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日曜作家連盟コミュのなんか書いてみました

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読まれた方は気が向いたら感想を聞かせてください。

ある殺人犯の供述

はい、これからお話しすることは全て事実であると誓いましょう。
私が彼を何故殺したか。それは、きわめて単純な理由によるものです。即ち、恐怖であります。自分の体に危害が加えられるという恐怖、つまりは死の恐怖であります。
これを聞いて意外に思われる方もいらっしゃることでしょう。恐怖の故に、あのような大災害をもたらし、大勢の人間を死に追いやったのかと。
はい、それについては弁解の余地もありません。ですが、しかたがなかったのです。彼に苦しみを味合わせずに殺すには、あの方法が一番だったと思われるのです。
はい、ええ、まず、彼に対して恐怖を感じるようになったのかをお話しなければなりませんね。
彼と私が知り合ったのは、仕事先でのことでした。彼は後輩、私は先輩、といった間柄でしたが、私は先輩といっても平社員で、殆ど彼を導くことなどありませんでした。また、彼は非常に上昇志向の強い人間で、何かと上司達に自分をアピールしていました。初めから、そりが合わなかったのでしょうか?まあ、そういうことも出来ますでしょうし、そうでないとも言えるでしょう。
どちらがこの敵対関係、そう言うべきですね。その関係を始めたか、それは紛れもなく、私だと思います。私の神経質さが、これを産んだのです。
当時、彼はまともな生活をしていなかったのか、体から強い体臭を発していました。私は、人一倍臭いに対して敏感で、彼の体臭は耐え難いものでした。そのため、彼に接する時、私の目から見て、不自然さが漂っていました。この不自然さというのは、どこか取り繕ったような、ペルソナを被っている表情や態度ということであります。
彼は、恐らく私の嫌悪のにじんだ態度を敏感に感じ取ったのでしょう。私に対しては全く話しかけないようになりました。もしかしたら、他の同僚から、私に関する話を聞いたのかもしれません。私は当時、もう一つ二つばかり、職場での人間関係上でのトラブルを抱えていましたので。
 そういったことから、二人の間には全く交流はありませんでしたが、そのうちに、彼はどうやってかは知りませんが、自身の体臭を改善し、最終的には少しも気にならない程度まで押さえ込むことに成功していました。そこで私は、彼と関係を改善したいと望み、彼に対して積極的に話しかけようと心がけました。私自身の経験からいけば、今から思うと、これが一番まずかったのですが、積極的に話しかければ、心を開いてくれるだろう、と、思っていたのです。
 ところが、彼はもはや、私に対して決定的な敵意を感じているらしく、私が話しかけても全く無視するようになりました。しばらくは私も彼に対して働きかけを行っていましたが、全く暖簾に腕押し、ぬかに釘で、彼の私への態度は少しも改まりませんでした。もちろん、これが一方的なものであることは言うまでもありません。私の思い込み、即ち、年上や先輩といった目上の人間が手を差し伸べるなりなんなりすれば、下の人間は、敬意とまでは言わずとも、それなりに返答をしてくれるものだというものがありました。これは、私自身がそうであったが故の思い込みであり、私の想像力不足だったといえましょう。
 と、いうわけで、私も仕方なく、彼に対しては敵意をあらわにして、というよりも、それしか彼に対する接し方を知らなかったので、ぶっきらぼうに応対することにしました。彼のほうから話しかけてくることはなく、もっぱら私が話しかけるばかりでしたが、その際にも、彼は一度は無視し、私が二度目に声をかけて、やっと返答を返すといった風でした。
 私は、目上の人間に対しては敬意を持って接するべきだという考えの持ち主でしたので、彼の返答には大いにいらだちました。彼は、私と目を合わせようとはしなかったのです。なにがあっても。私は彼に大いに憤りを感じ、仕舞いには、私から離しかけて無理やり返答をさせることが、嫌がらせとして、心の痛む楽しみとなっていきました。
 さて、そのように職場で接していた私と彼ですが、ある時、決定的な事件が起こります。まあ、事件といっても大してことはありませんし、自分に自身のある人ならば、何だそんなこと、と笑い飛ばしてしまえる類のものであります。しかしながら、私にとってそれは、天地がひっくり返るほどの衝撃をもって受け止められることになったのです。
