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2ちゃんねるコミュの東京kittyニュース - 和歌から日本の謎に迫る - 2(@w荒

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以下で述べた様に、和歌は日本人の集合無意識の有り様を示してもいる(@w荒

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=57155106&comm_id=17

しかしより具に(つぶさに)見れば、和歌の背後には日本の歴史上の大きな謎が横たわっている(@w荒

1600年、関が原の戦いにおいて東軍に与(くみ)した細川幽斎は、石田光成の軍によって丹後国の田辺城を包囲された(@w荒

処が時の後陽成天皇は古今伝授と呼ばれる古今和歌集に関わるとされる和歌の秘密が断絶するのを恐れ、勅使を送って城の包囲を解かせ、幽斎を救った(@w荒

古今和歌集は延喜5年(西暦905年)に醍醐天皇の勅命により万葉集後に初めて編纂された勅撰和歌集で、編者は紀貫之、そしてその従兄弟である紀友則、凡河内躬恒、更に上記の参考1にも述べた壬生忠岑である(@w荒

この古今和歌集の編纂に関する公の歴史を見てみよう。

最初編者たちが巷の和歌を集めてみたところ、恋の和歌ばかりであった。これでは勅撰和歌集として相応しくないとのことで恋愛以外の歌も集めよとの命令が下り、それでも足りないときは編者たちが和歌を作って均衡を取れとされ再び和歌を集めてみたが矢張り足りなかった。結局古今和歌集約1100首のうち、5分の1以上が編者たちの作ということになってしまった。その作業の過酷さのためか紀友則は古今和歌集完成前に没してしまった(@w荒

処が古今和歌集に関しては秘伝があり、これが後に代々伝えられて古今伝授とされた。その存在は、公式には藤原定歌の嫡流である二条家の末流で、歌人の東常緑が二条流派の歌学を室町時代に集成し、中世連歌の大成者・宗祗に伝えたことで明らかになった

秘密を知っていたのは編者のうち紀貫之のみで、更に後に百人一首を作った藤原定家に伝えられた。そのため百人一首にも和歌の秘密が刻み込まれているのではないかという説があり、例えば太田明は百人一首は歌番号の操作を通じて陰陽道の奥義である魔方陣を示しているという説を発表している(@w荒

だが当時の人々がその様な数学的真理を表現するために和歌を使ったかについてはヲレは疑問に思う。藤原定家が数学に精しかった(くわしかった)とは思わない。現在数独というパズルがSudokuという名で世界的に流行している。名前は日本語に由来するが、そもそもは18世紀のスイスの数学者レオンハルト・オイラーが考え出した一種の魔方陣である「ラテン方陣」に由来する。一般的な魔方陣の歴史は更に古く、易の八卦に由来すると思われる陰陽道の魔方陣に就いて考えても、10×10の魔方陣を作るのは数学的に相当厄介である。定家の経歴の何処を見てもそのような高等数学の素養や教養があったとはをもえない(@w荒

ただ、歌番号の操作などは確かに秘密の一端を担っている可能性がある。例えば太田が述べている様に、定家の流れを引く冷泉派の「五個の秘歌」は百人一首の中の忠岑、家持、忠通、実朝、経信の歌であるが、これらの百人一首での歌番号は夫々30, 6, 76, 93, 71で合計276、そして「百人秀歌」では24, 5,79, 98, 70で矢張り合計は276となる。このような歌番号に関連した怪しい数字の符合は枚挙に暇が無い(@w荒

和歌それ自体が暗号として機能する場合も多い。
例えば

唐衣
 きつつなれにし
  妻しあれば
   はるばる来ぬる
    旅をしぞ思ふ

という古今和歌集410番の歌は、ひらがなで書いて濁点を取ると

からころも
きつつなれにし
つましあれは
はるはるきぬる
たひをしそおもふ

各行の最初の文字を取ると、「杜若(かきつばた)」という花の名前が出てくる。
また、各行の最後の文字を取って下から読めば「古橋藻(ふるはしも)」が出てくる。

つまり、古き由来のある八橋と、川で揺らぐ藻を歌い込めている訳で、歌い手が何処で何を見ながらこの歌を詠んでいるかが判る訳だ(@w荒

これは折句と呼ばれる技法である。

所謂「いろは歌」にもこのような技法は用いられている。

いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす

で各行の最後を上から並べると「咎無くて死す(とかなくてしす)」となる。
いろは歌自体は平安時代に出来ているが、江戸時代にこれを見た人々はいろは歌が47音から成立していることと赤穂浪士が47士である事に鑑み、正に主君の仇を討ちつつも幕府の不当な裁きで死んだ「咎無くて死す」人々と見てこの歌を称揚した様である(@w荒

