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賢者の会コミュの京増さんのかわら版より

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指でOKメキキの会の前田比良聖さんの「佐々木小次郎」の
お話です。
  □時空を越えて蘇る「佐々木小次郎」
 日本で「剣豪は?」と言えば、誰もがまっさきに上げるのが「宮本武蔵」の
名でしょう。吉川英治作「宮本武蔵」は、映画にもなり、その名と生涯は知らぬ
者がないほど、ポピュラーな存在になっています。
武蔵が著した「五輪書」は英訳され、広く海外に出回っています。その常勝思考
は、世界中の武道家をはじめ、多くのビジネスマンの戦略の手本となっています。

 さて… その武蔵をより引き立てる役として、佐々木小次郎が登場します。
吉川作品をもととした内容を主とする映画やアニメ。そこではニヒルで、そして
若くてハンサム、しかし、ちょっと軽い感じに描写されています。
 努力家の武蔵に比し、天才肌の小次郎…(まるでウサギと亀?の対比)世間の
多くは、武蔵の姿に感銘を受けています。

 さて、私が老師から聞いた説。また、巌流島での決闘において、小次郎を島ま
で送ったという船頭さんの言い伝え。そして、古神道の正式な方法にのっとって
執り行われた『鎮魂帰神法』によって、小次郎の御魂を呼び寄せ、その事実を
聞くところ… いや… かなり、吉川文学描く武蔵とは異なる人物像が浮かび
上がってきます。

 佐々木小次郎… いわゆる巌流島での決闘当時の年齢は、70を越えたご高齢。
佐々木師の日常は、神を斎祭る真摯な神主が本業であり、同時に三種の神器の
一つ「ツルギ」の技の継承者でした。その腕前は、神懸かり的な技を有し、心技
ともに多くの人達の厚い信望を受けていた人だったようです。

 宮本武蔵… 当時第一級の「殺し屋」としての異名が高く、その手段を選ばず
常勝する戦法には、定評があったようです。

 その時期、徳川幕府は、国教として、仏教の布教を推し進めていました。
 小次郎の、その神道をもって多くの民を魅了することに、快く思わぬ徳川幕府
は、小次郎抹殺を計画。しかし、単に闇に屠っても、世間にはインパクトのある
アピールにはなりません。「いかに神守る身とて、仏には敵わぬ… 」ことを、
広く知らしめる必要があります。また、小次郎の強さは、計り知れないものを
もっています。そう簡単に抹殺できるものではないことは、当時の誰もが知って
いたことでした。

 そこで幕府は、一大イベントを企画しました。『武蔵対小次郎の一騎打ち』で
す。これには、日本中が湧き立ちました。今で言う『K−1』(剣豪のナンバー
ワン決定戦)みたいなものでしょう(笑)

 困ったのは武蔵です。なぜなら、その時代に無敵と言われた武蔵でさへも、
佐々木小次郎という人物のその、そばへも寄り付けないくらい度を越えている
強さ。… それは、武蔵本人が一番よく知っていました。


 しかし、幕府には、策略がありました。決闘当日、小次郎は、船で島に渡り
ます。そもそも、なんで、このような日本中が湧き立つほどのビッグイベントが、
離れ小島で行われたのか? それは、船頭さんの話で明らかになりました。
「お侍様に申し上げます。あの島には、大勢の刺客たちが、あなたを殺そうと
待ち構えています。行ってはなりません」必死で制止する船頭に、小次郎は答え
ます。「行かなければなりません。約束ですから」

 かくて、小次郎が船島(巌流島)に到着するやいなや、数知れず、一斉に切り
懸かって来る幕府の侍達。しかし、小次郎は『獅子奮迅の活躍をした』と伝えら
れます。「ツバメ返し」と皆が呼ぶ、その螺旋を描いて回転を続ける剣はうなり
を立て、多数の敵をなぎ倒していきました。しかし、いかんせん高齢の身。しか
も多勢に無勢、とうとう力尽きて、倒れ息絶えました。その一部始終を、傍らで
見ていた宮本武蔵。単に「名義貸し」的存在に過ぎない彼は、次の一言を残して
その場を去りました。

 「吾、あやまてり…」それは、小次郎の超人的強さと、特異な技を垣間見、
それゆえ湧き起こった悔悟の念からか? または幕府の策とはいえ、それに荷担
したことの自責の念ゆえか? 武蔵は、それ以後、あれほど愛し、そして執着し
た剣を捨てます。小次郎が、体を張って残した「メッセージ」をさぐるようかの
ように、武蔵は世を忍び深山幽谷に分け入り、ひたすら自分を見つめる生涯を
送ります。そして、今に残る幾多の著作、書画…なかでも「五輪書」は有名です。

