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万葉集コミュの万葉集第1巻44

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44;作者:石上麻呂,伊勢,行幸,三重,羈旅,望郷,枕詞


持統天皇の伊勢国行幸に従駕した時の歌。「高みかも。大和の見えぬ。」と、三句・四句で切れる。

[題詞](幸于伊勢國時)石上大臣従駕作歌(石上大臣の従駕(おほみとも)にして作る歌)

吾妹子乎  去来見乃山乎  高三香裳  日本能不所見  國遠見可聞

わぎもこを いざみのやまを たかみかも やまとのみえぬ くにとほみかも

我妹子を いざ見の山を 高みかも 大和の見えぬ 国遠みかも
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妻を「さあ見よう」という「いざ見」の山ではあるが
高々と聳えているためか
大和は見えない
それもこれも 国遠く離れてしまったためか
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いとしい妻をいざ見よう
という名の去来見(いざみ)山が高すぎるのか
大和の国が見えない
それとも国が遠すぎるのかな
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[左注]右日本紀曰 朱鳥六年壬辰春三月丙寅朔戊辰浄<廣>肆廣瀬王等為留守官 於是中納言三輪朝臣高市麻呂脱其冠位E上於朝重諌曰 農作之前車駕未可以動 辛未天皇不従諌 遂幸伊勢 五月乙丑朔庚午御阿胡行宮

右 日本紀にいはく、 
「 朱鳥六年壬辰の春三月丙寅の朔の戊辰に、浄広肆広瀬王等をもちて留守官となす。
ここに中納言三輪朝臣高市麻呂、その冠位を脱ぎて朝に捧げ、重ねて諌めまつりて曰さく、
 『農作の前に車駕いまだもちて動すべからず。』
とまをす。 辛未に、天皇諌めに従ひたまはず、つひに伊勢に幸す。
五月乙丑の朔庚午に、阿胡の行宮に御す。」
*この諫言事件の行幸に従駕して作歌。只ではすまされないであったろう中納言三輪朝臣高市麻呂とは、その後消息を不明にしている柿本人麻呂その人ではないかとの「謎」として、現在も注目されている。
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石上麻呂 いそのかみのまろ 舒明十二〜霊亀三(640〜717)
宇麻呂の子。乙麻呂の父。氏姓は初め物部連。
天武十三年の八色の姓の制定によって物部朝臣となり、のち石上に改姓した。

壬申の乱では最後まで近江方につき、皇子の首を吉野方に引き渡した。
天武朝でも重用され、天武五年(676)、遣新羅大使。持統四年(690)一月、持統天皇即位の際、大楯を立てる。同六年三月、伊勢行幸に従駕し、歌を詠む(万葉1-44)。持統十年(696)十月、舎人50人の私用を許される。大宝元年(701)三月、藤原不比等・紀麻呂と共に大納言となる。同二年八月、兼大宰帥。同四年一月、右大臣。和銅元年(708)一月、正二位。同年三月、左大臣。同三年三月、平城京遷都の際、留守官。霊亀三(717)三月、薨ず(78歳。贈従一位)。
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【主な派生歌】
雲もゐず 秋の月夜は てらせれど やまとは見えず 国とほみかも
 (本居宣長)
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吾妹子乎ーわぎもこをー我妹子をーいとしい妻を  
去来見乃山乎ーいざみのやまをーいざ見の山をー。「いざ見」(さあ見よう)が掛けてある。
( 高見山(三重県・奈良県県境)(たかみさん、たかみやま)は、三重県松阪市(旧飯南郡飯高町)と奈良県吉野郡東吉野村の境界にあり、標高は1248.3m。台高山脈の北端に位置しており、奈良県側の紀ノ川支流の高見川(平野川・杉谷川)と、三重県側の櫛田川の源頭になる。また、この山付近を中央構造線が通っている。)

神話と宗教 (神武天皇東征の際、櫛田川から大和へと入ったとする説があり、山頂にはここに上って四方を見たと謂われる「国見岩」や、道案内を勤めた八咫烏を祀る高角神社がある.)

高三香裳ーたかみかもー高みかもー高すぎるのかな。  
日本能不所見ーやまとのみえぬー大和の見えぬー大和の国が見えな 
國遠見可聞ーくにとほみかもー国遠みかもーそれとも国が遠すぎるのかな。
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(日本書紀と古事記の同時読み)

神代の時代

天地開闢のとき、天地は陰陽の区別もつかない混沌の世界でした。
(陰陽二元論を意識)
そこに神々が登場します。
最初に生まれたのは国常立(クニノトコタチ)国狭槌(クニノサツチ)豊斟渟(トヨクムネ)の3柱です。
この3柱の神は、陽気を受けながら登場したので純粋な「男神」であるとされています。(二元論はどうした?)
その後で、イザナキ・イザナミが誕生して神生みをするのですが、「古事記」との違いは、最後までこの2柱の神で神を生んだとされているところです。
古事記ではアマテラスやツクヨミ、スサノヲなどがイザナキ一人の禊によって生まれたとされていました。
書紀ではイザナキとイザナミが最後に天下の主を得ようとして2柱で生んだとされています。
 古事記と違い書紀では「高天原」とか「黄泉の国」という概念は採用されておらず、黄泉の国の代わりに「根の国」が登場します。
したがってイザナミが火の神を出産するときに大火傷を負って命を落とした話や、イザナキがその妻を追って黄泉の世界に向かうといった話は本文に出て来ません。
「一書に曰く・・・」の一説として書かれているのみなのでした。

スサノヲが根の国に向かう部分では古事記と一致する部分が出て来ます。

根の国に行くよう命じられたスサノヲは別れの時、そのことを姉の天照大神に伝えようと姉のもとへ向かいます。
しかし、大海や山々を震わせながら登って来るスサノヲを見た天照大神は邪な考えがあって登って来るのではないかと疑う。
スサノヲが男神を生んで身の潔白を証明したところまでは良いのですが、その後で大暴れをしだします。
 それに怒った天照大神は天岩戸に篭ってしまうのですが、この辺りは古事記と大抵の部分で一致します。
ヤマタノヲロチをスサノヲが退治する部分も大体一緒だが、スサノヲが降り立った場所は出雲ではなくて安芸国(現在の広島県)となっています。
スサノヲが助けたクシナダヒメとの間にオオアナムジという子供を造ったのですが、この子が後に「少彦名」と共に天下を造る。
スサノヲは須賀の地に降り立ち、オオアナムジの為に宮を建ててその宮をアシナヅチとテナヅチに任せ自分は根の国へと向かった。

伊邪那岐神と妹伊邪那美神は高天原の神(どの神か未詳)の命令で国生み・神生みをおこなった。上に命令する神がいたわけだ。
 後日、伊邪那岐神は左の目を洗って「天照大神」を生み、その「天照大神」を高天原の支配者にした。(これって高天原のクーデターとちがうか?)
 当時、先端強国中国の王朝f理念は「天命」観によっていた。即ち能無き支配者は変革によって交代されるということだ。
 また「陰陽二元論」の世界観も無視できなかったはずだろう。
 万世一系、世襲による王朝維持を基本にしたいわが国の体制官僚としては、全く相容れないこの制度をなんとか咀嚼して、和風同化せねばならなかったろう。そこで天命を下す「天」をわが身内に任せることを思いついたのではないだろうか。そして「神」の立場に居ようとすれば、権力者を立て、その「陰」に隠れてこれを操ればいい。ということになる。

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