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万葉集コミュの 万葉集 第一巻雑歌 2 作者 舒明天皇

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第一巻雑歌 2

[題詞]高市岡本宮御宇天皇代 [息長足日廣額天皇] / 天皇登香具山望國之時御製歌
(飛鳥前期;作者 舒明天皇)

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は


山常庭ーやまとにはー大和には  
村山有ーむらやまあれどー群山あれどー群れなす山々。 
取與呂布ーとりよろふーそれらを従えるー「とり」は接頭語、ととのいそなわる。(自ハ四) 
天乃香具山ーあめのかぐやまー天の香具山 
騰立ーのぼりたちー登り立ちーその山に登り
國見乎為者ーくにみをすればー国見をすればー國見するー天皇の儀式。國原波ーくにはらはー国原はー平野には、  
煙立龍ーけぶりたちたつー煙立ち立つーかまどの煙りが立ち上り、(温泉の煙とも) 煙ー 水蒸気、陽炎、人家の炊煙など。
海原波ーうなはらはー海原はー広々とした池には、水面には。 
加萬目立多都ーかまめたちたつー鴎立ち立つー鴎が舞う。 
怜A國曽ーうましくにぞーうまし国ぞー豊かな地であれ、 
蜻嶋ーあきづしまー蜻蛉島ー枕詞。日本国の異称。 
八間跡能國者ーやまとのくにはー大和の国はー大和の國よ。

◎ 天の香具山からは「海原」は見えないということであるが、ここはおおらかに、天から降り下った天の「香具山」として、その遥か上方から国中を見渡した、ということにする。

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万葉雑記 難訓歌の周辺<ブログ[万葉集 柿本人麻呂と高市皇子]より転載。
http://blogs.yahoo.co.jp/dokatakayo/folder/1147375.html

集歌2 

山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜可國曽 蜻嶋 八間跡能國者

訓読 大和には 群山(むらやま)あれど 取り装(よ)ろふ 天の香具山 騰(のぼ)り立ち 国見をすれば 国原(くにはら)は 煙立ち立つ 海原(うなはら)は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は

意訳 大和には多くの山があるが、とりわけて立派に装っている天の香具山、その頂に登り立って国見をすると、国々の野原には家々からの煙が立ち、海原には鴎が飛び交っている。美しい国よ、蜻蛉島大和の国は


舒明天皇 じょめいてんのう 生年未詳〜舒明十三(641) 諱:田村皇子

敏達天皇の孫。彦人大兄皇子の子。
母は糠手姫(ぬかてひめ)皇女。
宝皇女との間に葛城皇子(中大兄皇子)・間人皇女(孝徳皇后)・大海人皇子、
夫人の法提郎媛(蘇我馬子の女)との間に古人大兄皇子をもうける。

推古三十六年(628)三月、推古天皇が崩じ、山背大兄皇子と共に後事を託される。
翌年一月、蘇我蝦夷の後援により即位。
舒明二年(630)、宝皇女を后に立てる。
同年八月、犬上三田耜・恵日らを唐に派遣(第1次遣唐使)。
十月、飛鳥岡本宮に遷都。
舒明十一年(639)七月、百済川の辺(高市郡)に大宮・大寺(百済大寺)を造営する。
同年十二月、伊予の湯行幸。
翌年四月、伊予より還御し、厩坂宮に移る。
同年十月、南淵請安・高向玄理らが唐から帰国すると、重用し、官制などを整備させる。
同月、百済宮に移り、
翌年の舒明十三年十月、崩御(49歳)。

桜井市の押坂陵に葬られる。和風諡号は息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)天皇。高市天皇・岡本天皇とも呼ばれる。

天皇、香具山に登りて望国(くにみ)したまふ時の御製歌

大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は かまめ立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は
ここ大和には、山がたくさん寄り集まっているが、とりよろふ(語義未詳)天の香具山に登り、頂に立って領土を見渡せば、人の住む広々とした平野には、靄が立ちこめている。広々とした海では、あちこちで鴎が飛び立つ。豊かなよい国だよ、蜻蛉島と呼ばれる、日本の国は。
◇とりよろふ 未詳。《とりわけすぐれている》《拠り所とする》など諸説ある。
◇国見 高所から国を見渡すこと。もともと、支配者が春などにおこなう儀礼の一つであったらしい。
◇煙 水蒸気、陽炎、人家の炊煙など。
◇海原 奈良盆地は洪積世末期から沖積世にかけて、海湾→海水湖→淡水湖→盆地と変化した。舒明天皇の頃(西暦七世紀)、大和郡山あたりまではまだ湿地帯であったので、これを海原と言った(樋口清之説)。埴安の池など、天の香具山周辺の池を言ったという説もある。和歌雑記「天の香具山と『海原』」参照。

【ゆかりの地】天の香具山 奈良県橿原市。大和三山の一つ。天から降ってきた山であるとの伝承があり(伊予国風土記逸文)、それゆえ《天の》が付いたらしい。

【主な派生歌】
冬の来て  降りみ降らずみ 大和には むら山ありて 行く時雨かな 
 (正広)
飛火もり 見かもとがめむ 蚊遣火の けむり立ちたつ 遠かたの里
 (田安宗武)
高見山 ことにし有りけり のぼりたち かへり見すれど 国見えなくに
 (本居宣長)
倭には 村山あれど たふときは 畝火耳なし 天の香具やま
 (大橋長広)

崗本天皇の御製歌一首

夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は こよひは鳴かず 寝(い)ねにけらしも
(万8-1511)

夕方になると、いつも小倉山で鳴く鹿が、今夜は鳴かないぞ。もう寝てしまったらしいなあ。

「小倉の山」は不詳。奈良県桜井市あたりの山かと言う。平安期以後の歌枕小倉山(京都市右京区)とは別。

【主な派生歌】

夕づく夜 をぐらの山に なく鹿の こゑの内にや 秋は暮るらむ
 (紀貫之[古今])
鹿のねは 近くすれども 山田守 おどろかさぬは いねにけらしも
 (藤原行家)
(出典)千人万首

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