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闇にひっそり浮かびゆくものコミュの富永太郎と中原中也

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 富永太郎氏1901―1925享年二十四歳
 中原中也氏1907―1937享年三十歳

 富永太郎氏と中原中也氏は、歳の差わずか六つ、第一次世界大戦と第二次世界大戦のはざまを生き抜いた、共に夭折の詩人である。
 富永氏と中原氏は期間こそ短いものであったけれど親交があり、毎晩のように酒を酌み交わし街を闊歩し詩を論じていた。

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 二人が残した詩は、両者共に自己の内面性を追及し、心情を詩のことばまで上昇させ表したものであるが、しかし、その詩の方向性は全く違うものであった。
 まずは、少々長いが、富永氏の詩「秋の悲歎」全文を引用してみる。

秋の悲歎(富永太郎)

 私は透明な秋の薄暮の中に堕ちる。戦慄は去った。道路のあらゆる直線が甦る。あれらのこんもりとした貪婪な樹々さへも闇を招いてはゐない。
 私はたゞ微かに煙を挙げる私のパイプによつてのみ生きる。あの、ほつそりとした白陶土製のかの女の頸に、私は千の静かな接吻をも惜しみはしない。今はあの銅色の空を蓋ふ公孫樹の葉の、光沢のない非道な存在をも赦さう。オールドローズのおかつぱさんは埃も立てずに土塀に沿つて行くのだが、もうそんな後姿も要りはしない。風よ、街上に光るあの白痰を掻き乱してくれるな。
 私は炊煙の立ち騰がる都会を夢みはしない――土瀝青色の疲れた空に炊煙の立ち騰がる都会などを。今年はみんな松茸を食つたかしら、私は知らない。多分柿ぐらゐは食へたのだらうか、それも知らない。黒猫と共に坐る残虐が常に私の習ひであった……
 夕暮、私は去つたかの女の残像と友である。天の方に立ち騰がるかの女の胸の襞を、夢のやうに萎れたかの女の肩の襞を私は昔のやうにいとほしむ。だが、かの女の髪の中に挿し入つた私の指は、昔私の心の支へであった、あの全能の暗黒の粘状体に触れることがない。私たちは煙になつてしまつたのだらうか?私はあまりに硬い、あまりに透明な秋の空気を憎まうか?
 繁みの中に坐らう。枝々の鋭角の黒みから生れ出る、かの「虚無」の性相(フィジオグノミー)をさへ点検しないで済む怖ろしい怠惰が、今私には許されてある。今は降り行くべき時だ――金属や蜘蛛の巣や瞳孔の栄える、あらゆる悲惨の市にまで。私には舵は要らない。街燈に薄光るあの枯芝生の斜面に身を委せよう。それといつも変わらぬ角度を保つ、錫箔のやうな池の水面を愛しよう……私は私自身を救助しよう。

