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写真家 【小池 清通】コミュのエッセイ 「潜在域での自覚というもの 」

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 環境問題が、社会問題として深刻化している。一方、利益至上主義の大国は、古代から受け継いできた先祖からの生活様式を守ろうとする国や種族たちも巻き込むようにして行進をしているように思える。営利目当ての本質や、その土地の気候、文化や歴史を無視した一方的な善意の押し売りもその一つであり、侵略行為の収拾がつかなくなっている某国の政治にもみることもできる。株式市場の動きや原油価格が人間社会の基準であるかのように経済を揺さぶり、金利調整や債権管理で調整をし、他国への侵略行為で国民の目をそらす政治がまかり通る時代の中で、確かな動きをもって我々を育んでいる環境システムが変化を強いられている。

 自然を超えようとしている技術による驕りが人間の過去から現在、そして未来に向かいつつある流れの中で精神的に存在するが、アメリカ中西部から中部の膨大な地域に農耕用の土壌を与えてきてきた主要河川であるマイティー(万能の)ミシシッピーと呼ばれるミシシッピー川の話をしてみたい。この大河もほかと同様に枯れたり腐ったりした有機物を上流から流し、下流に向かって川の幅を広げながら支流からの水量が集まり増えるに従って多くの豊かな土壌を流し運び蓄積し続けてきた。何度となく洪水を起こし、その通り道に恵みの土壌を貯めてきた。人間はその恩恵に授かろうと河川近くに集落を作り栄えてきたことは、古代のチグリス・ユーフラテス川や黄河流域から起こった文明などからも理解出来ると思う。しかし近代社会というものが発達するにつれて経済的な力というものが生まれ、それを欲する法人や個人が、流通システムの発展の流れを利用して大きく手を広げ始めた。その土地の者だけが食べていくために必要なものだけを採るだけでなく、周りの健康な自然サイクルに変化を強いてまで濫獲現象を起してしまった。加工、運搬システムや貯蔵システムの発達という順風にも煽られて開発が進められ人口も増え始めてきている。

 どんなに経済が発達し技術が進歩しても洪水はとめることができない。しかし河川近くの地形に入り込んでまで開発をしてしまった人間は、堤防を作ることや埋め立てをすることが土木技術・理論において水害を防ぐ最善なものとしてきた。ミシシッピー川は多くの支流を集め、上流から流れる水をいつものように下流へと送り出しているが、以前は見られなかった時期の大雨や、雨量が少なかった地方の降雨量増大など、近年は温暖化現象によるグローバルな気象変化が原因と見られる洪水が増えている。サハラ砂漠地域が大昔は緑豊かな地方であったという記録があるが、近年の加速された変化は、砂漠のジャングル化やジャングルの砂漠化を促しているかもしれない。技術による驕りが自然の営みをコントロールできるとは思えず、単に自然のバランス調整を望まない形で強いているように思えてならない。最近コロラド川を塞き止めているダムから「人工的な洪水」を装った大放水があった。貯水湖の水量を気にする発電所関係者の反対と、自然がサイクルとして行ってきたものを人工的に行うことの大切さを主張する学者との論議があったらしいが、自然を人が管理すべきものなのだろうか。世界遺産にもなっているあのグランドキャニオンを侵食で作り出している大河であるコロラド川でさえ、自然の流れを阻害されている。そこに生きる動植物は水の流れ、水量、そして水質に順応して生きてきたものたちばかりであるが、ダムの建設後に大きな生態系の変化を下流域の生き物たちは強いられたことになる。

 コロラド州ロッキー山脈国立公園は山岳部の美しさを保護された地域である。1915年に国立公園と認定され、園内の地質、環境、生物、生態系など様々な調査研究が行われる中で、エルク大鹿の数が近年増え過ぎている。それは、人が入ることによって天敵がいなくなったことと、国立公園化され公園内狩猟が禁じられていることが主要要因となっている。1975年頃に1500頭いたものが8000頭にもなっているというから植物体系にも影響が出ているはずである。さすがに国立公園管理局も特例狩猟免許を出して間引きともいう狩猟をしているが、果たして人が自然の代行人を勤められるのであろうか。

