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昭和30年会コミュの謎の都こんぶ

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この歳になるまで、まるで気がつかなかったことってあるもので、

都こんぶ というのもそのひとつ。

子どもの頃から今のいままで、都こんぶは都こんぶだろうと、
思っていたのだけれど、

こんなにもよく似たバージョンが存在してるとは、
夢にも思わなかった。

片や、中野の
片や、山口の

どっちも、都こんぶ! を堂々と名乗ってる。

製造元は、

中野のほうは大阪の中野物産。
山口のほうは埼玉の都水産。

山口のほうは、元祖 SINCE 1918と刻印してある。
でも、どちらかというと中野のほうが、
パッケージも味も馴染みのある記憶が・・・。

それにしても、こんなに長い年月、そっくりなままで
よく許されてきたものですなぁ。

あの白い粉を吹いた独特の甘酸っぱさに、
ミステリアスなムードまで漂わせる都こんぶ。

関西と関東で、いったいどういうことなんだろう?

なにかご存知であれば教えてください、すっきり眠りたいので。

コメント(17)

中野物産は、昭和6年に自社開発で酢漬けこんぶを売り出し、後に「都こんぶ」と命名、
都水産は、同社が業務用に売り出した「都こんぶ」を、中野が小売りパッケージでパくった
と、それぞれ主張。
商標制定前で、どっちか資料もはっきりせず、役所も決めかねて、両立したようです。
「征露丸」と同じようです。ちなみに「正露丸」は登録商標。

さすが、silvaさん、
私は、中野の「都こんぶ」ですね。
  
silva さん, caramelpapa さん

さっそくありがとうございます!

なるほど、商標制定前。それぞれが主張してそのままで今日まで。

昭和6年ということは SINCE 1931 だから、
中野のほうが後発だったんですかね。

それでも、私も中野派なんですが、
都水産のほうは、山口県でも山口さんでもなく謎ですが、
でも、眠れそうです(笑)
遠足のおやつの、必須アイテムでしたね。
ちなみに、私も中野派でした。
今でも、時々食べますよ。中野派です。
鳩亭 平和 さん
はな さん

ありがとうございます。
お二人とも中野派ということで、

あらためて、中野派が強いのかな。
味や品質も含めて、商売上手だったのでしょうか?

元祖・山口派のほうもいらしたら、
なにか話を聞いてみたいものですね。


もともと、中野は駄菓子屋やKIOSKルートを開発。
それに対し、業務用メインの都水産。
我々世代は、当然、中野の思い出が強いのでは?
今、コンビニ・百均ルートはどうなのでしょう?
大阪と埼玉、地域差はあるのか?
「山口」は何でしょうね?
こんぶの主産地は北海道、加工の吉は大阪、
創業社長の名字?
昔は問屋の名をつけてOEMのようなケースも。

ところで、東京の郷愁をそそる隅田川観光船。
東京都観光の船。
普通、東京都・観光と思うよね?
でも、東京みやこ観光(^^;
中野派です。
というより中野の都こんぶしか売ってないし
山口なんて見たこともありませんあせあせ(飛び散る汗)(業務用だからでしょうかexclamation & question
silva さん
心太。のとこちゃん さん

コメントありがとうございます。

> 中野は駄菓子屋やKIOSKルートを開発。

なるほど、それで後発なのに、中野のほうが馴染みがあるのですね。
酢こんぶの代名詞的存在となった「中野の都こんぶ」ですが、
ネットで調べるといろいろ興味深い記事とか見つかりますね。

中でもこのページが丹念に書かれていましたのでご参考まで。


●ニッポン・ロングセラー考 【都こんぶ】
http://www.nttcom.co.jp/comzine/no016/long_seller/index.html

19歳で起業とはすごいですねー。

2000年以降、健康志向で若い世代の関心が高まり、
さらに売り上げを伸ばしているとか。

時代の変遷を経てもなお、噛めば噛むほど
いい味出してるんですなぁ。
中野は自社サイトで、「都こんぶストーリー」も。
同社の主張では、創業者が京都出身で、
「都踊り」のように「都こんぶ」だそうです。
silva さん

「都こんぶストーリー」見てみました。

CMづくりで、林家三平やイーデスハンソンの顔があり、
思わず懐かしくなりました。

噛めば噛むほど、昭和の思い出と共に味が出てくる、
希少な一品ですね。
おボー さん

コメントありがとうございます。

子どもの頃は、あのどこか大人びた独特の酸っぱさが苦手だった人も
多いのではないでしょうか? 私はどちらかというと、そうでした。
でも気になる存在だった。いまは平気で食べられます。

赤い小さなパッケージは、紙芝居や映画館や行楽のお供など、
>いろんなシーンに忍び込んで一緒にいたんですね。

大阪万博で一躍知名度を上げたなんてことも、
今から振り返れば、なるほどなぁと思います。


> ところで、中野食品の社長さんは中野良子さんなんですね。

そこまでは気づかなかったですが、それも懐かしい名前ですねー。


懐かしい類似品でもうひとつ、サクマ式ドロップスがありました。
これもサクマのドロップスと両方があったのですね。
記憶にあるのは、サクマ式の赤の缶だなぁ。
http://kan-chan.stbbs.net/retro/sakuma/


サクマ式は、戦後に跡継ぎの長男と頭取が喧嘩別れして、
サクマと佐久間に分かれて、佐久間が「サクマ式」を取ったと。
マスカットキャンディーやジューCの「カバヤ」も、
長男と喧嘩して、頭取が会社ごと独立。
残った長男たちの研究部門が、トレハロースやマービーチョコ(無糖チョコ)の「林原研究所」だったと思いました。
確か、新しいお菓子用人工甘味料を研究していて、
偶然、ダイエット甘味料が生まれ、大成功したのだと。
はじめまして、私は都水産の親戚の山口俊二と申します。
山口は創業者の姓の山口からの由来です。
私の父、山口博からは、元祖は山口の都こんぶだと言う話しや
都こんぶが出来た経緯も赤いパッケージの由来も聞きました。
何故、中野の都こんぶが存在するかは、父から聞いた話しでは、
都こんぶに勤めていた中野さんが、曾祖父から屋号を
のれん分けをしてもらってから
中野のとして創業を始めたのとの話しです。
今でいうフランチャイズの様なものでしょう。
そもそも、酢昆布の原点は、父の話では、大阪府堺市に住んでいた
曾祖父が汽車に乗った時、
座席に座っていた2人の大工さんが、だし昆布をつまみにしながら、
日本酒を飲んでいたのを見て、
昆布をしゃぶりしながらお酒を飲んでいる姿『おじゃぶり昆布』として
発案し、まずは、だし昆布をハサミでカットし数枚を束ね、て駅で販売しようと
思い、包装はどうしようと思案していた所、大阪府堺市にお線香の製造工場があり
そこを通りすがった時に、工場のゴミ捨て場にお線香を束ねる赤い紙の帯の
不良品が大量に捨ててあるのを見て、これだとひらめき、その工場の方にお願いして
タダでその赤い紙の帯を頂戴する事が出来たとの事です。
そして、カットした、だし昆布を束ね、お線香の赤い紙帯を巻いて駅で販売していたそうです。
そのお線香の赤い帯こそ、赤いパッケージの原点であります。
ですから山口の都こんぶが元祖であります。
(百科事典で調べると、堺市のお線香生産量は日本一で
戦前には全国生産量の約60%を占めていたと記載ありました。)

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