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今は無き、豊島区立日出小学校コミュの子供の頃の最大の遊び場ぴ゛ばは、雑司ヶ谷墓地だった

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大げさに言えば、子供の頃の成長の元は、雑司ヶ谷墓地だった。遊園地と言っては失礼だが、カブトムシを捕り、たまにはクワガタに出くわし、蝉やおお新つくはいとも簡単にとれた。雑司ヶ谷の塀に沿って、泉鏡花のお墓にまで遠征すれば、腐った大木が塀に沿ってあったが、ここにはたまに玉虫が見つかることもあり、雄の玉虫は綺麗で、くじに当たったような物で、なかなか見つからなかった。しかし綺麗なオスのいた木を、下から上までくまなく捜すと必ず、土色の風采が上がらないメスがいた。必ず2匹掴まえて、オスは最後までかって、ナフタリン漬けにしてつい最近までタンスにあった。その後の玉虫も机の引き出しに箱に入れておいてある。聖徳太子の玉虫厨子には、玉虫の羽で引き詰められていたことを想像すると、大変な物て゜あったに違いない。トンボは、シオカラトンボや、ヤンマなどいとも簡単に、取り持ちでとれた。一番大仕事は、滅多に見かけないオニヤンマであった。一番高い松の木のてっぺんにしかとまらない用心深い相手であった。さお竹を継ぎ足して、墓のてっぺんに登ってようやっと届た。勿論墓のてっぺんに登るので、『墓守の金太』に草刈り釜で追っかけられたことたびたび、命が縮む思いをしても、捕まえたかった。たまーにとれたときは宝物のように、家にも持ち帰り、羽の取り持ちをベンジンで拭いて、バスケットに飼っておいた。之が一番の宝物で、標本にもしたことがあった。標本セットの作成キットがあったからアルコールを注射して、これた゜けで標本にしてピンにさして置いた。夏休みなどは、1日が短かった。けがもしたし、危険なこともしたが、何とか生きていた。之が全てである。

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