 さて現代…。手段を選ばず、是が非でも勝つ… という武蔵的時代も終わりを
告げる時が来たように思います。競争の時代から共創の時代になりました。
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指でOKメキキの会のテツさんから「今週の心に響いたことば」をお送り頂きました。

 □限りあるものに、限りない感謝の心を

お日様、空気、水、大地・・・ こうしたものは私たちが創りだした物ではなく
限りない天からいただいたもの。

でも、普段は当たり前すぎて気にもしていない・・・ 日の光を浴びることも、
空気を吸えることも、水を飲めることも、大地から食べ物をいただくことも。

こうした ”天からの恵み”があって、私たちは何不自由なく暮らしている。
そして、普段は気づかないけど、物にはすべて限りがある。


人の命もそう・・・ 限りがあるから、喜びも、悲しみも、楽しさも、苦しさも
味わうことができる。

限りがあるから大切にし、限りがあるからいとしくもなるし、限りがあるから
感謝することができ、限りがあるから精一杯生きることができる。

生かされていることに気づく・・・ 天という限りないものへ、限りある、生か
されている私たち、誰でもができること。

それは・・・ ”限りあるものに限りない感謝をして生きる”こと。今を、この
一瞬一瞬を大切にして、生かされていることに感謝して、生きていきたい。

限りない未来とは、今、この一瞬一瞬の積み重ねでしかないのだから。

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指でOK宝田恭子さんの「人間にとって鼻は最高のフィルター」の紹介です。

 口を閉じて鼻で呼吸することができていますか? それとも口を閉じて呼吸
する方が楽でしょうか? 人間は物を飲み込むとき、それが食道に行くように、
自然に気管が閉じるようになっています。これを無呼吸性えん下と言います。
つばを飲み込んでみてください。口を閉じて舌が上あごに付いているのが分かる
と思います。

 口をあけたままで飲み込もうとすると大変です。鼻でスムーズに呼吸できる
ようになると鼻にあるフィルターを通して空気が入ってきます。このフィルター
でかなり病原菌をガードできます。歯周病が生活習慣性症と言われる現在、鼻で
よりスムーズに呼吸できると口が自然に閉じていられるようになり、これがプラ
ークコントロールにもつながってくることがわかりました。


 口をあけていると、どうしても口の中が乾燥し、唾液が少ない環境になります。
こうなりますと、口臭も気になりますし、プラークもつきやすくなるわけです。
口を閉じて呼吸できるようになると、以前より唾液が増してくるのが分かります。
実は、唾液が歯周病の菌や他のウイルス、真菌(カビ)に抵抗してくれるキーフ
ァクターなのです。唾液の中には、20種類の機能タンクが含まれています。

 よく研究されているものを3つあげます。

1)ヒスタチン
 抗真菌作用の強いるタンパクで、唾液中の産生が低下すると口の中にカビが増
え、口腔カンジタン症になったり、口臭の原因になります。


2)ジスタチン
 細菌が歯ぐきに侵入するのを防ごうとしてくれます。禁煙によりジスタチンの
量が減少してしまうのです。口の中の乾燥が歯周病の進行を防ぐためにもタバコ
の量を減らす、あるいは禁煙は大切です。

3)ラクトフェリン
 鉄を含むタンパクで、母乳に多く含まれていますが、唾液中にも存在します。
抗真菌作用の他に抗菌、抗ウイルス作用もありますので、口腔環境の安定に力を
かしてくれます。

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指でOK南風舎の岡部正敏さんのメルマガ「暇人の独り言」のご紹介です。


 ■蜥蜴

 一昨日の日曜日の朝、自宅の庭を眺めていると、すぐ近くを動くものがあった。
よく見ると、トカゲである。久しぶりにトカゲを見た。トカゲがうろちょろする
ということは、まだまだ自然があるということであろう。


 トカゲはとてもスマートだし、肌も綺麗だ。トカゲも春を迎えたということだ
ろうか。以前には蛇も見たことがあるが、最近はとんと見なくなった。だんだん
暖かくなると蛇も出てくるのかも知れない。

 以前は、蛇やトカゲは忌み嫌っていたのに、こうしてトカゲを見るとなんとな
く嬉しくなった。カエルもそろそろ出てくるのだろうか。ここ数年カエルも見な
いように思う。以前は、近所に住宅が建っていないときは、カエルの鳴き声が聞
こえた。カエルがたくさんいれば、蛇も少しは増えるだろうに。

 そういえば、夏に蚊が少なくなったように感じている。ドブが少なくなって蚊
が少なくなったのかも知れないが、やはり夏には蚊がいないと風情がない。蛇、
カエル、トカゲ、蚊や以前はたくさんいたものが今ではとても少なくなっている
ものがある。これは喜んでよいものだろうか? 私たちの生活がだんだん自然と
離れて過ごしているのかも知れない。

 □小さな勇気も、

 先週土曜日朝、神田の西郷隆盛会館での「敬天愛人フォーラム21」モーニン
グセミナーに参加すべく、近くの道路を歩いていると、数人の熟年の男女と中年
のお巡りさんが、ゴミ拾いのハサミとレジ袋を持って、腰を屈めてゴミ拾いを
している光景に接した。このようなボランテイアの活動のお陰で街は維持されて
いるのだなと思わされた。感謝!!

