ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

き☆ら☆り キッズカンパニーコミュのまりんの父親の話

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
   金曜日に父親の葬儀が終わりました。一般的には長くなりましたが、まりんとしてもちゃんと送ることが出来てよかったと思います。

   まりんの父親はまりんが産まれる前は某有名電器メーカー(今は時計が有名になりました)で働いていましたが、まりんが産まれてからは自動車教習所の教官をしていました。間接的に聞いた話ではなかなかはんこ押してくれない鬼教官だったらしいです。それだけちゃんとしたことが出来ないと気がすまない性格なので…

   その頃からお酒が大好きで夜はご飯も食べずに飲んでいて、休みの日は朝起きてもう飲んでたりしていました。そんなイメージが強かったかな?何か遊んだという記憶はほとんどないけれど、小学校の時に川に釣りに行ったかな?あとは手先が器用だったので日曜大工でいろいろ作っていたなぁ

   まりんは中学から私立に行ったのですが、受験勉強も毎晩9時から1時間父親に言われた私立中学の学校案内に載っている過去問題を解いていました。それを2年間くらいしていたと思います。その結果中学にも合格することが出来ました。

   中学に入ってからは毎年富士五湖の西湖1周マラソンがあって、中1の時に会社休んで来てくれました。練習で西湖に来て1周してみてなんとか感覚をつかんで当日を迎え、当日まさか来るとは思わずにいたので来ていたのを見たときはびっくりしました。

   大学受験する時も父親は決して反対はしなかったし、まりんが美容師になる事も反対はしなかった。むしろ母親がただの美容師になるなら止めろと言われるくらいだった。それから埼玉の川越にある大学に進学し、遠かったので大学1年の前期前に川越に引っ越した。そのときの話を間接的に聞いたのだが、寂しかったそうです。

   まりんは免許は20歳の時に取ったのですが、父親の教習所では取っていません。まぁ実家にいなかったのもあるけれど、まず父親に“お金出すからうち(父親の働いている教習所)で取るな”と言われました。なので別のところで取りました。正直まりんはストレートではありませんでした。むしろダブってばっかりでした。

   やっと仮免の試験と言う時に実家に帰って来いと言われ帰ると、家の車で練習させられました。それもただ木片を投げて“その木を左の後輪で踏んでみろ”と言っただけで何度も踏めるように何かを教えるでもなく踏めるまで運転しました。それが今でもスーパーの駐車場でも車を止める時に見えない木片を見ながらバックしています。父親はストレートで免許とっても偉くもなんでもない。ちゃんとした運転できるように出来なければ何度もやっていいんだからと言ってくれました。時間はかかりましたが免許を取ることができました。それから数年後にまりんの弟は父親の教習所で免許を取りました。なんでなんでしょう?

   大学時代に徹夜を何日も続けてバイト先のコンビニで倒れた時、酔っ払った父親が夜中にすっ飛んできました。今では絶対いけないことですが、飲んで川越まで来ました。どっちが寝てしまうのかってくらいな勢いでした。それでもちょっとは気が楽になりました。

   大学を卒業してしばらく外の美容院で働いてから実家に戻ったのですが、その当時は父親も元気で仕事に行っていました。おばあさんも生きていたので4人家族でした。

   その2年後に父親が発病し、あとを追うようにおばあさんも骨折して病院の入退院を繰り返していました。まりんが実家に帰ったのは父親とおばあさんの病院に行ったりするために帰ってきたといっても過言じゃないくらいでした。父親は病院に着替えを持っていったりして、おばあさんは眼科や歯医者、もちろん入院していた病院にも行っていました。

   そんな生活を数年して父親も右手と言語の麻痺は残ったものの、自分のことは自分で出来ていました。むしろおばあさんが寝たきりになり、口から食べ物を食べられなくなり危篤を何度も乗り越え3年前に亡くなりました。4人家族が3人家族になりました。家族が死を理由に減ってしまうのはやはり辛いです。

