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保守主義コミュのそもそも保守思想とは何か?

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そもそも保守思想とは何なのか?が気になったので、ちょっと考えてみました。
読みにくい雑文ですが、よかったらご笑覧くださいませ。


まず保守思想は人間の合理的精神、理性を万能とは程遠い不完全なものであると考えます。

諸科学の仮説の前提は、突き詰めればすべてその根拠を合理的には説明不可能であり、結局は人間の感性に基づくものであります。
その感性に基づく前提が何故正しいとされるかと言えば、それが歴史的に人々の経験による承認を受けてきたものであるからであります。
つまり、あらゆる科学の根源には感性や経験の歴史的蓄積、伝統が胚胎しているのです。

そして人間の感性とは、合理的には解決し難い複雑な葛藤や矛盾を含んでいます。
愛憎、生死、善悪など合理的には割り切れない錯綜がそこには渦巻いています。
合理的には統御し難いそれら葛藤や矛盾をどうにか手懐けるには、絶妙な精神の「平衡感覚」が必要です。
その「平衡感覚」は、長い歴史の蓄積の中で、葛藤や矛盾と格闘してきた先人たちの経験の積み重ねにより培われ、継承されてきていると考えられます。

つまり、合理的には解決し難い人間精神や人間社会の問題に対応するためには、「平衡感覚」が不可欠であり、その「平衡感覚」こそが保守が守るべき「伝統」の真髄であるわけです。

さらに続けると、その「伝統」そのものを実体として取り出し示すことは不可能です。
「伝統」とは「慣習」が具体的に繰り返し実践されるその時その場でしか現象しないというか、姿を現さないものであります。
即ち、「伝統」を保守するためには「慣習」を保守することが最善の手立てであるわけであります。

しかし、「近代」はこの「慣習」をこれでもかと言わんばかりに徹底的に破壊しまくってきました。
政治的には自由、平等、人権など、人間の個人的欲望を無限に解放し、そのための社会システムを設計主義的に構築してきました。
経済的には土地、労働、貨幣、文化など前近代においては市場化を免れていた分野にまで市場化の荒波が押し寄せてきました。
個人主義的自由と科学的合理主義と進歩史観という近代的価値観により、伝統的共同体は徹底して蹂躙され、解体させられてきました。

自由、平等、人権、民主主義、市場主義という「イデオロギー」により、前近代社会が積み上げてきた「文化」は破壊され続けてきました。
絶対的な権威や価値を認めない「価値相対主義」に陥り、義や共同善を見失い、空疎な「自由」が空回りする現代社会は、深刻なニヒリズムに嵌まり込んでいます。

現代社会を襲うあらゆる問題の根源にはこの深刻なニヒリズムという魔物が潜んでいます。
ニヒリズムが生み出す快楽主義(ヘドニズム)、冷笑主義(シニシズム)、熱狂主義(ファナティシズム)そして科学至上主義(サイエンティズム)などの派生物が、我々の生活や思考に深く入り込み、現代社会を混乱に陥れています。
この魔物に立ち向かい、これを退治し、その発生源を絶つ実力を備えた思想は、唯一つ人間の本質と伝統の力を知悉した保守思想のみなのであります。

共同体と個人、自由と規制などの間で平衡を保ち、人間社会の節度を保ち、歴史的に継承されてきた豊饒な文化や知恵、価値や意味を生き生きと保守していく。
人間個々人の生は卑小で短いものかもしれないが、伝統の継承に携わることにより、悠久の歴史の流れに繋がることができる。
これが保守思想が混迷する現代社会にしめす処方箋であります。


それから、保守思想には独自の死生観、歴史観、言語観があります。
以下のようなものです。

まず、人間とは共同的、社会的な動物である。
よって人間の生には言葉が不可欠であり、歴史的に音韻と意味作用の相互連関により言葉の伝統を紡ぎ上げてきた。
さらに、人間の生はあらかじめ空間的時間的な有限性の中にある。
よって人間の生は多かれ少なかれ挫折や失敗、あるいは悲劇を経験する。
人間の悲劇を宿命として受け入れるためには、美的言葉による物語化が不可欠である。
美は共同性と言葉の伝統から生まれる。
共同性の暖かさとそこからの離脱が美的感性の源であり、言葉の意味体系及びそこからのズレが美意識を形づくる。

そして、宿命の中を懸命に生きた個々人や共同体の「思い」を物語化して共有し継承するところに歴史が生まれる。
自らの分を心のそこから弁えて、宿命の中で真の自由を生き抜き、言葉の伝統美によりその生き様を物語化することが、最も美しく正統な生き方なのである。

即ち、ここには歴史、言葉、伝統、共同性、宿命、物語等の有機的な構造が成立しているのである。

この有機的な構造こそが保守が理想とする人間の生き方、人間社会のあり方の核心である。

この構造を保守するためには、当然共同体と言葉の伝統を保守しなくてはならない。
それは伝統的な人間関係のあり方あるいは慣習や正統的な言葉遣いを保守することである。


以上が私の大雑把な保守思想観です。

コメント(9)

反理性主義


反近代主義


反ヒューマニズム


>>[001]

貴方が提唱する三つのうち、本当に保守主義に当て嵌まりそうなのは、
『反近代主義』
くらいじゃないでしょうか?

『反理性主義』『反ヒューマニズム』が当て嵌まるのは、保守主義ではなく『軍国主義』では?
ヒューマニズムも

意味が多岐にわり
混乱してますね


ヒューマニズムも
三つぐらい意味があげられます

ルネサンス時代の
ヒューマニズム

現代における
人道主義の
ヒューマニズム

カントが提唱した
啓蒙主義的
ヒューマニズム

私が批判したいのは
三番目の
啓蒙主義的
ヒューマニズムです


木田元著
『反哲学入門』
等を読まれたし


理性



理性主義

は違う



理性的な態度は大切
であるし
理性を否定するつもりはない



理性主義は
やはり
啓蒙主義の理性主義

存在論的に
理性によって存在する
存在しないが決定される

そんな
理性を想定した
理性主義



批判対象としているのは
理性中心主義としての
理性主義です


連続しますが
失礼します


やはり

理性の完全性

に対する態度が大事だと
思います


理性の完全性にNO
を言う

ここが
保守主義のスタートだと
思います

理性の完全性にYES
は絶対に
保守主義には無い

これは確かです



逆に言うと

理性の不完全性にYES
を言うわけです

理性なんてもんは
不完全なもんですよ

と軽く言いたいとこですが、論証しろと言われると、ムムム・・・・
となりますが

理性の完全性を論証しろ
と言い返して
その場はしのぐとして

やっぱり
理性は不完全ですよ


だから
不完全な理性は
認めるわけで

出来るだけ理性的に話を
することも否定しないし
勤めるべきだとも思う



理性が
完全か
不完全か

この
人間観から
保守主義者か
それ以外か
大きな分かれ目だと
思います




補足

完全な理性の否定

保守主義の
必要条件であり
必要十分条件ではない

完全な理性の否定
以外にも
保守主義の条件は
あると思います

しかし
繰り返しになりますが
完全な理性の肯定は
保守主義には
絶対ないです



保守主義の入門書
「不完全性の政治学」

紹介します

人間観として
不完全性から
保守主義が始まることが
書かれてあります

知的不完全性

道徳的不完全性

上げられている

薄くて
読みやすい

しかし
現在
古本しか
無いようです


「人間の生き方、
ものの考え方」
福田恆存

P34を
読まれたし

ヒューマニズムが
取り上げられてます


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