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トトロとアニミズムコミュの草壁タツオ

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これまで各誌面を飾った「トトロ」コメントや感想文では、風景のなつかしさや子供達の日常描写、トトロやネコバスの造型について述べられたものが数多くあった。いずれも、物語上の構成や場面展開を書き起こして執筆者の解釈を加えた類のものである。しかし、それ以外の人物描写や演出について述べられたものは少ない。
 筆者は本作の世界を支える登場人物は、まず「おとうさん」ではないかと考える。本作のおとうさんには、父の権威を振りかざす封建的態度もなければ、上から教え諭すインテリ風の厳しさもない。かと言って、外では企業戦士を気取りながら、家庭では無口で陰の薄い気弱なダメ亭主でもない。つまり、これまで、テレビドラマなどで描かれて続けて来たステレオタイプの日本的父親像とは決定的に違うのだ。昭和三〇(一九五五)年前後という物語の抽象的時代設定を考えるなら、一層その意義が浮かび上がる。ここにこの作品の現代的意義を感じる。
 「おとうさん」の本名は、「草壁タツオ」。宮崎監督は演出覚書の中で「世慣れたおとなの落ち着きがない分、子供っぽさを残してるが、大事なことはふたりの娘を愛していることである」と記している。より具体的には、「めしをたかせりゃコゲつかせる、風呂をたかせりゃ水を入れ忘れ、寝坊し、約束を忘れ」「突然娘の手をうやうやしくとってダンスを始めたり、悪漢になって娘どもを追いまわしたりする」とある。
 何とも頼りないヘンな父という設定にも見えるのだが、映画本編からは特別そういう印象を強く受けることはない。むしろ、それを補って余りある不思議な安心感を与える父である。物わかりのよい父親を描くのはたやすいが、子供の気持ちと同調して一緒に遊べる父親を描くのは密かな冒険であったのではないか。それは、単に子供にとっての理想的父親像などという抽象的イメージに流された結果ではなく、もっと具体的に計算された演出であろう。また、おそらく監督自身が若い父親だった頃の自分を投影させた設定ではない。むしろ、その逆に自らの自戒を込めた癖の強い父親像なのかも知れない。
 制作当時、監督は自らの子育ての教訓に触れて「ぼくなんか、自分が黙っていても、子どもを追いたててる気がする」と語っている。(注「月刊アニメージュ/八七年十二月号」久保つぎこ氏との対談)
 ところで、この「子どもを追いたてない」父親像は、次作「魔女の宅急便」や、後に宮崎監督が絵コンテを担当した「耳をすませば」にも引き継がれている。盟友・兼ライバルの高畑勲監督は、「耳をすませば」に描かれた大人たちについて以下のように記している。
「扱いにくい岩のカケラのように両親や先生から見られている少年少女にも、こんな嬉しいことを言って励ましてくれるおじいさんが身近にいてくれればどんなにいいことだろう。親や先生もまるで友達のようで、人生を教えてくれそうにもないし…」「この映画はひょっとして、(中略)宮崎駿本人をふくむ仕事人間に徹してきた中高年の男どもに強く反省を迫っている、熟年向けの作品かもしれないぞと。」(「COMIC BOX/九五年九月号」「耳をすませば」特集号より)
 こうした観点から論じられた批評はほとんど見かけなかった。しかしこれは、「トトロ」にも通じる実に鋭い考察ではないか。
 作者がどんな大人を描くのかは、どんな大人であるべきかという自らへの問いかけの側面もある。それは、これだけ中高生の暴力的犯罪や自殺が相次ぐ昨今にあって、子供向けメディアの発信者たちにとって、ますます意義の深まるテーマであろう。ここに改めて、宮崎監督の時代と向き合う先見性と独自性を感じる。
 では、父のこの性格はどんな巧みな背景によって支えられていたのだろうか。
