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【感動話、涙話】泣けるmixi!コミュのおじいちゃん・おばあちゃんの思い出

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挨拶もなしにトピ立てすみません。
ジャンル的にはこっちかなぁと思い、立てさせてもらいました(^^;)
多少長文です。
自己紹介がてら、書かせてもらいます。
皆さんもおじいちゃん・おばあちゃんとの思い出はあるのではないでしょうか?

では↓



小さい頃、よく母方のおじいちゃんとおばあちゃんによく遊んでもらった。
その頃の話と最近見た夢について書かせてもらいたい。
田舎に帰ると、おじいちゃんとはよく朝早くに起きて一緒にカブトムシ狩りやクワガタ狩りに行く事が毎年夏休みの恒例行事だった。
まあ実際には夏休みと年末の二回だったけれど。
前日に仕掛けたカブトムシ等、虫用のゼリーで驚く程沢山捕まえた記憶がある。
夏休みの宿題である絵日記にもよくネタとして必要以上の日数を日記に書かせてもらった。おかげで一週間丸々昆虫採集の絵日記だった事もあった。
スイカを食べたり、森に探検したり、昔話を聞いたり、花火をしたりと、色々な数え切れない思い出が毎年夏休みに作られてきた。
それが続いたのも小学五年までだった。
それ以降は幼き思春期のような、または反抗期だったのだろうと思う。
田舎に帰るのが嫌で嫌で仕方なかった。何かと理由をつけて高校一年までは一人お留守番をする事になった。
正直嬉しかった。
家族に縛られず、開放感にはしゃいでいた。
ところが翌年、おじいちゃんが癌だと宣告された。歳は確か75歳くらいだったはず。
高校二年の時はおじいちゃんの事もあったので田舎へ帰る事となった。
わりかし元気そうだった。
高校三年の冬、急に体調が悪化し、急遽田舎へ帰る事となった。
その頃には抗癌剤治療も始まっており、自力で呼吸するのさえままならない状態で鼻から管が通され、何かある毎に咳込んでいた。
正直見てられなかったし、辛かった。
医者には歳を越せるかどうかと、そういうことだった。
しかし実際は思ったよりも短かった。
葬式の日、今までの自分の反抗期を悔やんだ。
悔やんでも悔やんでも今までの事は変わらない。
だから、それからは出来る限り田舎へ帰ろうと決めた。
だが不幸は続くもので、今度はおばあちゃんが体調を崩し始めた。幼稚園の頃には、弁当を一緒に作って散歩したり、帰れないとごねる僕をおぶって家まで子守唄を歌いながら連れて帰ってもらったりした。
入院生活をしながらも、家族と一緒に田舎へ帰る時にはおばあちゃんと田舎の家で寝泊まりするようになった。
小学生の当時と比べると随分と痩せているのが一目瞭然だった。
今では体の大きさも逆転してしまった。
会話もかろうじて理解しているようだった。
トイレも付き添いが必要となった。

そして体調が悪いながらも月日は経ち、大学三回生のある日、夢を見た。

母とおばあちゃんと自分が、廃れた田舎のおばあちゃんの家の前に立っていた。
家の中は蜘蛛の巣や腐った畳がおいてあり、めちゃめちゃだった。
なぜかそこにいたおばあちゃんは、当時の元気なおばあちゃんだった。

「この家を綺麗に掃除して、また暮らすんじゃよ。都会の親戚の所へは戻らんけぇの。またみんなで花火しよう」

そういう風の事をおばあちゃんは言い残し、当時のままの笑顔を僕に見せてくれたところで夢は終わりました。

目が覚めた僕は涙が止まりませんでした。

僕は、これから毎年田舎には帰るつもりです。
色々用事が重なって難しいとは思いますが、可能な限り帰りたいと思います。

そして、その時に出来る孝行を精一杯、おじいちゃん、おばあちゃんの為にしてあげたいと心から思う。

最後に
いなくなってから気付いたけど、田舎の良さを教えてくれたおじいちゃん、ありがとう。

あの時わがまま言って家までおぶってくれたおばあちゃん、ありがとう。
ホントは歩けたんだ、あの時。
背中、暖かかったよ。





以上です。

ひとそれぞれ思い出は違うと思いますが、少なからずあると思います。
色々な方の話を聞かせて欲しいです。

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