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万葉集コミュの万葉集357〜363

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357;雑歌,作者:山部赤人,縄の浦,兵庫,羈旅

[題詞]山部宿祢赤人歌六首


[原文]縄浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下

[訓読]縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島漕ぎ廻る舟は釣りしすらしも

[仮名],なはのうらゆ,そがひにみゆる,おきつしま,こぎみるふねは,つりしすらしも


縄の浦を通って振り返ると

はるか沖合に見える島

あの島あたりを漕いでいる舟は

まだ釣りのまっ最中らしい


縄の浦 (相生市・歴史街道)

相生湾を抱え込むように伸びる金ケ崎と釜崎のふたつの岬。
東側の岬、金ケ崎は万葉の岬と呼ばれ、瀬戸内海へ向かって180度の視界が開け、沖合いにかすむ淡路島、家島群島、本土側は明石海峡から岡山県の牛窓までを望むことができる。

岬の眼前には辛荷の島、室の浦など1200年前の昔、山部赤人らが船旅の途次に眺め、歌に詠んだ景観を目の当たりにすることができる。 
縄の浦とは相生湾、奥つ島は沖つ島で鬘(かずら)島のことである。 


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358;雑歌,作者:山部赤人,武庫の浦,兵庫,羈旅

[題詞](山部宿祢赤人歌六首)


[原文]武庫浦乎 榜轉小舟 粟嶋矣 背尓見乍 乏小舟

[訓読]武庫の浦を漕ぎ廻る小舟粟島をそがひに見つつ羨しき小舟

[仮名],むこのうらを,こぎみるをぶね,あはしまを,そがひにみつつ,ともしきをぶね

* 「武庫の浦」は武武庫川河口付近。粟島は不詳。四国との説もある。「逢はむ」を響かせる。


武庫の浦を漕ぎ巡ってゆく小舟よ

淡路島を背に見ながら都に向かう

羨ましい小舟よ


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359;雑歌,作者:山部赤人,阿倍の島,大阪,和歌山,羈旅

(山部宿祢赤人歌六首)

[原文] 阿倍乃嶋  宇乃住石尓  依浪  間無比来  日本師所念

[訓読] 阿倍の島 鵜の住む磯に 寄する波 間なくこのころ 大和し思ほゆ

[仮名] あへのしま うのすむいそに よするなみ まなくこのころ やまとしおもほゆ

* 「阿倍の島」は未詳。大阪市の阿倍野をあてる説など、諸説ある。


阿倍の島の鵜の棲みつく磯に

絶え間なく寄せる波のように

この頃は絶えず大和が思われるよ


【主な派生歌】

あべの島 いはうつ波の よるさえて すむともきかぬ 千鳥なくなり  (*宗尊親王)

夕づく日 残らぬ色や あべの島 鵜のすむ石の うへにみゆらん  (後柏原天皇)

あべのしま 鵜のゐる岩ほ かげ高み 夕日かくれる 波のすずしさ  (三条西実隆)



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360;雑歌,作者:山部赤人,羈旅

[題詞](山部宿祢赤人歌六首)


[原文] 塩干去者  玉藻苅蔵  家妹之  濱L乞者  何矣示

[訓読] 潮干なば 玉藻刈りつめ 家の妹が 浜づと乞はば 何を示さむ

[仮名] しほひなば たまもかりつめ いへのいもが はまづとこはば なにをしめさむ


潮が引いたら美しい海藻を刈り集めておこう

家の妻が浜のお土産はと請うだろう

この玉藻以外に何を示せばよいだろう


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361;雑歌,作者:山部赤人,羈旅

[題詞](山部宿祢赤人歌六首)


[原文] 秋風乃  寒朝開乎  佐農能岡  将超公尓  衣借益矣

[訓読] 秋風の 寒き朝明を 佐農の岡 越ゆらむ君に 衣貸さましを

[仮名] あきかぜの さむきあさけを さぬのをか, ゆらむきみに きぬかさましを

秋風がこんなに冷たい夜明を

佐農の岡を越えているだろうあなた

私の着物を貸してあげればよかったな

土地の娘が旅人に贈った歌として詠むか。

「佐農の岡」は不詳。
兵庫県揖保郡新宮町佐野、和歌山県新宮市佐野、大阪府貝塚市佐野など諸説ある。(千人万首)



