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ニャンコ朱門の四柱推命コミュの占いから見た宗教と信仰

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前回の続きになりますが・・・・。
宗教も最近は何かと下世話な話題にされることが多く、中には国家的な問題まで引き起こす類もあり、何を信じて良いか、混沌とした時代そのままを表わしているように見受けられます。
思えば、イラク戦争なんかその最たるものですね・・・・。
ここで、改めて云うこともないのでしょうが、蛇足ながら申し添えますと、宗教と信仰は全く違うものです。
皆様の中には、信仰イコール宗教と考えていらっしゃる方がいてはと思い、あえて申しますが、信仰は、言い換えるなら信心であり、何をどう信じようが、全く個人の範疇の分野です。
中には、自分の会社の社長を信仰している方もおられるでしょうし、自分の家の近くの神社を信心されている方もおられるでしょう。
お稲荷さんに毎日油揚げを供えている、近所のお婆さんだって、これは宗教というよりは信仰、信心の部類でしょう。
「鰯の頭も信心から」と云った、昔からの名言もございます。
かたや宗教とは、明確に規定がなされているもので、教祖、教会、教義、この三つを具備していなければ宗教の規定からはみだすこととなり、仲間外れにされてしまいます。
その意味から云えば、宗教とはセクト主義と申せましょう。
「智慧と霊の時代」「水瓶座の時代」の宗教観がどのように変化していくのかは見当がつきませんが、セクトの垣根が無くなる方向に向かうことだけは確かでしょう。
何故ならば、「霊主体従」の時代に入り、自分の主体が大宇宙の霊から分かれた霊であることに気がついた瞬間から、私は〜〜教、あの人は〜〜教と云った、垣根に何の意味も無くなるからです。
とは云え、宗教にはそれなりに魅力と肌合いがあり、各自がそれぞれの信仰として、押しつけではなくその宗教に属することは、まだしばらく続くことでしょう。
しかし、自分の信仰をそっと心の内にしまう行儀良さを身に付けこそすれ、他人の信仰、宗教をとやかく批判する行儀悪さはお捨てください。
その批判は自分の信仰への批判と同じなのです。

まあ、占いも、信じるか信じないか・・・・そんな類のものですね。柔軟な姿勢が今は必要ではないでしょうか。

コメント(2)

いい語りですよ・・・・。ひろぽんさん。

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