ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

万葉集コミュの万葉集 91

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
91;相聞,作者:天智天皇,鏡王女,見る,国見,異伝,贈答,歌垣,奈良

[題詞]近江大津宮御宇天皇代 [天命開別天皇 謚曰天智天皇] / 天皇賜鏡王女御歌一首

妹之家毛  継而見麻思乎  山跡有  大嶋嶺尓  家母有猿尾 [一云 妹之當継而毛見武尓] [一云 家居麻之乎]

いもがいへも つぎてみましを やまとなる おほしまのねに いへもあらましを,[いもがあたり,つぎてもみむに][いへをらましを]

妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる 大島の嶺に 家もあらましを [一云 妹があたり継ぎても見むに] [一云 家居らましを]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
妹之家毛ーいもがいへもー妹が家もー妹(いも) 親愛な女性に対する呼びかけ。鏡女王を指すーおまえの家のあるあたりを  
継而見麻思乎ーつぎてみましをー継ぎて見ましをーいつもいつも眺められるのになあ 
山跡有ーやまとなるー大和なるー大和の  
大嶋嶺尓ーおほしまのねにー大島の嶺にー大島の嶺にー不詳。一説に、大和生駒郡三郷町の高安山。山麓に鏡女王の家があったのであろう。 
家母有猿尾ーいへもあらましをー家もあらましをー俺も家があったらなあ
[一云 妹之當継而毛見武尓]いもがあたり,つぎてもみむに
[一云 家居麻之乎]いへをらましを
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いとおしい人の 家だけでも

いつもいつも眺めていたい

大島の嶺に私の家があれば良いのに
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天智天皇 てんじてんのう 推古三四〜天智一〇(626〜671) 諱:葛城皇子
舒明天皇の皇子。母は斉明天皇。大海人皇子・間人皇女(孝徳天皇皇后)の同母兄。倭姫王(古人大兄の子)を正室とする。大友皇子・大田皇女・菟野皇女(持統天皇)・建皇子・川島皇子・御名部皇女・阿閉皇女(元明天皇)・志貴皇子らの父。
大化元年(645)、藤原鎌足らと共に蘇我入鹿を討殺し、叔父の孝徳天皇が即位すると、皇太子として改新政治に参与する。白雉五年(654)、孝徳天皇は崩じ、母が再祚(斉明天皇)、引き続き皇太子となる。斉明七年(661)、百済救援を目的とする斉明天皇の新羅征討に同行するが、天皇は筑紫で崩じたため、即位の式をあげぬまま皇位を継承した。
天智元年(662)、近江令を制定(『藤氏家伝』)。翌年、兵を新羅に派遣するが、白村江の戦で唐軍に大敗し、百済は滅亡した。同三年、唐・新羅の侵攻に備え、防人を置き、筑紫に水城を築造する。同六年、近江大津宮に遷都。翌年、即位。同九年、日本最初の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成する。同十年、大友皇子を太政大臣に任命する。同年十二月三日、崩御。四十六歳。
その皇統は壬申の乱によってひとたび途絶えたが、奈良朝末期、志貴皇子の子白壁王が即位して(光仁天皇)復活し、その子桓武天皇が平安京を開くに至る。以後も皇位は天智天皇の系譜が引き継がれることとなった。
日本書紀と万葉集に歌を残す。万葉に御作と伝わるのは4首。勅撰集では後撰集に1首、新古今集に1首、玉葉集に2首、新千載集に1首採られている。後撰集の「秋の田の…」の歌は百人一首にも採られた。(千人万首)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<歴史徒然:日本の誕生・日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都 ・「名乗りの分析法」(>より転載。http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/34483668.html

まず反正天皇の名乗りを見てみよう。

 紀は多治比または多遅比の瑞歯別と書き、多遅花とは今の虎杖(いたどり)のことで、天皇が「淡路の宮」で誕生した時、産湯をつかった井戸の中に、その花があったので名付けたと説明が書いてあるが、淡路もタンジ、タジで、天皇の名乗りのタジヒは地名または国名の名乗りであると考えるほうが合理的である。また淡路といえば兵庫県の淡路島だというのが在来の歴史家のお決まりの解説だが、古代の淡島(アワシマ)は、淡島を「オオシマ」と読む奄美大島のことで、淡路島とは、そこへ行く「路(みち)」の島、古代の多執(タジ)島=オオ路島、すなわち「種子島=タネガシマ」以外にはない。その淡島の淡が「アワ=阿波=徳島県」に移動してから、兵庫県の淡路島が生まれたので、〔オオ=淡=阿波・サザキ=讃岐(讃は「讃良皇女=ササラ皇女」のササ)〕すなわちオオサザキ=大雀=仁徳天皇の阿波の国へ行く「路(みち)」の島の淡路島と混乱するから、よく確かめないと、種子島と淡路島との500kmもの距離と移動に要した歴史と時間がフッ飛んでしまう。
 これも日本の古代史を野蛮な化け物に仕立て上げた元凶だったのである。
 だからすでに四国東瑞に移動してきている父・仁徳天皇を考えると、今の淡路島のほうに分(ぶ)がありそうに思えるが、果たして反正天皇時どこで誕生したのであろうか?…。


コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

万葉集 更新情報

万葉集のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング