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ノーメッセージコミュの変化 ノーメッセージから声を上げるという選択肢へ

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ところで軽薄な私にも転換期がやってきた。

多分この世で自分にとって最も重要な人物、
年に数度しか会えないその人と過ごしている穏やかな時間に、
北朝鮮と韓国の砲撃のニュースが飛び込んできた。




私には、少し距離感のあるニュースだった。
ポリティカルであるというだけで全く無条件にそういった物事を閉め出す思考回路を、
私は長年かかって作り上げてきたと思う。

テレビも持たない。
新聞は読まない。
ラジオのニュースも聞かない。
目に入ってしまったものだけを後悔しつつ受け入れて、
私は世界のほとんどを見ずに過ごしてきた。

考えて黙る、のではない、
興味がないから考えない、意見はないから口にもしない、
それだけだ。

ノーメッセージでいることを、私は好んだ。
今もそうだ。
ノーメッセージでありたい。

私は自分の意思など鼻くそほどにも思っていない。
そんなものは平気で揺らぎ、変形させられる不安定なものだ。
腹が痛ければ翻る程度の意思、そんなもの。
メッセージを持つ能わざるがゆえの、その権利のなさからの、である。

軽視であった。
同時に自己への諧謔でもあろう。
いやったらしく矜持、と言い換えてもいい。

そしてやはり、私は守るものや人を持たず、
世界からいちぬけたを決め込む事により、
自我を保護していた、と思う。




私と一緒にいたその人は、
友人からのメールによって知らされたそのニュースに、
声を上げて激しく悪態をついた。
今までに一度も見た事のない姿だ。

そこには、明らかなメッセージがあった。

その人は、韓国に住む友人を多く持っている。
自分にとって大切な人がそこにいるか、どうか、
そんな個人的なことが、その人をそのニュースに向き合わせさせる根元にはある。


けれど、メッセージ性を帯びる理由、そこへ到達するか否か、
その分かれ道はなんでもいいのだ、とそのとき私は思った。
必要なのは理由ではない。
大切なことは、そのメッセージがどんなものであるか、

いや、
本当のことを言えばそれがどんなものであろうと、

発信する者がそれに対して思考したかどうか、
さらには思考したその過程をどれだけ自覚しているか、

それだけが重要なのだ。




思考の過程を自覚した上で、一つの結果を望むとき、
その主体はメッセージを獲得したということになる。




メッセージを持つと人生は本格的に面倒くさくなる。

その面倒を、その人は受け入れていた。
私は、自分にとって大切な人がそうしている、
という現場を目の当たりにすることで、
現金にも、自分が同じようにメッセージを持つということと、
その意味を初めて真正面から捉えてみようと思ったのだった。

私にも、望む世界がある。
かくあれかし、と願う未来の姿があるのだ。

「ノーメッセージである」というアティテュードが矛盾なく成立する世界、
私はそのためにメッセージ性を帯びる事を厭わずに生きてみよう、と思うに至った。

そういうわけで、
このコミュニティは「ノーメッセージ」というタイトルのままでありながら、
少しだけ色合いを変えるかもしれない。

そんな、お知らせです。

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