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國學院久我山バドミントン部コミュの私的エッセイ:久我山羽球記

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中学から私立にいた私は、中3の9月に九支部バスケット大会をベスト4で終え引退した後、半年の高校生活に向けての準備期間を迎えた。
高校でバスケットを続ける事を最初に考えたが、すぐにその考えを改めた。理由はいくつかあるが、外面して言えば、
?高校は全国大会でも常に上位に入る超・強豪であり、関東各地からスター選手が集まりレギュラーを取ることは不可能に近い
?中学時代はレギュラーとはいえ、背番号は8番。ガードや左フォワードをやっていたが、サブメンバーとの交代がよくあった。スタメンとして、スタメン出場メンバーの中では5番目の選手であり、周りへの「迷惑」という意識が強かった。周りの足を引っ張るのは、面白くなかった。(当時は自己嫌悪することが多かった)
?バスケ部は良くも悪くも、個性集団だった。そして中学ではありがちな、陰湿ないじめもあった。私はいじめもしたし、いじめられもした。中学2年の冬、顧問に辞めると言いにいったこともある。レギュラー内でも派閥が出来、チームは常にバラバラだった。集団スポーツへの嫌悪感を持った

・レギュラーになりたい
・自分の力で勝ちたい
・派閥ができても人間関係で嫌な思いをしない部活に入りたい

残念ながら、高校の運動部は個人スポーツも集団スポーツも、「弱い」クラブは無かった。卓球・テニスは校内では弱いとされる東京ベスト16。素人の私が入っても、日の目を見る自信は無かったし、条件の3つうを満たすとは思えなかった。
高校には羽球−バドミントン部があったが、女子部のみ。しかし、男子部を作ってみよう、何がきっかけかは分からなかったが、部活を創ることを思い立ち、思い立ったら居ても経っても居られなかった。
中3の秋から冬は、同級生たちも順次部活を引退し、時間をもてあます。目標がなくなる。受験も無く、全員がエスカレートする(か、より「賢い」受験をする)。
「署名活動」といってイメージをするものではなく、ただ「私が創部しようとしている」という噂が広まっただけで、15名が集まった。
女子バドミントン部の顧問に、その署名リストを持っていった。顧問は、元日本代表選抜まで入った超がつくすごい顧問だった。
そして、正式な申請を高校に入学した4月に提出した。
中3から高1の6月までの約半年、放課後はほぼ毎日走った。アピールでもあり、来るべき日に備えての基礎トレーニングだった。運動部に入部していった同級生たちは、どの部活でもしごかれていたし、自分ももたもたする気にはなれなかった。
そして6月。「バドミントン同好会」が誕生した。

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