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こちらミクシィ探偵事務所コミュの2/14 山下清(画家)のモノマネ

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山下清はサヴァン症候群のためにろれつが回らなくて会話がスムースではありませんでした。

サヴァン症候群とは一種の障がいです。


身体的障がい、知的障がいを笑ったり、ましてや真似をすることはたとえ故人の真似でも許されることではありませんよね。


それなのに、山下清のモノマネと言えばろれつの回らない言葉で(ここでは敢えて書きますが)

「ぼ、ぼくは お、おにぎりがたっ食べたいんだなぁ」


です。なぜそれで人を笑わせたりそもそもモノマネをしたりするのでしょうか。障がいをネタにすることが許されることなんですか?

コメント(14)

障害を笑モノにするコトは許されないコトだと思います。

しかし、その状況で、笑いが何に向けられているのかを理解するのも重要だと思います。


私にはその状況はわかりませんが、おそらくその「笑い」は、

・山下画伯の愛すべきキャラクターに対して。
・特徴をつかんでいるコトに対して。
・その会話の流れから山下画伯のモノマネを持ってきたコトがうまかったコトに対して。

のどれかのような気がします。

汗かきの人のマネをするときは、汗を拭くマネをするかもしれないし、それを言い出したらモノマネ芸の大半は「失礼」に分類されてしまうかもしれません。


他にも笑いが起きる理由というのはたくさんありますが、その半分以上は「好意的な理由」であり、笑うというコトは悪意の笑いばかりではないと頭に置いておくコトはとても大切なコトだと、私は考えます。


それと、その状況で「障害を笑うとは何事だ!」と思ってしまうコトこそが、障害者に失礼な場合もあるコトも、分かっていただきたい。
山下清の物まねというよりは、芦屋雁之介や塚地のマネをしてるのを皆が笑ってるんじゃないの?


だって、リアルで山下清を知ってる人がどのくらいいるか…って話だし。実際にそういう話し方してるかどうかも知らない訳で。
私の意見を書きます。

山下清が障害者であったことを知っている人はさほど多くないと思います。
また、それを知った上でモノマネをする人や、それを見て笑う人は山下清が障害者であるために馬鹿にして笑っているわけでもないとも思います。

マネされている他の方々と同じように、親しみやすく愛されているキャラクターだからこそモノマネされているんではないでしょうか。

これを言うと少し語弊があるかもしれませんが、笑う方も、笑わせる方も、深くは考えてないと思います。


以上です。稚拙な文章ですいませんあせあせ(飛び散る汗)
笑うという行為、可笑しいと思う感情は、馬鹿にする時だけに起こるものでしょうか?

物真似芸は、演出やタイミングが良くて、面白いから笑うのではないかと、私は思います。

物真似芸というのは、多かれ少なかれ他人の特徴(身体的だったり、動きや声だったりしますが)を真似て成立しています。

その中には、ハゲ、出っ歯、しゃがれ声など一般的に欠点と思われるようなことも多々あります。

障害者の方の中には、障害をひとつの個性と考えて欲しいと言っている方もいます。

ならば、ハゲという個性は真似して良くても、障害は真似してはいけないというのは、逆差別だとも言えます。

トピ主さんだって、田村正和さん演じる古畑任三郎の真似を見て、その芸が面白いかどうかは別にして、そのこと自体、変だとは思わないですよね。

ならば、塚地無我さんや芦屋雁之助さん演じる山下清の真似をしても、なんら問題はないはずです。

ドラマに限って言えば、実在人物の場合、その方に近づこうとするのは、当たり前だし、ドラマの演出上、障害者を馬鹿にする人を出したりする必要はあります。
加えて、塚地さんが芸人であることと、芦屋さんとあえて違いを付ける為、ドラマ全体がコメディタッチになっています。
だから、ストーリー自体が笑いやすいものになっていますね。


ただ、現実にはトピ主さんの言うとおり馬鹿にして笑っている人がいないとは限りません。
実際、知り合いや通りすがりの人間を障害に限らず、馬鹿にしている人だっているでしょう。