 ここで富永氏は秋の光景の中にいる自分を描いている。富永氏にとっての秋とは、「ほつそりとした白陶土製のかの女の頸」や、「公孫樹の葉の、光沢のない非道な存在」のような「硬い」「透明な」ものであり、そこに在るには「堕ちる」しかない。一般的に捉えられる柔らかさ温もり赤みを帯びた色彩の満ち溢れる秋の特徴は、彼の網膜を通過した瞬間に存在を失い、全てが、なにも受け入れようとはしない金属的硬度と色に属せない中和点の光を孕む。
「戦慄は去った」――彼はこの瞬間、それまで彼を取り囲んでいた絶望的な恐怖から脱した。「戦慄は去った」――この一文は、彼の過去と現在の全てを表せる拡張性を持っているとわたしは思う。彼は常に驚異的な支配力と操作力を持った「あの全能の暗黒の粘状体」と対峙していたのだろう。粘っこくどこまでも絡みつく闇の中では、《生活圏内に自分が存在している》という生物としての基本概念すら希薄になっていたのかもしれない。しかし彼は、世界に横たわる不条理を闇を明確に紐解き、その一つ一つと対話し問答しており、そうすることが恐らくは「昔私の心の支へであった」のではないか。つまり、そうすることでしか富永太郎のこころは富永太郎として生きていけなかったのだろうと思う。
 そして今、彼は、また生活圏内において詩人の行為ではないと否定していた頑迷さも手放し、また生活圏内における詩人であるが故の執着や頑強さを手放し、素敵な女性の道行く後姿に振り返ることもなく、旬の食べ物も欲せず、ただ、全てを赦した。彼は、赦すことを知り、「秋」の中へ堕ちてゆく自分をも赦したのだ。詩人はしかしまだ戸惑っている、それは、「かの「虚無」の性相(フィジオグノミー)をさへ点検しないで済む怖ろしい怠惰」という一文から察せられる。
 そんな戸惑いは脇へ押しやり、更に詩人は進んでゆこうとしている。それが、「今は降り行くべき時だ――金属や蜘蛛の巣や瞳孔の栄える、あらゆる悲惨の市にまで。」なのだ。これはいわば富永氏の独善性の強い形而上学的表現であり、つまりは生活圏への実体あるまなざしを保有しようということなのだろう。ここで特に注視すべき箇所は、「降り行くべき時だ」の一文である。彼にとっては闇に取り囲まれ闇の疑問と対峙していたことは、心的において非常に高いレベルにあることであり、対極にある生活圏を赦す行為は、つまりは自分をその高みから降ろさなければいけない。だからこそ、今戦慄の去った秋へ行くには、「堕ちる」しかないのである。
「私は私自身を救助しよう。」――最後、一転して美しく柔らかさを湛えた風景の描写のあと、この一文で締めくくられている。様々な葛藤や疑問、メタフィジカルな世界を展開した後で、最終的に目前の麗しき風景をそのままで受け入れ、その風景の中で、否、その風景の隣を歩くことで「私自身を救助しよう」と決意しているのである。詩人の決意表明として、これ以上の力強い言葉はあろうか、とわたしは思うのだ。

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 次に、中原氏の詩「朝の歌」全文を引用する。

 朝の歌(中原中也)

天井に 朱きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙びたる 軍樂の憶ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦んじてし 人のこころを
  諫めする なにものもなし。

樹脂の香に 朝は惱まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

 この詩は一見美しくけだるい朝の情景をうたっているようであり、それがどこの風景でありどこでうたわれたかを観賞の軸として論じている評伝も、多く世に出ている。しかし、わたしはそうではないと思うのだ。むしろこの詩は、全てがメタフィジカルな世界で構築されており、現実の風景と見えるものも、中原氏の心象風景なのだと思う。あくまで幻視であり夢想であり、心の状態に「朱」や「はなだ色」の色を見出した時、彼の意識の中にのみ現れてきた風景なのではないか。そしてそれらは、個々の体験の折り重ねであり、そう考えると、この詩のことばの断続性、飛躍も意味を持つことができる。
まず第一連、「天井に 朱きいろいで/戸の隙を 洩れ入る光」――その時目前にあったものなのか、ふと思い浮かべた過去の残像なのかはわからないが、これは現実の風景だったのか。そこに彼は「朱」の色を主体とした自己意識を見出し、次いでそれは「鄙びたる 軍樂の憶ひ」という記憶に還元される。しかしそれは、手で触れようとも「なにごともなし」なのだ。いかようにも変えることのできない倦怠感。
第二連、小鳥が現にうたっていようがいまいが、詩人にとっては「小鳥らの うたはきこえず」、更に連想され広がる空も「はなだ色」という、光満ち溢れる朝からはかけ離れた、物憂い色でしかない。この連は後二行「倦んじてし 人のこころを/諫めする なにものもなし」と前二行が倒置となっており、つまり倦怠を帯びる人のこころを諫める術を自分は持たないが故、空は何も持たないはなだ色にしか感じられない、と読むことができる。
第三連は一転して、「樹脂の香」という強い生命感を持つものが存在を肯定されて登場する。しかし詩人は第二連までのうちに喪失感をうたっている。そのために、「樹脂の香」はあまりに悩ましく苦しいものであり、本来であればその香から生きている人間として光り輝く未来を想起するはずなのだが、そんな夢は自分は失ってしまった、ということなのだろう。
そして「樹脂の香」に手の届かぬ彼は、彼から離れた場所にある「風に鳴る」「森竝」を、ただ淡々と聴くのみである。
 第四連で詩人の視点は更に転じて、どこまでも伸び行く広がりと開放感を見る。「うつくしき さまざまの夢」が「土手づたひ きえてゆく」、その「空」は「ひろごりて たひらか」であり、どこまでも断絶せず無限に拡散していくイメージを抱く。しかしあくまでその伸びやかさは自己意識外としての認識であり、彼の意識はやはり天井の朱を仰ぎながら閉塞感に苛まれているのである。
 この詩の前面には動かせようのない倦怠感が一貫して表出されているが、しかしわたしはその奥に、社会生活の秩序から脱落してしまった詩人の痛み、人間としての自身の生に対する痛みを見出してしまうのだ。

