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万葉集コミュの万葉集第1巻52・53

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52;雑歌,藤原,宮廷讃美,御井,枕詞,奈良

[題詞]藤原宮御井歌(藤原宮の御井(みゐ)の歌)

[左注](右歌作者未詳)
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八隅知之ーやすみししー枕詞。
和期大王ーわごおほきみー我ご大君ーわが大王
高照ーたかてらすー高照らすー枕詞。
日之皇子ーひのみこー日の皇子
麁妙乃ーあらたへのー荒栲のー荒野の
藤井我原尓ーふぢゐがはらにー藤井が原にー藤井が原に
大御門ーおほみかどー大御門 ー京を
始賜而ーはじめたまひてー始めたまひてー造られ
埴安乃ーはにやすのー埴安のー埴安の
堤上尓ーつつみのうへにー堤の上にー堤に
在立之ーありたたしーあり立たしー立たれ 
見之賜者ーめしたまへばー見したまへばーご覧になる
日本乃ーやまとのー大和のー大和の
青香具山者ーあをかぐやまはー青香具山はー青き香具山は
日經乃ーひのたてのー日の経のー経(た)ての御門を向き
大御門尓ーおほみかどにー大御門にー東の大門 に立ち
春山<跡>ーはるやまとー春山とー春の山として
之美佐備立有ーしみさびたてりー茂みさび立てりー繁茂し
畝火乃ーうねびのー畝傍の
此美豆山者ーこのみづやまはーこの瑞山はー美しい畝傍山は
日緯能 ーひのよこのー日の緯のー緯(よこ)の御門を向き
大御門尓ーおほみかどにー大御門にー西の大門
弥豆山跡ーみづやまとー瑞山とー瑞々しく 
山佐備伊座ーやまさびいますー山さびいますー鎮まり
耳<為>之ーみみなしのー耳成の
青菅山者ーあをすがやまはー青菅山はー青菅色の耳成山は
背友乃ーそとものー背面のー背面の御門に対し 端麗な姿で神々しく立ち
大御門尓ーおほみかどにー大御門にー北の大門
宣名倍ーよろしなへーぴったりと心にかなって
神佐備立有ーかむさびたてりー神さび立てりー 神々しく立つ
名細ーなぐはしー名ぐはしー名高い
吉野乃山者ーよしののやまはー吉野の山は 
影友乃ーかげとものー影面の 
大御門<従>ーおほみかどゆー大御門ゆー南の大門 から
雲居尓曽ーくもゐにぞー雲居にぞーはるか雲の
遠久有家留ーとほくありけるー遠くありけるー彼方に聳える
高知也ーたかしるやー 高知るや  
天之御蔭ーあめのみかげー天の御蔭ー高く広大な空を写し
天知也ーあめしるやー天知るや
日<之>御影乃ーひのみかげのー日の御蔭のー天に輝く太陽を映す
水許曽婆ーみづこそばー水こそばー水面
常尓有米ーとこしへにあらめーとこしへにあらめー永遠に沸きいづる
御井之清水ーみゐのましみー御井のま清水

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・あまねく統治するわが天皇 高く輝く日の御子は
 
藤井の原に朝廷を新たにお作りになられた

埴安池の堤の上に立ってご覧になるごとに

大和の青き香具山は

東の方角の御門に向かって 春の山として繁り立っている

畝傍のこの瑞々しい山は 

西の方角の御門に向かって 瑞々しい山として鎮座している

耳成の青く菅の茂った山は

北の御門に格好の形で神々しく聳え立っている

名高い吉野の山は

南の御門から遠く雲のかなたにある 

高々と統治なさるよ 天の宮殿 

天高く統治なさるよ 日の御子の宮殿

ここの水こそは永遠にあれ

御井の清水よ
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* 藤原宮(ふじわらのみや) 
持統8年(694)〜和銅3年(710)年、持統天皇(じとうてんのう)が中国の唐の制度を模して建てた都が藤原京です。その藤原京の政治の中心となったところが、現在の奈良県橿原(かしはら)市高殿(たかどの)町で、藤原宮(ふじはらのみや、ふじわらきゅう)と呼ばれるところです。

ちなみに、「藤原宮」という名は、万葉集や日本書紀には出てきますが、「藤原京」という名前は出てきません。ただ一個所、万葉集の「大君の命畏み柔びにし家を置き.....」という長歌の題詞に出てくるだけです。この「藤原京」という名前は、歴史家の喜田貞吉さんが提案されてつけられたと言うことです。(たのしい万葉集」より転載)
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53;雑歌,藤原,宮廷讃美,御井,奈良

[題詞](藤原宮御井歌)短歌

[左注]右歌作者未詳

藤原之  大宮都加倍  安礼衝哉  處女之友者  <乏>吉<呂>賀聞

ふぢはらの おほみやつかへ あれつくや をとめがともは ともしきろかも

藤原の 大宮仕へ 生れ付くや 娘子がともは 羨しきろかも


・・・・・・・・・・・・・
藤原の大宮に仕えるために

生まれついてくる娘子たちは

羨ましい限りだよ
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*  「ろ」は、(き)ろ(かも)と、「き」に続けて用いられる。
この歌の場合、漢字で書けば「羨しき色かも」であり、発音するとき、すぐ上の「き」の影響で「い」が省略され「いろ」の「ろ」が残った形である。

悲しきろかも
尊きろかも
乏しきろかも
羨しきろかも
これらも全て、「いろ」の「い」がなくなり、「ろ」だけとなったの。

* 「采女」は天皇の食事に奉仕した女官。
郡の次官以上の者の子女・姉妹で容姿に優れた者が貢物として天皇に奉られた。
天皇以外は近づくことができず、臣下との結婚は固く禁じられた。

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