 コロラド州の北隣にあるワイオミング州北西部に位置するイエローストーン国立公園は1872年にアメリカで最初の国立公園(世界でも初であり世界遺産としても登録されている)として認定された地域である。1988年に自然発火により大火があり、日本の四国半分ほどの面積を焼き尽くす経験しているが、森は自然のサイクルとして健康に回復をし続けている。この世界の半分(3分の2に近いといわれる)以上の間欠泉が集まるマグマが地表に極度に近い地域にも多くの野生動物が生息している。ロッキー山脈国立公園と同様にエルク大鹿の数が異常に増えていた数年前に、様々な論議の末に法案が通り、以前開拓移民によって絶滅させられた狼が再び持ち込まれ生態系のバランス回復の役を担って放たれた。数年後には「パック」と呼ばれる群れが公園内に6〜7つ形成され、エルクやバッファローも数が人間の判断において落ち着いてきたようである。しかしながら、自然が行った調整手段ではなく人間が都合よく連れてきて放ったものであるゆえに、エルクの数は減ってきたものの素直に元のようにはなっていない。それは狼と同じ天敵のグループに入るグリズリー(ヒグマの一種)たちとの共存に表われた変化であった。生物学者が驚き感心を寄せながら今後の流れを見守っている一つの変化(動き)は、通常なら仕留めた獲物を独り占めして食べるはずのグリズリーが数頭で分け合いながら食べているシーンが頻繁になってきているということである。食べるものと食べられるもののバランスが決してあるべき姿にはなっていないという状況が起こっているのか。理論だけに頼ってそれを正しいと考える驕りのもたらす結果が怖い。

 身体は常にバランスを保つことによってその機能をフルに動かし、一つの生態系の流れがあるかのように一つ一つの細胞の共存体として生きようとする。最近環境問題などで取り上げられ、エコシステム(生態系)の話がよくされるが、自分の身体を管理し健康に生きることこそが最も大きな社会貢献にもなるものであると思う。御存知のように身体の大部分は水分であるが、それが細胞に栄養を運搬する役割も持っている。また体内に入り発生した毒や排出物を運ぶ役割もあり汗や糞尿となって外にだす。そんな体液で最も活発に身体の隅々まで駆け巡るのが血液である。血栓などができたり身体を冷やしたりすると循環が悪くなりもモタボリズム(新陳代謝)に支障をきたすことがある。外に出るべきものが出せなければどこかに蓄積し、最悪の場合にはどこかを詰まらせてしまう。ちなみに日本で流行のメタボという言葉は、恐らくこの新陳代謝を意味するモタボリズムをメタボリズムと呼んで省略したものが俗語化したものなのか。ただ肥満気味になることを示すのではなく、身体が潤滑に機能を果たすシステムを意味しているものであり、その管理や対応が不完全なために結果として起こる体調や体質、体格を示すものではないと思う。全体のあるべき姿を理解して改善に向かうために使う表現として浸透してもらいたいものである。

 話が少し飛躍するが、食物から摂取すべきビタミンや栄養分を人工的に固形や粉末にしたサプリメントとして常にとることがベストであると思わせているビジネスが増えたのは、栄養を簡単にとろうとする現代人の心理を利用したものであろう。噛むことを軽視する食生活に影響を与えて顎の小さな若者が増えていることにも関係しているし、そんな事実がサプリメント産業を刺激しているとも思える。悪い相乗効果である。栄養分は人間という生物として自然が与えてくれるものから摂取することが身体の消化能力にも適切だと思うが、サプリメントの効用は体調が優れない時とか必要な栄養のある食材が見つからない時に、一時的な代用として使うという意味が最初はあったのだと思う。

  何事もそれぞれの存在の意味と限界を知り、自分の役割の枠を認識することが大切な自然貢献ではないかと考える。暖かい座布団かもしれないが、自然が与えてくれるべきものを見直して将来にむかって、また冷たい地面に座り土に触れて生きることを考える時代にきているような気がする。文明だけに頼るのは気をつけた方がいいといえるほど技術に甘え続けることによって発展を遂げる経済が大きく枝を広げて、人間の驕りが自然を傷つけている。

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