でも、それは個人の資質であって、物真似芸人はそういう笑いを意図してはいないと思います。
笑う(可笑しみ)と言う物は、結局広義な意味で「人の不幸が可笑しい」と言う事なのだと思います。
もちろん、トピ主さんの言われるような顕著な例もあれば、たとえば「イケメンのズボンのチャックが開いていて可笑しい」「彼女に振られそうになってドギマギしている」とかまで幅広い物なのだと思います。
つまり「通常ではありえない」「常識的ではない」事に人間って可笑しみを感じるのだと思うのです。
ところが、人の不幸って受け取り様によって様々ですから、「ハゲ」を可笑しいと思う人がいればそうも思わない人もいる。イロモネア観ててもランダムに選ばれた観客で必ず笑わない人が居ますよね。
逆に当事者として「ハゲ」を深刻に悩む人もいれば、全く気にしない人もいる。

人の価値観はそれぞれなのは皆さんお判りだと思うのですが、例えば「人の不幸は差別的だからネタにして笑わないでください」と定義してしまった場合、我々は何について笑えばよいのでしょうか?ある意味において大変興味があります。。。
他の方がどのように見ているのかは分かりませんが、私個人はそもそも山下清さんが障害者だということをこのトピックを読むまで知りませんでした。
あの物まねを見ている人は「『障害者』を『笑っている』」のではなく、「『朴とつな人柄』を『ほほえましく思っている』」のだと思ってました。
「はだかの大将」が障害のあったであろう山下清さんをバカにする為に作ったドラマではないことは明白であります。
山下清さんのほがらかな人柄が後世まで伝わり、ドラマになったのです。
障害者であるとか、ないとか、それは関係ありません。
むしろ、
「山下清さんはサヴァン症候群という障害者だったんだよ」
と言える人の方の神経を疑います。
知的障害だの身体的障害なんて病名は、学者が人の個性を勝手に分析してつけた下らない名称にすぎません。
障害があろうがなかろうが、人々から愛される人は愛されるし、愛されない人は愛されないのです。

「障害者だから」と枠の中にくくり、差別をしているのはむしろトピ主であるということを理解して下さい。

○トピ主へおすすめする図書
アルジャーノンに花束を
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4152033932/mixi02-22/
別に深いわけは無い。
まずドラマや映画等はノンフィクションと同じでは面白くない。
だから、フィクションで描くと話題にあがっているあの口調を脚色している。
また、あの口調は吃音症であってサヴァン症候群のものとは別物です。

日本人は、実直で勤勉で…
こんな風に各界では吹聴されているけど、TVの世界も含めてアメリカの模写ばかり。
そのアメリカの基本的な演出や脚色手法に日本人の笑いを鑑みてプラスすればそうなっただけでその他は深く考えていないし、ましてや製作側が自分が題材の立場じゃないからね。
いわゆる他人事だから自分達の心が傷つくわけでないからじゃないのかな。

また、裸の大将は、ここに列記されている2人の記憶が新しいだけで、その昔は小林桂樹さんが主役を演じていて、今でもプレイバック場面として取り上げられている彼の口調も全く変わりのないものです。
トピ主さんは、きっと福祉問題に関心が高い人なのでしょう。
“障害”を“障がい”(障碍の表記が本来とか、推奨している人も大勢いますね)
そして、ドラマのことではなく、バラエティーでの物真似に対する発言なのでしょう。


ただ、007さんのいうように、必ずしも他人の不幸を笑っている訳ではないと思います。


ジョイマンの「ぺ・ヨンジュン、ペルー人」を笑う人は、ペ・ヨンジュンさんやペルー人を不幸だと思っている訳でなく、取り合わせの妙や表現の仕方(動きや言い方の演出)を笑っているんだと思いますし、

古畑任三郎の物真似ではないと笑っている人は、古畑や田村正和さんが不幸だと思っている訳でなく、誇張の仕方やタイミングの良さなどで、笑いを取っているんだと思います。

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