   それからまりんの家も建て替えが決まり、両親は仮住まいに行くことが決まったところでまりんの伯母の家に父親が行くことになった。それが去年の暮れで日に日に体も弱くなり、歩くこともままならぬようになったので今まで断られ続けた地元の病院に無理を承知でお願いしたら受け入れてくれた。それが先月の上旬の話。

   病院に行ってからはまりんとまりんの母親が交代で着替えを取りに行ってすぐに洗濯をして持っていくという日々が続いた。何とか歩けるように、なんとか食べられるようにと願っていたが…容態が悪化したと病院から連絡が来て病院に駆けつけてから数時間で亡くなってしまいました。

   まりんの父親は手先は器用でしたが、生き方は不器用だったと思います。でもまりんにはいろいろと期待をかけてくれたり、見守ってくれたり、甘やかされたと思います。まわりの人にいっぱい迷惑かけて、ご飯も好きなものしか食べなかったり、歩けるように歩けと言っても歩かなかったりわがままし放題だったけど、まりんの父親なんです。

   新居に住むことは出来なかったけれど、大工さんのご厚意でまりんのルームをするリビングの床だけを先に張っていただき、そこで1時間弱寝てから納棺することが出来ました。そこでまりんはここで子ども達と一緒ににぎやかにするから見ていて欲しいと伝えました。

   闘病生活10年弱、まりんは時に厳しく(厳しかったのが多かったかな)していましたが、伯母にもしょっちゅう怒られていました。まりんは完治はしなくてもゆっくりでもまた歩けるように、片言でもまた話せるようになって欲しかったんです。まりんが何でも手助けしてたらまりんに頼ってしまうから自分で出来なくなってしまう。それを何度も伯母に伝えても伝わらずにいた。悔しいけれど、どっちが正しいのかはあえて問うつもりもないけれど。

   たまにまりんの母親がまりんが結婚できないのは父親がいるからなんていうけれど、そんなことは思ったことなんてない。父親が病気だから結婚しないなんて人がいたらまりんのほうからお断りする。まりんはまりんなりに看病もしたと思うし、介護もしたと思う。今はいろいろな事務的なことをこなすことで精一杯だけど、まりんの心の中ではずっとずっと生き続けている。

   最後にまりんのこと産んでくれてありがとう。そして数限りないいっぱいの思い出ありがとう。天国に行ったらもう肝臓のことなんか気にしないでお酒飲んでいいからね。でもほどほどにね。安らかにねむってください。

コメント(6)

まりんさんのお父さん亡くなってしまったんですね…10年近く看病していたお母さんやまりんさんも大変でしたね。
まりんさんの日記を読んで、本当にまりんさんはお父さん思いだなぁって涙がでました。
亡くなって、そばには一緒にいれないけれど、「昔こんな事を一緒にしたなぁ〜」っていう思い出がどんどん出てきて、心の中で生き続けていけるといいですね。
初めてカキコしますが、
いつもトピックスを拝見させてもらっています。

大事なお父様が亡くなられて…
誠にご愁傷さまでございます。

   おっくんさん

  ありがとうございます。まりんが父親思いだったのかは正直首をかしげてしまうかもしれないです。

  つい最近も父親の意思なんじゃないかなってことが起こったので近日中に日記のほうで書きたいと思います。
   まゆさん

  いつもまりんのコミュ見ていただきありがとうございます。

  今はいろいろと後処理に追われてしまっていてコミュのほうも書いていないことが多くなりました。

  トピに関しての書き込みのお返事ばかりで申し訳ないです。

  もう少したったらコミュのトピック書きたいと思います。

  これからもまりんのコミュよろしくいお願いします。
   もこさんへ

  お心遣いありがとうございます。今はなんとか体調も崩れずにしています。

  しばらくコミュのほうも書いていなかったので書こうと思います。

  

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

き☆ら☆り キッズカンパニー 更新情報

き☆ら☆り キッズカンパニーのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。