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猪口敏平コミュの『戦艦武蔵』

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吉村昭氏の『戦艦武蔵』。
有名すぎる作品のため、お読みになった方がほとんどだとは思いますが、基本ということで取り上げます。
猪口艦長が登場する場面を中心に要約して紹介します。


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昭和19年8月15日、朝倉艦長が退艦し、第四代武蔵艦長として猪口敏平大佐が赴任しました。猪口大佐は砲術学校の教頭をしたこともある帝國海軍屈指の射砲理論の権威。当時すでに機動部隊の擁護が望めない洋上決戦では、猪口大佐の手腕に期待するものが大きく、時宜を得た人事として歓迎されました。

10月17日、「捷」一号作戦発令。
「捷」一号作戦は、4段階の迎撃作戦「捷」号作戦の第1弾であるフィリピン方面決戦。全艦隊が護送船団を攻撃目標とし、敵が上陸を開始してしまったときは港湾内に強行突入するというもの。猪口艦長は射砲理論家の立場から、洋上決戦を強く主張していました。

10月18日リンガ泊地を出港。そして、24日。

第六次攻撃。
第一艦橋に命中した爆弾により、猪口艦長は右肩部に重傷を負いました。治療のために艦内に下り、第二艦橋にいた加藤副長が総指揮を引き継ぎます。

第六次攻撃終了。武蔵が受けた損傷は致命的でした。
猪口艦長は頭部と肩を包帯で巻いて第二艦橋に戻り、再び総指揮をとりました。
シブヤン海の北岸に武蔵を座礁させようと考えた猪口艦長は艦首をその方向へ向けて進めましたが、途中で機関が止まってしまいます。
注排水作業を続行することと、左舷にある重量物を全て右舷に移動させることを猪口艦長は指令しました。駆逐艦に曳航させて近くの島に武蔵を座礁させようとしたのです。
しかし効果はなく、艦の傾斜はしだいに増していきました。
武蔵の沈没を猪口艦長は予想します。

猪口艦長は、加藤副長、工藤防禦指揮官、越野砲術長、三浦通信長、中村機関長を集め、今までの努力をねぎらいながら一人ひとりに感謝しました。
「これを聯合艦隊司令長官に渡してくれ」
と小さな手帳を加藤副長に手渡し、シャープペンシルを差し出しておだやかな口調で言いました。
「記念に、副長にやる」
手帳は遺書であり、シャープペンシルは形見であるに違いなく、猪口艦長は艦と運命をともにすることを決意していたのでした。
「艦長、私もお供をさせてください」
加藤副長がそう言ったのに対し
「いかん。副長は、あくまでも生き残って戦況を報告してもらわねばならない。私の副長に願うことは、乗組員及びその遺族の方々の面倒をみてやってもらうことだ」
と一語一語力を込めるように猪口艦長は言いました。
みな、目に涙を浮かべ、唇をふるわせて泣きました。
猪口艦長は、艦橋にある艦長休憩室に入ると、なかからドアの鍵を閉めました。

武蔵、沈没。

駆逐艦に救助された加藤副長は、懐から猪口艦長の手帳を取り出し開きました。手帳は油紙でかたく包装されていたため濡れていませんでした。シャープペンシルで書かれたらしい文字を辿るうちに、加藤副長の目に涙があふれました。


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死を目前にしてなおおだやかで落ち着いていられる猪口艦長。その思いは猪口艦長の遺書から伝わってきます。武蔵の優れた性能を活かせないまま沈ませることになり、本当はさぞ悔しかっただろうに、と想像します。

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