跡〕は非公開です。
左;たてつ家(外町資料館)
中;安藤家煉瓦造蔵座敷〔仙北市指定文化財〕
右;新潮社記念文学館 新潮社の創設者佐藤義亮(ギリョウ;1878〜1951)は角館出身です。
 日帰り温泉施設「かくのだて温泉」です。泉温51.3℃のカルシウム・ナトリウム−塩化物・硫酸塩泉です。かなり熱めのお湯です。
左;食事処の藤八堂 あきたこまちラガー 780円
中;藤八堂 若鮎ご膳 1630円
右;宿泊した角館プラザホテル シングル4500円程度と格安でした。
秋田内陸縦貫鉄道角館駅にて 鷹巣行き急行〔もりよし2号〕AN8900形

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