 実は、1週間以上前、私は100円ショップでゴミ拾いの赤いハサミを購入して
いた。動機は、入谷の陸橋や交差点近くの緑地に紙くず、空き缶等のゴミが散乱
しているのを見たからである。以前からゴミ拾いをしなければと思っていたが、
なかなか実行に移すことができないでいる。時間がないなどとは言わない。いざ
実行しようとすると、勇気が出なかっただけである。「小さな親切、大きな迷惑」
という言葉もあるが、ゴミ拾いは誰にも迷惑をかけることはない。

 ゴミや埃がたまった環境で生活するは気持ちの良いものではない。
しかし、清潔な、ゴミのない環境は誰かが行動を起こさなければ作れるものでは
ない。ゴミのハサミは買った。レジ袋は捨てるほど溜まっている。今週から週に
一度は、小さな勇気を出して、ゴミ拾いをしてみようと思っている。

 □宮大工の棟梁の話

 4月8日(日)午後、NHK教育テレビを見ていると、宮大工棟梁の小川氏の対談
番組をやっていた。幾つか感銘を受けたので、思い出すままに述べてみたい。

 彼の作業場は斑工房という。彼には25人の弟子がいる。弟子の教育にも話が
及んだ。毎年250人からの若者が弟子になりたいと来るのだが、そのうち3人
しか採らないそうだ。採用の基準の一つに、自分はここでしか生きる道がないと
思う若者を採用するのだそうだ。

 いわゆる問題児や、はみ出し者の方が結局は良い職人になるそうだ。全寮制の
生活。新人が全員の食事を作るのだそうだ。だから、料理が美味しくできるよう
になる頃には次の新人と交代するので、料理は必ずしも美味しいものではないそ
うだ。食事の段取りの良い者が仕事でもいい仕事をするそうだ。

 何か分かるような気がした。食材の仕入れ、料理の献立、食材をどういう順序
で切るか等々を限られた時間内にやるというのはやはり才能の一つかも知れない。

 仕事を終えて食事をするのだが、大工道具を研いで明日の準備が終わるのが
深夜2時。起床は6時だから4時間の睡眠。仕事ではいわゆる教えるということ
はしないのだそうだ。技術は棟梁や先輩の作業を見ながら覚えるものとか。寮生
活や仕事上で弟子同士の問題は起こらないという。

不思議だと思った。材木を二人で運ぶ際は、力がある方が自然と重い方を持つ
ようになるとか。仕事を通して優しさが育まれるのだそうだ。睡眠時間が4時間
しかとれないような共同生活であるから、お互いが助け合わないといけないので
ある。

 小川氏いわく、仕事には厳しさがなければ一人前にはならない。手取り足取り
の指導をする優しさは返って弟子を駄目にする。厳しい修行を通して人間的な優
しさが養成されるのだと言われた。小川氏はとても温厚な顔立ちで、とても優し
い印象の人であるが、それは厳しい仕事を通して培われたものだろうと思った。

 □自分が変われば、周囲が変わる

 この言葉は、以前からよく聞かされた。また、「人を変えようとしても変わる
ものではない」とも教わった。これは真理である。しかし、分かっていてもそれ
を実行しないのが凡人である私。先日、西郷隆盛の敬天愛人の精神を世に広め
ようと活動している「敬天愛人フォーラム21」の代表世話人である内弘志氏と
神田の食堂“三州屋”で昼食を共にしながら話をした。私は、その帰りに思った。
西郷隆盛という人は明治維新の立役者である。彼は制度改革に大きな影響力を
発揮した。人格も素晴らしかった。3度も島流しの罪人として過ごした人が、
何故、これほどまでに日本の礎を築くまでになったのか。


 彼は無私の人だと言われる。普通、人は先ず自分のことを考えるし、自分の
家族のことを優先して考える。それは当たり前のことと言えるかも知れない。
しかし、それが嵩じると、「自分さえ良ければそれで良い」という考えや行いに
なりがちである。現在の政治家でもそうだが、明治の高官にもその様な人がたく
さんいた。西郷隆盛はそのような高官が私腹を肥やし、威張り散らす様を見て、
慨嘆したという。

 人が無私を通すことは簡単なことではない。しかし、西郷隆盛はそのような人
であったと聞く。無私であるということは、自分が自己中心主義から相手を優先
する姿勢に変わることである。そのために、西郷隆盛はあれだけの影響力を発揮
し、周囲が、国が変わることが出来たのではないかと思った。

