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万葉集コミュの万葉集 566・567

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566;相聞,作者:大伴百代、送別,羈旅,恋情,枕詞,贈答

[題詞]<大>宰大監大伴宿祢百代等贈驛使歌二首
大宰大監、大伴百代らが駅使(はゆまつかひ)に贈る歌二首

草枕  羈行君乎  愛見  副而曽来四  鹿乃濱邊乎

草枕 旅行く君を 愛しみ たぐひてぞ来し 志賀の浜辺を
 
[くさまくら] たびゆくきみを うるはしみ たぐひてぞこし しかのはまべを

[左注]右一首大監大伴宿祢百代 / (以前天平二年庚午夏六月 帥大伴卿忽生瘡脚疾苦枕席 因此馳驛上奏 望請庶弟稲公姪胡麻呂欲語遺言者 勅右兵庫助大伴宿祢稲公治部少<丞>大伴宿祢胡麻呂兩人 給驛發遣令省卿病 而逕數<旬>幸得平復 于時稲公等以病既療 發府上京 於是大監大伴宿祢百代少典山口忌寸若麻呂及卿男家持等相送驛使 共到夷守驛家 聊飲悲別乃作此歌)

以前(さき)に天平の二年庚午(かのえうま)の夏の六月に、師(そち)大伴卿たちまちに瘡(かさ)を脚に生(な)し、枕(ちん)席(せき)に疾(や)み苦しぶ。
これによりて駅(はゆま)を馳せて上奏し、庶弟(しょてい)稲公(いなきみ)、姪(てつ)胡麻呂(ごまろ)に遺言を語らまく欲りすと望み請ふ。
右兵庫助(みぎのひやうごのすけ)大伴宿禰稲公、治部少丞(ぢぶのせうじょう)大伴宿禰胡麻呂の両人(ふたり)に勅(みことのり)して、駅(はゆま)を賜ひて発遣(つかは)し、卿の病を省(とりみ)しめたまふ。
しかるに、数旬を経て幸く平復すること得たり。時に、稲公ら、病のすでに療(い)えたるをもちて、府を発ちて京に上る。ここに大監大伴宿禰百代、少典山口忌寸若麻呂、また卿の男(こ)家持ら、駅使を相送りてともに夷守(ひなもり)の駅家(うまや)に到り、いささかに飲みて別れを悲しび、すなはちこの歌を作る。
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これから旅行くあなたを慕い

一緒にやって来たよ

志賀の浜辺を
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567;相聞,作者:大伴百代、送別,羈旅,安全,山口

[題詞](<大>宰大監大伴宿祢百代等贈驛使歌二首)


周防在  磐國山乎  将超日者  手向好為与  荒其<道>

周防なる 磐国山を 越えむ日は 手向けよくせよ 荒しその道
 
すはなる いはくにやまを こえむひは たむけよくせよ あらしそのみち 

[左注](同)

「磐国山」は山口県周防市にある欽明路峠あたりか。
大伴旅人が足に腫れ物ができて重症となったとき、山口若麿が世話をしていて、庶弟の稲公と甥の胡麿が筑紫まで見舞いにやって来た。
そして、10日ばかりで回復したので、別れの宴を催して帰京する稲公らに贈ったはなむけの歌。 
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周防国の磐国山を越える日には

神に十分手向けをしなさい

荒くて険しい山道ですよ
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大伴百代 おおとものももよ 生没年未詳
名は百世とも。

天平元年(729)頃、恋の歌四首がある(万葉4-559〜564)。
天平二年(730)正月、大宰府大伴旅人邸での梅花宴に出席、歌を詠む(5-823)。          
この時大宰大監。
同年六月、駅使を送別する宴で歌を詠む(4-566)。
その後帰京し、
天平十年、兵部少輔に任ぜられる。
 美作守・筑紫鎮西府副将軍などを歴任した後、
天平十八年(746)四月、従五位下に叙された。
同年、豊前守に任ぜられ、
翌年正月、正五位下に昇る。
万葉集に七首の歌を残す。
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