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万葉集コミュの万葉集87(つづき)

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<転載>
http://blogs.yahoo.co.jp/dokatakayo/20793271.html
とぼけた万葉集 磐姫皇后 嫉妬か、貢献か、
 
 今回は、仁徳天皇の磐姫皇后の御歌四首を、とぼけた視線で見ていきます。

 以下に示すこれらの歌は、磐姫皇后が仁徳天皇の主催の酒宴で使うためのお目出度い「御綱葉(みつなかしは)」を採りに紀伊の熊野岬まで往っていましたが、その留守中を狙って、仁徳天皇が宇遅之若郎女と愛欲に耽っているとの話を聞いた磐姫皇后が怒り狂い、紀伊から難波の仁徳天皇の居る難波高津宮に戻らずに、山背の筒城宮(京都府京田辺市)に別居した故事が背景です。この故事によると、結局、磐姫皇后は二度と仁徳天皇と会うことなく、怒りを抱いたままに亡くなくなられたとされています。
 一方、歌の解釈する上での補足として、磐姫皇后の故事に出て来る「葛城」は、奈良県南西部の葛城地方ではなくて、応神天皇が見た宇治の葛原一帯の「葛城」と思っています。古事記に従うと、山背の筒城宮に住まう磐姫皇后(石之日売命)のために、仁徳天皇によって御名代として「葛城部」が設けられています。この仁徳天皇の事跡として山背国の栗隈県(宇治市大久保付近か)に用水路を建設していますから、磐姫皇后の葛城部は巨椋池への木津川流域の京田辺市・城陽市付近一帯を葛城(後の葛原)と思っています。故郷とするか、新規開発地とするかは、意見が分かれると思いますが、「部」の設置ですから、私は仁徳天皇の時代に筒木(後の綴喜郡)に住む韓人の奴理能美に代表される渡来系の葛城氏(含む鴨氏)一族が、新規に山背の栗隈県一帯に移住し、開墾・開発したと思っています。

 とぼけた視線からは、浮気に怒っての別居か、新規の土地開発を任されての別居か、という風変わりな見方が出てきます。そして、とぼけた人間は、稀代の嫉妬女の代表とされる磐姫皇后を、まったく、別の人物像で見てしまいます。愛する夫の期待や背景の氏族の生活に対し懸命に応えようとする姿です。

 さて、それでは歌を見て行きたいと思います。

難波高津宮御宇天皇代 大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇
磐姫皇后思天皇御作謌四首
 磐姫皇后の、仁徳天皇を想って御作りなされた御歌四首

集歌85 君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 待尓可将待
右一首謌、山上憶良臣類聚歌林載焉。
訓読: 君が行き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ
意訳: 貴方が帰って往かれてからずいぶん日が経ちました。山路を越えて訪ねて迎えにいきましょうか、それともここで待っていましょうか。

集歌86 如此許 戀乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死物呼
訓読: かくばかり恋ひつつあらずは香具山の磐根(いわね)し枕(ま)きて死なましものを
意訳: このように貴方の訪れを恋焦がれているよりは、故郷の傍の香具山の麓で死んでしまいたい

集歌87 在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
訓読: ありつつも君をば待たむ打ち靡く吾が黒髪に霜の置くまでに
意訳: このまま貴方の訪れを待っていましょう。豊かに流れる私の黒髪が霜が降りたように白髪になるまで

集歌88 秋田之 穂上尓霧相 朝霞 何時邊乃方二 我戀将息
訓読: 秋の田の穂の上(うへ)に霧(き)らふ朝霞(あさかすみ)何処(いつ)辺(へ)の方に我が恋やまむ
意訳: 秋の田の稲穂の上に霧が流れて朝霞のようにはっきり見えない私の恋。いついつも私の貴方を慕う気持ちに休まる場所もない。

或本謌曰
集歌89 居明而 君乎者将待 奴婆珠能 吾黒髪尓 霜者零騰文
右一首古謌集中出。
訓読: 居明(いあか)かして君をば待たむぬばたまの吾(わ)が黒髪に霜は降るとも
意訳: 貴方がいらっしゃるというので、貴方がいらっしゃるまで夜を明かしてでもいつまでも貴方を待ちましょう。待ち続けた私の黒髪が霜が降りたように白髪になったとしても。

 どうでしょう。夫の嫉妬に怒り狂って、もう絶対に二度と会わないと誓ってそれを実践した女性の歌でしょうか。私は、そうは思いません。逆に非常に仁徳天皇への恋心の募る磐姫皇后の姿が、浮かび揚がってきます。とぼけた万葉集からは、歴史に異議ありとしたいと思います。

 さて、このとぼけた万葉集の姿からは、仁徳天皇に信頼され木津川から巨椋池一帯の新規土地開発事業を任されて、それを実行している「けなげでたくましい妻」の姿が想像されます。
 ただ、万葉集からの磐姫皇后の姿と日本書紀の磐姫皇后の姿が一致しないとすると、この万葉集の歌はどのように伝承されてきたのでしょうか。歌の表記法から、これらの歌の採録は持統天皇から文武・元明天皇の時代と思われますし、建前では、これらの歌の事件は、人麻呂たちが活躍する二百年から三百年前の出来事です。伝承された説話と歌の内容が一致しないことは、歌詠みならばそれは明らかですので、伝承の経緯について、非常に、興味があります。



