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万葉集コミュの万葉集85・86・87

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85;相聞,仁徳天皇,作者:磐姫皇后,律令,情詩,閨房詩,大阪,伝承,仮託,恋情,女歌

[題詞]難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首
     (磐姫(いはのひめの)皇后(おほきさき)、仁徳天皇を慕って作った歌四首)

君之行  氣長成奴  山多都祢  迎加将行  <待尓>可将待

きみがゆき けながくなりぬ やまたづね むかへかゆかむ まちにかまたむ

君が行き 日長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ

[左注]右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉
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君之行ーきみがゆきー君が行きーあなたは出かけたままー「行き」は旅行を意味する体言。 「君」は仁徳天皇。 
氣長成奴ーけながくなりぬー日長くなりぬー幾日も過ぎた 
山多都祢ーやまたづねー山尋ねー山路を探して 
迎加将行ーむかへかゆかむー迎へか行かむー迎えに行こうか  
<待尓>可将待ー待ちにか待たむー待ちにか待たむーひたすら耐えて待とうか
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「この一首の歌は、山上憶良臣の類聚歌林に載っている」とある事に注目。
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あなたの行幸は日数長く経ちました

山路をたずねてお迎えに参りましょうか

それともこのままお待ちしましょうか
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磐之媛命 いわのひめのみこと
建内宿禰の子葛城襲津彦の姫。仁徳天皇の皇后。履中天皇・住吉仲皇子・反正天皇・允恭天皇の母。
天皇の側室黒比売・八田皇女に対する激しい嫉妬の話が伝わる。
万葉集最古の作者。
陵墓は『延喜式』に大和添上郡の平城坂上墓とし、奈良市佐紀のヒシアゲ古墳に比定されている。(千人万首)
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仁徳天皇;
古事記の干支崩年に従えば、応神天皇の崩御が西暦393年、仁徳天皇の崩御が西暦427年となり、その間が在位期間となる。名は大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)・聖帝(『日本書紀』)・難波天皇(『万葉集』)。
皇后(前):磐之媛命(いわのひめのみこと、石之日売命。葛城襲津彦の女)
皇后(後):八田皇女(やたのひめみこ、矢田皇女。応神天皇の皇女、母は宮主宅媛(和弭日触使主の女)。菟道稚郎子皇子の同母妹)
 応神天皇の崩御の後、最も有力と目されていたのは皇位継承者の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子であった。宇治天皇(『播磨国風土記』)とも。
父天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、後の仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる。
そして、磐之媛命は「嫉妬女」の象徴のように綴られている。が、歴史の真実は違う気がする。
和弭氏と葛城氏との死闘が隠されているのではないだろうか?
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86;作者:磐姫皇后,律令,情詩,閨房詩,大阪,伝承,仮託,恋情,女歌

[題詞](相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首)

如此許  戀乍不有者  高山之  磐根四巻手  死奈麻死物<呼>

かくばかり こひつつあらずは たかやまの いはねしまきて しなましものを

かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 磐根しまきて 死なましものを
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如此許ーかくばかりーこんなに 
戀乍不有者ーこひつつあらずはー恋ひつつあらずはー苦しい恋ならー 上古、戀(恋)は孤悲とも書く。思う人と逢えないときの感情。「ずは」は、「…ではなくて」「…せずに」などの意味の条件句をつくる連語。 
高山之ーたかやまのー高山の  
磐根四巻手ーいはねしまきてー磐根しまきてー岩を枕にー 山陵の石室に葬られることを言う。前の歌との関連からは、山を探し歩く途中で絶命してしまう意にもなる。 
死奈麻死物<呼>ーしなましものをー死なましものをー死んだ方がましだわ。
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これほどまでに恋いこがれていないで

いっそのこと高山の

岩根を枕に死んでしまいたいものを
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87;相聞,仁徳天皇,作者:磐姫皇后,律令,情詩,閨房詩,大阪,伝承,仮託,恋情,女歌

[題詞](相聞 / 難波高津宮御宇天皇代 [大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇] / 磐姫皇后思天皇御作歌四首)

在管裳  君乎者将待  打靡  吾黒髪尓  霜乃置萬代日

ありつつも きみをばまたむ うちなびく わがくろかみに しものおくまでに

ありつつも 君をば待たむ うち靡く 我が黒髪に 霜の置くまでに
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在管裳ーありつつもー引き続きこの状態での意。 
君乎者将待ーきみをばまたむー君をば待たむーあの人のお帰りを待とう。  
打靡ーうちなびくーうち靡くー長く垂らした髪は歩くたびに靡くように見えることから、「黒髪」を枕詞風に修飾する語として用いた。この歌では、床に投げ出され、横たえられた黒髪のイメージを思い描くべきだろう。 
吾黒髪尓ーわがくろかみにー我が黒髪に  
霜乃置萬代日ーしものおくまでにー霜の置くまでにー「霜」は白髪の暗喩。「か黒き髪に いつの間か 霜の降りけむ
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君のために大切にして 

うち靡かせる私の黒髪ですが

霜が降りたように白髪に変わるまでも

じっとお待ちしていよう
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磐姫(いわのひめ)皇后は仁徳天皇の皇后。ひどく嫉妬深い女性として、『古事記』『日本書紀』に書かれている。天皇が侍女や妃を宮殿に入れることを許さず、ふだんと違う気配があると「足もあがかに妬みたまひき」、つまり地団駄を踏んで嫉妬したという。
  仁徳天皇といえば、民の竈(かまど)の煙が上がらないのを見て税を3年間免除なさったという慈悲深い天皇。しかし、健康な男子たる天皇は、女性も大好きだった。そしてあるとき、決定的な事件が起きた。磐姫が旅行中に、天皇がかねてご執心の異母妹・八田皇女(やたのひめみこ)をこっそりと宮中に入れたのだ。それを知った磐姫は宮中に帰らず、山城国の帰化人の所に身を寄せてしまった。
  慌てた天皇は再三磐姫を迎えに来たが、磐姫は天皇に会うこともなく、5年後にその地で生涯を終えたという。実は磐姫は葛城の豪族の息女で、皇族ではなかった。いっぽう八田皇女は皇族だったから、位は磐姫のほうが低かった。だから、たとえ宮廷に戻ったとしても、彼女の地位はそれまでのようにはいかなかっただろう。
  いずれにしても、気性の激しい女性だったらしい。しかし、激しい嫉妬も深い愛情があってのこと。なお、これら4首は、記紀の伝説から生まれた仮託の歌とされ、実際の作者が誰であるかは分からない。
(「万葉集に親しむ」より)http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/kan3page.htm
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