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注意欠陥・多動性障害コミュの海外に出てよかったADHDの私の場合

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私は国際協力の専門家として、家族を連れてあちこちに赴任する仕事についており、私の性格や仕事のやり方は普通の人とは違うのですが、いつも最終的に良い結果を出すので、自分にはなんの問題もないと思って働いてきました。

しかし、36歳頃に、海外の赴任先で、自分の子供が学校で学習障害を指摘され、精神医の診断で遺伝性ADHD障害があり、また父親の私も同じであることを知りました。

よくよく考えてみると、私は、小さいときから落ち着きがなく、先生の話もあまり聞いていないし、物忘れが多いし、集中力がないと言われて育ちました。 

私にとって幸いだったは、12歳の時に親が家族を引き連れて南米に移住して、違った言語の世界(スペイン語圏)で暮らすことになったことでした。 

 そこでは、自分のもっているADHDのハンデ以上に、言語の壁や、カルチャーギャップ、他民族関係、治安悪化環境など多くのハードルを越えなければならない状態で育ち、それが自分の問題を忘れさせたと思います。日本の学校で問題視されていたのは、南米では普通だと言われました。

 自然の中で、動物やいろいろな人種の子供たちと遊んでバイリンガルに育ち、通訳や翻訳の仕事をするようになり、高い報酬をもらうようにまでなり、集中力をコントロールできるようになり、さらに国際協力のプロジェクトを管理する、コーディネーターをするまでになりました。

 しかし、ADHDが直ったわけではありません。 

 通訳をしていた若い時にも、時に、ちょっと気を緩めると、考えが飛んで、話を完全に覚えてなくて、通訳の仕事中に「すみませんけど、もう一度はじめからお願いします」と、頼んだこともよくありました。ただ、一度失敗したことは繰り返さないように努力することでだいぶ改善されました。

 また他方では、あきやすいので、大使館に勤めたり、JICA専門家になったりしても、数年するとそこを出て、もっと面白そうな仕事をさがしたり、同じところに長期間いることができず、自分でどんどん、仕事のペースや、ランクを上げていきました。

 以前から、職場のオフィスで仕事をしながら、頻繁にうろうろと熊のようにオフィス内を歩き回ります。 翻訳をしたり、専門書を調べたりして企画のようなものを作ったりしているときでも、ときどき、外に出て手足を伸ばしたり、他の部署を覗いてあるいたりしましたし、時には外で、空手のイメージファイティングをしたり、腕立て伏せをしたりしてエネルギーを発散させたりしないと、ずっとおとなしく仕事はできなかったりすることもよくありました。

 ADHDは、集中力を維持できないと言われ、自分もそういう弱点があると感じる一方、それを強いインセンティブを見つけることで、だいぶ克服できることがわかりました。(お金、好奇心、いじめへの復讐心)
 
 また、自分ひとりでは仕事で失敗や問題を起してしまうので、落ち着きのある仲間や部下を大切にすることで、そういう人間と良好なパートナーを組んで、チームプレーをすることで、自分の弱い部分をカバーしまた自分の得意な技能で仲間たちも利益が得られるようにして、今までやってきました。


 だれでも同じようにはいきませんが、参考までに私にとって良かった要因を並べてみます。

1. 外的障害物の発生にあったこと、(言葉の壁、環境の違い、他)

    外国に暮らし、言語の壁にぶつかり、先生のいっていることがわからないことから、
    自分の将来に不安を感じて、辞書を持ち歩き、必死に先生の言葉をひとつひとつ
    引いては、暗記するように努め、周りのクラスメートの言葉にもすごく集中して耳を
    傾けるようになりました。 記憶も人一倍悪いので、言語をマスターするのに普通の
    人の何倍か時間がかかったと思いますが、その分、集中力と忍耐が鍛えられと感じます。

2. 学年を落とされたこと、(日本で小学5年までやったのに、南米でまた1年からやった)

    日本で遅れていた科目なども、またいちからやり直すことで、基礎がしっかりと身に
    ついた。

3. 日本とは違った環境にいたことがかえってよかった。
   
   南米は、世界中からの移民が築いている地域なので、民族、文化、言語、習慣など
   の違う人たちが共生する社会です。 さらに、自分の国を飛び出してくるくらいです
   から、多動性の人間が多く、考え方や行動がユニークな人間は珍しくありません。 
   そういう中では、ADHDな性質も、行動も、全然問題視されることはなく、また差別や
   いじめにあうこともありません。そういう点では日本よりも居心地はよく、ストレスがたま
   らない社会環境がありました。いろいろなタイプの友達ができたのは一番の財産です。
 
   ただ、弱肉強食の世界なので、よい人間も沢山いたけれど、弱い人間を食い物にしたり、
   強盗や、殺人などを平気でやる人間も身近にいて、日本人は日本人同士で団結し、
   中国人、韓国人、ドイツ人などそれぞれの民族や文化ごとに連携は強いものがありました。


4. いじめから抜け出すための武道の修業をしたこと、

   日本ではいつも弱いものいじめにあう性格だったので、強くなりたいという憧れから、
   南米では、柔道、空手、拳法などを習うことができ、片っ端から鍛えたのが非常によかった
   と思います。 
   相手と練習している時に集中力を抜くと、とたんに痛い目にあうので、 イヤになってやめたく
   なりますが、いじめに対する悔しさがこれをずっと続けさせてくれ、忍耐力、集中力、
   自己コントロール力などが身につきました。


5. インセンティブになるアルバイトとしての通訳、翻訳の仕事をやったこと、

   学生時代に通訳のアルバイトがお金になるので、(普通のアルバイトの10倍位)、必死
   になって通訳をしたり、また通訳の力をつけるために、積極的に翻訳を無料奉仕でやった
   りして、何時間も原稿と辞書で取っ組み合いをする仕事を繰り返すことで、気合いを入れ
   ることで集中力を維持できるようになりました。
 

6. 一人でやらないで恵まれた仲間を作るクセがついたこと、

  遅刻の常習犯、もの忘れの常習犯、締め切り不厳守などの問題が多いので、上司によく
  しかられたりし、そのために、頼りになる仲間や、若い部下を大事に育てて、チームで仕事
  をすることで、自分の弱い部分をサポートしてもらうようになりました。

 
     以上、参考までに

コメント(1)

すばらしいレポート、ありがとうございます。

私も短期間ですが、ドイツに行っていて、
とても精神的に楽だったのを思い出しました。

みなさん、それぞれ真剣に努力されたり、
工夫されたりしているのですね。

とても参考になりました。
ありがとうございます。

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