□日ごろ気づかない汚れ

 私は1−2週間に一度ほどメガネのドラッグ店の前に設置された超音波メガネ
洗浄器を利用させてもらっている。この洗浄器を使うと、一見汚れていないと
思っていたメガネから濁った煙みたいに水槽の中に汚れがしみ出してくる。メガ
ネの弦も水に浸すと、これからも同様に汚れがしみだしてくるのである。見てい
ても、不思議なくらい汚れが落ちる。洗浄した後のメガネをかけるとすっきりと
する。それも無料で使わせてもらえるので有難い。

 汚れというのは、日ごろは気づかないが、洗浄器につけてみて、初めてその
汚れに気づくというようなことがあるのである。私たちの日常生活では、下着や
ワイシャツは毎日替えるが、ズボン、スーツやコートは毎日洗うわけではない。
季節ごとに1回クリーニングに出すだけかもしれない。もし、メガネの洗浄器の
ようなもので洗うことができるとしたら、ズボンやスーツは相当な汚れが出てく
るに違いないと思う。

 私たちは気づかないうちに世の中の汚れの部分と交わっているのかも知れない。
気づかないうちに、自分の考えや信条が毒されているのかも知れない。私は日曜
日に教会の礼拝に出席しているが、牧師先生のメッセージを聞くたびにそのこと
を感じる。説教が耳に痛く、胸に刺さるのである。これは私自身の精神面の汚れ
が指摘されるからだろう。

 □世の中に、必要でない人?!

 一昨日の火曜日の夜、テレビで、ダウン症なのか、小児麻痺の後遺症なのか、
健常者とは少し異なる男性と元大相撲力士の琴冠佑の交流を放映していた。男性
はクリスアキラ氏で、彼はひらがなで詩を書く詩人である。彼はある時、新聞で
琴冠佑が長年かかって十両に昇進した記事を読んでから彼のファンになり、ひら
がな書きの手紙を彼に送るようになった。琴冠佑もアキラ氏にまめに返事を書い
ていたようだ。アキラ氏は手紙の中で、「僕は、親戚の結婚式に呼ばれることが
ない。呼ばれないのはいいが、身内の恥だと言われたことがとても悲しい」と書
いて、彼の悩みを琴冠佑に訴えたことがあった。琴冠佑は、すぐに返事を書いて、
「生きるということはそれ自体が素晴らしいことです。恥などではありません」
と応えた。この言葉はアキラ氏を元気づけた。世の中に、不必要な人などいない
のである。

 私はこのところを聞きながら、私自身も、もし、そのような場合、身内にアキ
ラ氏のような人がいたら、彼の親戚の人たちのように「身内の恥だ」と思う気持
ちがどこかにあったのではないか、と一瞬胸を突かれる思いがした。私の心を探
れば、確かに、そのような気持ちがあったことに思い当たる。しかし、それは間
違った思いである。

 子供が生まれると親は子供の下の世話をやく。それも厭厭ながらではない。
ところが、自分の親が年老いて下の世話をしなければならないようになると、
それを厭い、迷惑に思うところがあるのではないだろうか。人間みな同じ道を
辿るのである。それならば、親に対しては感謝の気持ちをもって対応すべきでは
なかろうか。私の祖父がそのような時、私の父親は厭な顔一つせず対応していた。
私の兄嫁もとてもよくできた人でよくやってくれたと感謝している。父親と兄嫁
から多くを学ばせていただいた。その時、私は東京にいたので、何もしてやれな
かったことを申し訳なく思っている。

 □駅の売店の小母さん

 私は毎朝、所沢駅のホームの売店で決まった日刊紙を買う。
その売店には、年のころ60代後半と思われる小母さんがいる。とても小柄で、
丸い顔の人。いつのころからか、私は彼女に挨拶するようになった。新聞を買う
ときに、彼女に声をかけている人を見たことがない。
お孫さんが幾人もいるとか。「お早うございます。今朝は寒いですね。」などと
声をかける。すると彼女は「会社が最近以前より高い電気ストーブを入れてくれ
たので、腰のところまで温かいのですよ」などと返事する。とは言っても、吹き
さらしの駅のホームは寒い。駅の他の売店よりも早く5時には店を開いている。
私はいつもは午前7時前後に駅に着く。

 昨日のこと、8時近くにその売店に行くと、幾つも新聞がある中に、いつもの
日刊紙が見つからない。遅く来たので売り切れたのだと思い、小母さんに「売り
切れたのですね?」と尋ねると、彼女はニコッと笑って1部取っておきましたと
言ってその一部を私に渡してくれた。私は嬉しくなった。ちょっとした彼女の心
遣いで、嬉しい気持ちで一日がスタートできるように思った。実に有難いと思っ
た。

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