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半島・岬コミュの仙崎

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 山口県長門市。
 北長門海岸国定公園内。
 青海島に向かって突き出した小規模な砂嘴(サシ)半島で、極めて平坦な地形となっている。
 明治22(1889)年の町村制施行の際、青海島も含めて大津郡仙崎通(センザキカヨイ)村となったが、明治32(1899)年に青海島東部の通浦(カヨイウラ)地区が分離して通村となり、残った瀬戸崎浦地区が仙崎村となる。仙崎村は大正3(1914)年に仙崎町となり、昭和29(1954)年に仙崎町・深川町・通村・俵山村が合併して長門市が発足した。
 仙崎は日本海側屈指の漁港であり、山口県内では下関漁港に次ぐ県内第二位の水揚げ高を誇る大規模な漁港となっている。イカ・アジなどの近海物の魚介類やウニ・アワビなどを主に取り扱い、関西・九州方面に出荷されている。特にケンサキイカについては近年『仙崎イカ』のブランド名が名付けられ、流通価値が高まりつつある。また、近海のエソ等の白身魚を用いた蒲鉾の名産地でもある。昭和20年代には大陸からの引き揚げ港としても知られた。
 青海島遊覧船の基地ともなっている。

 仙崎生まれの有名人としては、童謡作家の金子みすゞ(1903〜30)がいる。彼女は深川高等女学校(現在の山口県立大津高等学校)卒業までの間を仙崎で過ごした後、大正12(1923)年に下関市に移住、書店で働き始め、詩作の大半は下関で行われたが、その題材には仙崎の情景が多く描かれている。
 代表作の一つである「大漁」は仙崎漁港に大量に水揚げされた鰯にモチーフを得たものだとされており、彼女が風景を読んだ弁天島・八坂神社・極楽寺・小松原・王子山・大泊港・波の橋立・花津浦が仙崎八景と呼ばれている。
 平成15(2003)年には生家跡に「金子みすゞ記念館」がオープンし、生家の様子が復元されている。
 彼女は大正15(1926)年、23歳で勤め先の番頭と結婚するが、夫は中央誌への詩の投稿を禁じたばかりでなく女遊びに明け暮れ、更にはみすゞに淋病を感染させたため、離婚が決まったが、一人娘の親権を巡って交渉が紛糾し、昭和5(1930)年に彼女は傷心の余り服毒自殺した。享年26歳。
 彼女の墓は仙崎の浄土真宗大林山遍照寺にあり、仙崎駅から遍照寺に至るメインストリートは「みすゞ通り」と名付けられている。
 彼女の作品は全く無名だったが、児童文学者の矢崎節夫等の努力で発掘され、昭和57(1982)年に出版されると、瞬く間に有名になり、現在では小学校の国語教科書にも作品が掲載されている。

コメント(4)

 8月2日〜3日に行って来ました。2日は「みすゞ七夕笹祭」が行われており、みすゞ通りは多くの七夕飾りで一杯でした。
左;浄土宗紫津浦(シツラ)山極楽寺 〔仙崎八景〕
中;金子みすゞ墓
右;八坂神社 〔仙崎八景〕
左;金子みすゞ記念館
中;青海島遊覧船〔ピンクシータス〕
右;同上
左;青海島王子山公園より望む仙崎
中;同上
右;青海島大橋

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