  **

 富永氏の「秋の悲歎」も中原氏の「朝の歌」も、メタフィジカルな世界において展開されており、根底は生に対し詩人の視点を持ってしまう者の悲哀や苦悩である。しかし、富永氏の詩には、その自己意識に浮かぶメタフィジカルな風景に飲み込まれることなく、そこに平行に、かつ独立した進展性ある強烈な意思を見出せるのに対し、中原氏の詩には始まりも終わりも無い。ただ、そこに在るのであり、哀しみと痛みを抱えたまま風景に滔々と揺蕩っているのである。
 この双方の対極する特徴は、数ある他の詩においても基を成している。富永氏は「断片」において、こううたっている。

 私には群集が絶対に必要であつた。徐々に来る私の肉体の破壊を賭けても、必要以上の群集を喚び起すことが必要であった。さういふ日々の禁厭が私の上に立てる音は不吉であった。
       (「断片」冒頭部分)

 これを書いた当時、富永氏は死の病に罹患していた。それはこの詩からも読み取れるが、しかし、そういう現実から離れた別次元での独立した世界として観賞することにこの文章は充分に耐えうる。それは、「群集が絶対に必要であつた」という確固とした意思を表出しているからであり、「徐々に来る私の肉体の破壊を賭けても」の一文は、その意思を更に強健なものとするための修飾でしかないからだ。必要としているはずの「群集」でさえも、彼の彩りである。富永太郎の世界においては、まず《自己意識》があり、その自己意識は常に動いて頑強な《意志》を生産し続けており、周囲の《風景》はそれをより引き立たせるための《修辞》でしかないと云えよう。彼の自己意識と風景は、平行し続け、あくまで融和することはない。
 一方、中原氏は「汚れつちまつた悲しみに……」で次のようにうたっている。

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
(「汚れつちまつた悲しみに……」
          冒頭部分)

 この詩は一連四行の四連から成っている。ここに引用したものは第一連であるが、四連全てが変調せず同じリズムで繰り返されている。生活圏に紛れてしまったために詩人の「悲しみ」が「汚れつちまつた」のだろうか。故意にシニカルな表現をしているとも見える自己意識を、そして彼は架空の風景とシンクロさせ、固有のメタフィジカルな世界を作り上げている。この詩においても、始まりや着地点は見出せない。その世界は、どこへ進むべくもなく、ただ《存在》しているのである。中原中也の世界は、陰性の《自己意識》に《風景》を取り込み、更には自分も《風景》となり、そして《一体化》することで成立しているのだ。

  **

 短い友情の後、富永氏は友人へ宛て次の書簡を送っている。「ダダイスト(中原氏のこと)との嫌悪にみちた友情に淫して四十日を徒費した」
 その翌年、富永太郎死去。
 翌日、中原中也は訃報を受け、駆けつける。眠れず、青い顔をしていたという。




                                   ≪じぶん詩9号掲載論文≫

コメント(3)

>富永太郎…彼の自己意識と風景は、平行し続け、あくまで融和することはない。

>中原中也の世界は、陰性の《自己意識》に《風景》を取り込み、更には自分も《風景》となり、そして《一体化》することで成立しているのだ。

うーん、自分の言葉になるまで作品群を消化した努力に頭が下がります。
とくに上記、両者の特質を端的に表現した部分に、何かに気付いた
ごまねこ
自身を見るような気がします。

それって批評の究極のあり方だよねって俺は思う
> 太一さん
にゃー、ありがとうございますハートハート

まだまだ非常に稚拙で、技巧(?)に走りがちな感がたっぷりなのですが
褒めてくださったの、嬉しいです!

シンプルで端麗な文章も書けるようになりたいなあ
がんばります!

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