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362;雑歌,作者:山部赤人,羈旅

[題詞](山部宿祢赤人歌六首)


[原文] 美沙居  石轉尓生  名乗藻乃  名者告志<弖>余  親者知友

[訓読] みさご居る 磯廻に生ふる なのりその 名は告らしてよ 親は知るとも

[仮名] [みさごゐる] いそみにおふる [なのりその] なはのらしてよ おやはしるとも

* [ ]は枕詞。「名」に掛かる序詞。
* みさご: 入江近くに棲み魚をとる。夫婦仲の良い鳥。タカ科の鳥。
* 「みさご居る」は「磯」「荒磯」等に掛かる枕詞風修飾句として用いられた。
* これも土地の娘と旅人の恋の風情か。


みさごのいる磯に生える名乗藻ではないが

思い切って名をおっしゃいな 

親に気づかれたとしてもかまわないから


「名告藻」と衣通郎姫

とこしへに 君も遇へやも いさなとり 海の浜藻の 寄る時々を(日本書紀)

時に天皇、衣通郎姫に謂(かた)りて曰(のたま)はく、「是の歌、他人(あたしひと)にな聆(き)かせそ。皇后、聞きたまはば必ず大きに恨みたまはむ」とのたまふ。故(かれ)、時の人、浜藻をなづけて「なのりそも」と謂(い)へり。

<いつも、あなたに逢いたいけれど、そんなことができるでしょうか。海の浜辺に藻が寄せるように、時々しかあなたは寄ってくれないのに>

 允恭天皇は衣通郎姫に夢中であったが、皇后の嫉妬を怖れ、姫を河内の茅渟宮に住まわせた。その後、しばしば狩をすると言っては茅渟宮に行幸したが、皇后から釘をさされ、足を遠のけざるを得なくなった。一年経ち、久しぶりに茅渟宮を訪れた天皇に対し、衣通郎姫が詠んだのが上の歌であるという。天皇はこの歌を聞き「皇后が聞けば恨むであろうから、誰にも聞かせてはならない」と姫に言い聞かせた。以来、時の人々は浜藻を「なのりそ藻」(「なのりそ」は(な・・・そ)「名告ってはならない」の意)と呼ぶようになったという。


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363;雑歌,作者:山部赤人,羈旅,異伝

[題詞](山部宿祢赤人歌六首)或本歌曰


[原文] 美沙居  荒礒尓生  名乗藻乃  <吉>名者告世  父母者知友

[訓読] みさご居る 荒磯に生ふる なのりその よし名は告らせ 親は知るとも

[仮名] [みさごゐる] ありそにおふる [なのりその] よしなはのらせ おやはしるとも

* [ ]は枕詞。「名」に掛かる序詞。


みさごのいる荒磯に生える名乗藻のように

さああなたの名前を教えてくれ

親に知れたとしても


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山部赤人 やまべのあかひと 生没年未詳

奈良時代の歌人。制作年の知られる歌はすべて聖武天皇代の作である。
神亀元年(724)の紀伊国行幸、同二年の吉野行幸・難波行幸、同三年の播磨国印南野行幸、
天平六年(734)年の難波行幸、同八年の吉野行幸などに従駕し、土地讃めの歌を作る。伊予温泉や勝鹿真間、田子の浦などで詠んだと思われる歌もあり、広く各地を旅していたらしい。閲歴は全く不明であるが、下級官人であったろうと推測される。また故藤原不比等邸の「山池」を詠んだ歌があり、藤原氏との深い関係が窺われる。

万葉集収載歌は長歌十三首、短歌三十七首。三十六人集(歌仙家集)の一巻として伝わる『赤人集』は、大半が万葉集巻十の作者不明歌で占められており、万葉集抄出本と呼ぶべきものである。

古来柿本人麻呂と並称された歌仙。大伴家持の書簡に記された「山柿の門」の「山」は赤人を指すと見る説が有力であり(但し山上憶良説などもある)、古今集序では人麻呂と共に歌仙として仰がれている。勅撰集には拾遺集を始め五十首程入集している。

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