詩人の篠原央憲はこれは柿本人麻呂が恨みを刻んで作ったものとしているが、彼自身が詠んだというのは時代が合わない。また、柿本人麻呂と言えば、井沢元彦が上のいろは歌で「の」の文字を中心に、「か」と「き」が対称に、また「と」と「も」が対称なのを見て「かきのもと」が読み込まれているという説を出している。矢張り時代は違うものの、「咎無くて死す」と併せて何かの手がかりとして後世に解読させるものとして残した可能性は捨てきれない(@w荒

梅原猛は「水底の歌−柿本人麻呂論」の中で人麻呂が猿丸太夫であるとの主張を展開し、人麻呂が政争に巻き込まれて刑死し恨みを残したとしたが、学会からは受け入れられず、また著作としてもそれ以前に梅原が書いた「隠された十字架 法隆寺論」ほどの面白さも鋭さも感じられない(@w荒

また、人麻呂の万葉集の和歌を韓国語で解読した「人麻呂の暗号」という本があるが、牽強付会な処が多いと学会では評価されている。当時は渡来人も多く、韓国語が日本語の祖先という意見もあるが、魏志倭人伝に見る邪馬台国の風俗は刺青(いれずみ)を入れるなど明らかに南方系であり、日本語が韓国語同様に膠着語であり、漢字語と助詞などをつなげて簡単に翻訳できる部分があるのは確かだが、膠着語は別に北方語だけでなく南方語にもある(@w荒


さて柿本人麻呂についてはこれまでにして本題に戻ろう(@w荒

後陽成天皇は、細川幽斎が討死すると古今伝授を伝える者がいなくなるので、本朝の
神道奥義、和歌の秘密が永く絶え、神国の掟も空しくなることを憂えたという(@w荒

天皇のお言葉から判断するに、古今伝授には日本の最大の謎というべきものが隠されているのだ(@w荒

実際に細川幽斎の後には古今伝授は智仁親王、更に後水尾天皇へと伝えられ、以後朝廷の行事となった。その内容だが、秘事は不明だが、秘事を伝えている特定の語句は何かということは判っている。

それは「三木三鳥」で、「三木」は「をがたまの木」、「かわなぐさ」、「めどに削り花」で、「三鳥」は「よぶこどり」、「ももちどり」、「いなおおせどり」である。三木は三鳥より重しとされている(@w荒

但し、この古今伝授を出鱈目とする説もある。

国学の大家である本居宣長はその巨魁であり、万葉集の歌に源を有する「排蘆小船(あしわけおぶね)」という著作において、金儲けのために東常緑が古今伝授というインチキをでっち上げたとしている。

本居宣長自体は、小林秀雄の「本居宣長」を読んでから高く評価しており、その著作も「玉勝間」などを繙く(ひもとく)事もあるが、この古今伝授に関する見解は温い(ぬるい)としか謂い様が無い。

宣長の意図は判っている。排蘆小船はこの後の石上私淑言と共に宣長の生前は発表されなかった著作で、和歌の固定化や形式化を排し、和歌を政治から解放してヲレが前に述べた日本人の集合無意識の「赤心」が感じる世界の有様つまり「もののあはれ」を追求するために古今伝授は邪魔だったのだ(@w荒

だが和歌は単に個人の感情を歌うという役割だけでなく、折句の例などで上述した様に色々な意味を込めた暗号としての役割や、また複数の歌の相対的位置関係から浮かび上がる複雑な意味生成機能を持っている。抑(そもそも)宣長の意図に牽強付会というか、自己矛盾的なものが存在していたことは否めない(@w荒

また宣長の論に駁していくと、

1)「呼子鳥(よぶこどり)」が秘伝というが、古今集以後の歌に呼子鳥を詠んだ歌が多い。当時の人はそれが何か知っていたわけで、別に秘伝ではなかった筈だ。時代が下るにつれてそれが何か判らなくなったから秘事とすることが出来ただけのことである、と宣長は述べている(@w荒