 監督の演出覚書によれば、父の職業は、「若い考古学者。大学の非常勤講師をやりながら、翻訳の仕事で生活している。今は革命的な新学説の大論文を執筆中。縄文時代に農耕があったという仮説を立証しようと週二回の出勤以外は書斎にとじこもっている。」とある。
 何とも変わった設定である。特に映画本編とは直接関わりのない論文の内容を詳述しているのは不思議なこだわりである。実際、父の書斎の美術ボードには、縄文式土器(関東出土の縄文中期・勝板式土器や、晩期の亀ヶ岡式土器と思われる)を描いた額縁が二枚も飾られ、「東北の古代史」「古代の農業」「森と農耕」「アイヌ…」などの蔵書がしっかり描き込まれている。初期に描かれた監督自身によるイメージボードには、畳の上に丸く並んだドングリに「環状列石?」と驚く父の姿まで描かれているのだ。監督のこの設定へのこだわりは尋常ではない。筆者は、昨年「もののけ姫」を論じるに当たって、監督の縄文文化への強い憧れについて何度か書いてきたが、それは一〇年前の「トトロ」に遡ってなお衰えぬものであった。
 草壁タツオの設定には、モデルらしき実在の人物の陰が感じられる。それは、宮崎監督自身が「最も憧れている人物」として度々挙げている藤森栄一という考古学者である。藤森氏こそ、最も早くから「縄文時代農耕起源説」を唱えていた日本考古学界の異端であった。藤森氏の略歴は熱血的情動と波乱に満ちていた。
 戦前の藤森氏は、権威にしがみつく保守的な考古学界の傾向を「脚のない古代史」として痛烈に批判し、フィールドワーク(発掘調査)に基づく独自の古代史を見い出そうと努めていた。一九四一年には出版社・葦牙書房を興し、月刊誌「古代文化」を発行。ところが、翌年戦地へと召集されてしまい、敗戦までをボルネオで過ごす。帰国後は、体をボロボロに病みながらも、研究と執筆を続けた。一九四六年、考古学にまつわるエッセイを集めた自著「かもしかみち」が発行され、読者の大反響を呼ぶが、間もなく出版社が倒産。一九四九年、自身の研究成果を「縄文中期に農耕があった」とする新説を核とする論文「日本原始陸耕の諸問題」を発表。学界の主勢力の批判にさらされる。以降は、古本屋・紙屑屋など職を転々としてジリ貧生活を十数年続けた後、学界へカムバック。闘病を続けながらも、信州・諏訪の古代史を中心に研究・執筆を精力的に展開。一九七三年、六二歳の若さで亡くなっている。
 藤森氏は、物欲や金銭欲と無縁のところで学問に没頭するひたむきさと誠実さを持ち合わせており、その言葉には門外漢であっても心打たれる感動がある。その情熱に打たれて考古学を志した者は数知れないとも言う。藤森氏を突き上げて来た考古学への情熱とは、突き詰めれば自らの足下―つまり人間の根源へと遡る旅への衝動であったのではないか。それは、宮崎監督が「もののけ姫」でとことん追求したモチーフとも一致する。
 「遥けき昔/人ありて/かの人は/ただひたすらに/生きたりき」(一九六四年出版された自著「銅鐸」に藤森氏が記した言葉)
 このロマンチックでありながら、大変に厳しい言葉には、「昔、木と人は仲良しだったんだよ」と優しく語る草壁タツオの原型が伺えないだろうか。縄文の昔、木と人は仲良しであった。
 また、昭和三〇年前後という時代設定は、藤森氏が学界から退いていた時期であるにもかかわらず、学界周辺では「縄文中期農耕論」の賛否が噴出していたと言う。「縄文農耕」関連文献の数も、昭和三〇年では二篇しかなかったものが、昭和三一年では一一篇と五倍以上に膨れている。(藤森栄一著「縄文農耕」巻末資料参照)まさに、ブームの様相を呈していたわけであり、草壁タツオもその最先端を行っていたわけである。彼は、ひょっとすると二十歳頃に「かもしかみち」を熟読して考古学の道へ入り、関東地方のフィールドワークによって藤森氏の学説を補強・体系化しようと努力していたのかも知れない。それもまた、現代考古学にあってなお、最先端の分野である。

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