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万葉集コミュの万葉集 529

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4 529;相聞,作者:坂上郎女

[題詞]又大伴坂上郎女歌一首


[原文] 佐保河乃  涯之官能  <少>歴木莫苅焉  在乍毛  張之来者  立隠金

* 「岸のつかさ「 崖の小高くなったところ。
* 「立ち隠るがね」 隠れるように。隠れようから。
  「がね」は連体形に付いて理由や目的を示す助詞。
  「隠る」は四段・下二段両形の活用をしたが、この場合は四段動詞。


佐保川の 岸のつかさの 柴な刈りそね ありつつも 春し来たらば 立ち隠るがね 
[仮名] さほがはの きしのつかさの しばなかりそね ありつつも はるしきたらば たちかくるがね

野遊び,奈良,植物,贈答

佐保川の小高い土手の草を刈らないで 

そのままにしておいてよ

春になったなら

その繁みの陰に隠れて恋人に逢うのだから


旋頭歌;
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

旋頭歌(せどうか)は、奈良時代における和歌の一形式。『古事記』『日本書紀』『万葉集』などに作品が見られる。

五七七を2回繰り返した6句からなり、上三句と下三句とで詠み手の立場がことなる歌が多い。頭句(第一句)を再び旋(めぐ)らすことから、旋頭歌と呼ばれる。五七七の片歌を2人で唱和または問答したことから発生したと考えられている。

国文学者の久松潜一は『上代日本文学の研究』において、旋頭歌の本質は問答的に口誦するところにあるとの考えを示し、他の研究者もこれを支持している。一人で詠作する歌体もあるが、これは柿本人麻呂によって創造されたとの説がある。


『古事記』では伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)と大久米命(おほくめのみこと)との問答として次の歌が収録されている[3]。

胡鷰子鶺鴒 千鳥ま鵐 など黥ける利目 (一八)
あめつつ ちどりましとと などさけるとめ

媛女に 直に遇はむと 我が黥ける利目 (一九)
おとめに ただにあはむと わがさけるとめ

『万葉集』からも例を挙げる[4]。次は旋頭歌本来の問答・唱和形式のものである。

住吉(すみのえ)の 小田(おだ)を刈らす子 奴(やっこ)かもなき 奴あれど 妹(いも)がみために 私田(わたくしだ)刈る (一二七五)
(現代語訳)住吉の小田を刈っておいでの若い衆、奴はいないのかね。何の何の、奴はいるんだが、いとしい女子のおためにと、私田を刈っているのさ。


次の例は問答歌ではないが、第三句と第六句とが共通であり、うたわれたものと考えられている。

霰(あられ)降り 遠江(とほつあふみ)の 吾跡川(あとかわ)柳 刈れども またも生ふという 吾跡川(あとかわ)柳 (一二九三)
(現代語訳)遠江の吾跡川[5]の柳よ。刈っても刈っても、また生い茂るという吾跡川の柳よ。




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