 妄想の妄想
 仁徳天皇の時代頃、中国・朝鮮からの渡来系の技術導入で土地開発が急速に行なわれたと思っています。これが、葛城部・壬生部・蝮部(たぢひべ)・ 大日下部・若日下部と呼ばれる新規の開発部落の設置と思っています。
 さて、この「部」と称する開発部落の設置は、新規の田畑の開発への強制でしょうか、利権でしょうか。私は利権と思っています。さらに、朝鮮や中国との窓口になっているのが天皇と称される大王です。その大王が、その権力と武力で渡来の最新鋭の技術者と鉄に代表される金属製品の口利き役になるのです。中央にあっては、大王が直接、渡来系の技術者と旧来からの人民を使って開発し、地方では大王が同盟した者に対してだけ、技術者の口利きや鉄斧などの斡旋を行なったと妄想しています。その当時に京の山代で開墾作業が盛んに行われていたと想像できる歌があり、古事記での仁徳天皇・磐姫皇后の歌では、こんな感じです。

継苗生(つぎねふ)や 山代女(やましろめ)の 木鍬(こくわ)持ち 打ちし大根(おほね) 根白(ねしろ)の 白腕(しろただむき) 枕(ま)かずけばこそ 知らずとも云はめ

継苗生(つぎねふ) 山代女(やましろめ)の 木鍬(こくわ)持ち 打ちし大根(おほね) 騒々(さわさわ)に 汝が家背(いへせ)こそ 打ち渡す 弥(や)が栄(は)え為(な)す 来入(きい)れ参来(まいく)れ 

 さて、古代において、氏族同士の同盟の証は、上位の権力者への祭祈を司る姫巫女の差出と思います。これが、後年に国家神道への統一で姫巫女は「采女」への格下げになるのでしょうが、「采女」の貢の制度の初めではないでしょうか。(姫巫女は、場合によっては神婚儀式も行なうと想像しています。)
 ここで、日本書紀の皇極二年二月に、これに似た記事があります。

國内巫覡等、折取枝葉、懸掛木棉、伺候大臣渡橋之時、爭陳神語入微之説。其巫甚多、不可悉聽。
(國の内の巫覡等、枝葉を折り取りて、木棉を懸掛けて、大臣の橋を渡る時を伺候ひて、爭ぎて神語の入微なる説を陳ぶ。其の巫甚多にして、悉に聽くべからず。)

 およそ、地方から貢がれた姫巫女たちが、当時の最有力者である蘇我蝦夷に対して、氏族を代表しての陳情合戦を行っていた様子が覗えます。この姿からは、「姫巫女」はその背景の氏族にとって、利権争いの窓口でもあります。地方の同じ地域から複数の氏族の「姫巫女」が中央に贈られた場合、容姿端整であれば、大王の好みによっては渡来系の技術者や鉄器などの金属製品の獲得が有利になります。この「姫巫女」達での競争が、嫉妬や浮気などと表現されたのではないでしょうか。
 仁徳天皇の時代では、その最終勝者が磐姫皇后なのでしょう。勝者の証として仁徳天皇の義理の兄の菟道稚朗子の土地であった「葛城部」を手に入れますが、その代償として単身赴任で「葛城部」の開発に専念する磐姫皇后は、平城山の丘から遠く南方におぼろに見える葛城山系を眺めて、故郷か恋しいと歌を詠っています。(「葛城高宮」の「高」は、人麻呂歌集集歌1087や1088から類推して山を意味しますから、葛城高宮は「葛城山にある宮=集落」の意味合いになります。)

継苗生(つぎねふ)や 山代川(やましろかわ)を 宮上り 吾が上れば あをによし 平城を過ぎて 小楯 倭を過ぎ 吾が見が欲し國は 葛城高宮 吾家のあたり

これが、とぼけた万葉集の世界です。

*おまけ*
 舒明天皇と山背大兄皇子との皇位継承騒動で明らかになったように、中臣氏は蘇我氏の支流に当たります。また、日本書紀や古事記には蘇我系の伝承が多く採られています。さらに、推古天皇と蘇我馬子との遣り取りで示されているように、「葛城」は蘇我氏の本拠です。蘇我系の山背大兄皇子の「山背」の称号や天智天皇は「葛城皇子」が少名ですし、その子の持統天皇は「鵜野讚良皇女」が少名ですから、飛鳥・平城京時代の讚良郡や綴喜郡の「葛野」は、「葛城」と同じ場所を示すと、私は想っています。
 この前提を認めると、磐姫皇后物語の伝承は蘇我・中臣(藤原)一族の間で伝承されてきたと想像できます。ただ、万葉集に載る「御作謌四首」は口唱されてきた伝承歌から、採取・創作された新しい歌と、私はとぼけた視線で眺めています。口唱されてきた伝承歌は、先の「つぎねふ」の歌のような形式ではないでしょうか。
 少し、先走りますと、口唱されてきた説話や伝承歌が、地の文と歌に分離され、歌物語の形で一度整備されたのではないかと妄想しています。つまり、地の文が中心ですと古事記のような形ですが、歌が中心ですと大伴田主と石川郎女の相聞歌のような漢文での解説文を持つ相聞和歌のような形式でしょうか。

 本稿は、万葉集を見ていくうちに、マスコミに叩かれるアパグループの女性社長の姿から磐姫皇后の姿を想像し起草しました。もし、想像が違っていたら、申し訳ありません。

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