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万葉集コミュの万葉集 71・72

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71;作者:忍坂部乙麻呂,文武,難波,行幸,従駕,望郷

[題詞]大行天皇幸于難波宮時歌

倭戀  寐之不所宿尓  情無  此渚崎<未>尓  多津鳴倍思哉

やまとこひ いのねらえぬに こころなく このすさきみに たづなくべしや

大和恋ひ 寐の寝らえぬに 心なく この洲崎廻に 鶴鳴くべしや

[左注]右一首忍坂部乙麻呂
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大和をなつかしんで眠られぬとき

つれなくも、この渚崎廻(すさきみ)に鶴が鳴く

そういうことがあって良いものか


大和が恋しくて安眠できないのに

無情にもこの渚崎を廻って

鶴が鳴き騒いでよいものだろうか

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
倭戀ーやまとこひー大和恋ひー大和をなつかしんで(恋しくて) 
寐之不所宿尓ーいのねらえぬにー寐の寝らえぬにー「い」は 「寝る」(眠る)」ことの名詞で、「ぬ」はその動詞形。「いぬる」は「寝(眠)り」を「寝(眠)る」用法。「ねのねらえず」はねることができない。 
情無ーこころなくー情無ー無情にも 
此渚崎<未>尓ーこのすさきみにーこの洲崎廻にーこの渚崎廻(すさきみ)にーこの渚崎を廻って 
多津鳴倍思哉ーたづなくべしやー鶴鳴くべしやー鶴が鳴き騒いでよいものだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・

72;作者:藤原宇合,難波,文武,行幸,従駕,枕詞

[題詞](大行天皇幸于難波宮時歌)

玉藻苅  奥敝波不<榜>  敷妙<乃>  枕之邊人  忘可祢津藻

たまもかる おきへはこがじ しきたへの まくらのあたり わすれかねつも

玉藻刈る 沖へは漕がじ 敷栲の 枕のあたり 忘れかねつも
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・玉藻苅ーたまもかるー玉藻刈るー枕詞。玉藻は沖にあることから 「沖」に、また「敏馬(みぬめ)」「「処女(をとめ)」「辛荷の島」にかかる。 
奥敝波不<榜>ーおきへはこがじー沖へは漕がじー 
敷妙<乃>ーしきたへのー敷栲のー枕詞。敷き妙は寝床に敷くことから「枕」「床」に、「妙」を衣服にもちいたことから「衣」「たもと」「そで」に、寝る意から転じて「家」意に、同音の反復で「黒髪しきて」などにかかる。  
枕之邊人ーまくらのあたりー枕のあたりー枕もとにいた人 
忘可祢津藻ーわすれかねつもー忘れかねつもー忘れられないものを
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
玉藻を刈る海女たちがいる沖には漕ぎ出さないでね

昨夜 旅の宿で枕もとにいた人が忘れられないから

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・文武天皇の難波行幸は慶雲三年(706)で、宇合はこの時わずか十三歳。
旅の宿であてがわれた女への慕情を初々しく詠む。
男として夜伽をあてがわれた翌朝の歌とされています。この「敝」の字には破れるの意味だけでなく、疲れ果てるの意味もあります。ただし、歌には女性の匂いはしても閨の姿は見せません。あくまでも、「枕乃辺」で座って待つ女性です。大人が少年の藤原宇合に昨夜の夜伽の女性との首尾を聞いて、からかったときの答えの歌とすると、とんでもない秀才ですし、男として主導権を持って夜伽の女性を扱ったとする自負があります。それで、二十三歳で遣唐使副使なのでしょう。(万葉集 柿本人麻呂と高市皇子 )より抜粋転載。

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藤原宇合 ふじわらのうまかい 生年未詳〜天平九年(737)
不比等の三男。藤原式家の祖。母は蘇我連子の女娼子。初め名を馬養に作ったが、渡唐後宇合に改める。同母兄に武智麻呂・房前、異母弟に麻呂がいる。子に広嗣・宿奈麻呂・百川らがいる。
慶雲三年(706)九月〜十月の文武天皇難波行幸に従駕し、歌を詠んだことが万葉集巻一に見える。『懐風藻』等記載の年齢によればこの年十三歳。霊亀二年(716)、遣唐使の副使に任命され、翌年出航。養老二年(718)、帰国入京。翌年正五位上に進み、常陸国守に任ぜられる。この時高橋虫麻呂を部下として『常陸国風土記』編述に関与したとの説がある。同年、安房・上総・下総の按察使を兼ねる。養老五年、長屋王の右大臣就任と同時に一挙に四階昇進して正四位上。同年、兄武智麻呂に代わり式部卿に就任。神亀元年(724)四月、持節大将軍となり陸奥へ赴く。同年十一月、来帰。翌年、蝦夷征討の功により従三位勲二等。神亀三年、漢詩「棗賦」を奏上(『経国集』所載)。同年十月、知造難波宮事。同六年、六衛の兵を率いて長屋王邸を囲む。天平三年(731)、参議となる。同年十一月、畿内副惣官。同四年八月、西海道節度使。同六年、正三位に昇る。天平九年(737)八月、薨去(疫病死か)。時に参議式部卿兼大宰帥正三位。漢詩にすぐれ、「翰墨の宗たり。集二巻あり」(公卿補任)。万葉には六首載る。(千人万首)


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