これは兼好法師も徒然草の中で述べていることで、

喚子鳥は春のものなり」とばかりいひて、いかなる鳥ともさだかに記せる物なし。ある眞言書の中に、喚子鳥なくとき招魂の法をば行ふ次第あり。
これは鵺なり。
萬葉集の長歌に、「霞たつ永き春日」のなど續けたり。鵺鳥(ぬえどり)も喚子鳥のことざまに通ひてきこゆ。

として、呼子鳥は「鵺」として用いられる場合がある例を挙げているが、万葉集の中では郭公(かっこう)(この場合はホトトギスではない)や虎鶫(とらつぐみ)が呼子鳥である場合もある(@w荒

だが、歌の中で用いられる「呼子鳥」がどのような鳥かという事より、呼子鳥を歌に用いる状況や他の歌との相関関係こそが本当は重要であり、語句の直接的意味ではなく謎解きの鍵としてその存在が与えられていると考えれば呼子鳥が秘伝で無いとする宣長の説は底が浅いことが判る。和歌は単に表面的な感情の意味だけでなく暗号が隠されている場合がある。それは上の兼好法師が二条為世から古今伝授を受けた頓阿と行った以下の歌の遣り取りでも明白である。

よもすずし 
ねざめのかりほ 
たまくらも 
まそでの秋に 
へだて無きかぜ(兼好)

よるもうし 
ねたくわがせこ 
はては来ず 
なほざりにだに 
しばしとひませ(頓阿)

さて折句法で解析すると、各行の最初の文字を上から並べると、「米給へ」に対して「米は無し」であり、また各行の最後の文字を下から並べると「銭も欲し」に対して「銭少し」となる(@w荒

「腹減った。米くれよ」という兼好に対して、「残念、米はないよ」と頓阿が返し、「うーん、手元不如意で金も欲しいんだ」という兼好に対して、「あー、悪いな、金も少ししかないんだよ」と頓阿が返しているわけである(@w荒


2)宣長は、「古今伝授はインチキだが朝廷の重要な行事なので尊重する」と述べている。

あれあれー?(@wぷ

本当にインチキなものだったらどうして朝廷が態々(わざわざ)細川幽斎から古今伝授を受けるのかな?(@w荒

それにインチキだと判っているものを尊重するなんて、抑(そもそも)漢意などの「からごころ」から来る作為を排する宣長の根本的な思想に反するんぢゃあないのかな?(@wぷ

逃がしませんよー(@wぷ


国学の泰斗であり、ヲレも高く評価する本居宣長ではあるが、古今伝授の件に関しては少々前のめりに成りすぎて和歌が抑(そもそも)持っている暗号性や相対性を見失っている様なので簡単に論破させてもらった(@w荒

朝廷が古今伝授を細川幽斎からある意味で「お召し上げ」になったのは、それが日本の謎や秘密を明らかにする鍵となる可能性のあるもので、いつ戦乱で落命するか判らない戦国武将の細川幽斎に任せておけない類のものだからだろうな(@w荒

「和歌から日本の謎に迫る - 3」以後では、その謎に具体的に迫ってみようとをもう(@w荒

コメント(18)

ちょっと拡大解釈が過ぎるんぢゃないか(@w忍
魔方陣は行き過ぎと思うが、
古事記や日本書紀などを見ると、
中国的な思想がかなり入ってきている様で、
古今和歌集が往古の日本の謎や秘密を隠しているとしたら
それが関係している可能性はあるね(@w荒

http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=nami-sakura&articleId=10637285184&frm_src=article_articleList

このblog面白いぜ
リンクしないから
幻の桜「吉野川 地獄の構造」
でググりませ
「三木」を見てみると、巻第十で

「をがたまの木」は

みよしのの吉野のたきにうかびいづる泡をか玉のきゆと見つらん


「かわなぐさ」は

うばたまの夢になにかはなぐさまんうつつにだにもあかぬ心を


「めどに削り花」は

花の木にあらざらめどもさきにけりふりにしこのみなる時もがな

だな(@w荒
多分日本書紀と古事記の記述の齟齬の解釈の仕方でも出てくるのだろうな(@wぷ
島崎和歌子の顔は好きだが、酒癖が悪いというのがどうもな

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