 それは、ほんの些細なことでした。喫煙所で私がタバコを吸っている時、彼がたまたま私のすぐ前を通りかかったのです。いくらそこが灰皿への近道だとは言え、私は、他人の前を横切る時は、一言声をかけるべきであるという“常識”に外れた彼の行動に大いに苛立ち、思わず舌打ちをしてしまいました。その時です、灰皿に灰を落とした彼がこちらを向いて、
「おまえ、しばきたおすぞ」
といったのです。私は思わず
「はい、なんですって?」と聞き返しました。恐らく、その時の私の目は涙目になっていたことでしょう。なんでもない、ただの怒りの爆発を、彼は思わず、こちらにぶつけてきただけなのかもしれません。それは、本気ではなかったのかもしれません。ですが、私にとって、それは紛れも無い脅迫でした。
 考えても見てください。私は、友達も少なく、もし、彼と暴力沙汰になったとしても、加勢してくれるような友人は皆無です。それに引き換え、彼のほうは、他の同僚との会話の中から、友人が幾人かいることを確認したのです。彼が私を闇討ちする、何人かで集まって私を取り囲み、滅多打ちにする。もし、彼が暴走族やチンピラと友達だったら。さらには、彼自身がヤクザの家系の出身だったら。わたしは、とてつもない恐怖に襲われました。
 それからは早かったです。彼の住所を調べ、一人暮らしであることを確認しました。それから、タイマーとガス・バーナーをホームセンターで購入しました。それらを組み合わせ、即席の発火装置を作ったのです。
 決行は、彼が風呂に入っているときにしようと決めていました。幸いにも、彼の部屋は一階で、お風呂はその奥にありましたから、インターネットで調べて、自分の部屋の窓で何度も練習したピッキングの技術で彼の窓を開けました。それから、彼の部屋に入り、ガスの元栓を思い切りひねりました。タイマーは四分。都市ガスなら、その程度で十分部屋にガスが広がると思われました。私は、帰りは怪しまれないように、表から出て行きました。もし、窓から出た場合、人に気づかれてはまずいと思ったのです。ところが、これがまずかったのですね。いくら隣同士の付き合いがないとはいえ、表からでたところに人がおり、私の顔をばっちりと見られてしまったのですから。
 しかし、自転車に乗ってしばらくすると、轟音が聞こえてきましたので、これは成功だ、と思って私の心はとても軽くなりました。もう、これで私の脅威は一つ消え去った。これで、私が死の恐怖に怯えることはなくなったのだと。
 とはいえ、それは皆さん方の目からすれば、ただの一時しのぎだと思われるのでしょうね。まあ、私が今、この場に立っているということが、あの行為全て、全くの無駄足であったということになるでしょう。第一、彼を殺したのはいいが、そのほかの住人の皆さんをも巻き込み、余計に人を殺してしまったのですから。
 実際のところ、私が今どう思っているのか、皆さんは聞きたいと思いますので、今からお話しましょう。私にとって、彼を殺すという行為は、大成功を収めたと、今でも思っております。だってそうでしょう?私を殺そうとする、例えそれが、ただの脅しであり、口先だけであったとしても、私を悩ませるには十分だったのです。皆さんは、なんらかの問題を解決することを、悪だとお考えになりますか?恐らく、殆どの方はそれ自体については善だとおっしゃることでしょう、問題は、その方法である、とも。
 そうなのです。マキャベリは、権力を握る為にはいかなる手を用いてもよい、といっていますが、多くの人は、その後に付け加えられた次の言葉を知りません。ただし、それが認められるはんいならば、と。私の行為は、やりすぎでした。
 もっといい方法があったかもしれません。もっといい殺し方、もっといい遺体の隠し方。ですが、私にとって、殺すということは目的ではありませんでした。私のとっての目的は、“彼”という名前、姿、人間を、この世から抹殺することにあったのです。もし、私がスターリンであれば、もっとスマートに出来たことでしょう。しかし残念なことに、私は一介のサラリーマンで、しかも、その国は暴力があらゆるレベルで押さえ込まれた国なのです。アメリカのように簡単に銃が買えたら。むなしい空想です。
 要するに、彼の抹殺が目的である以上、彼を苦しませながら殺すわけにはいきませんでしたし、確実に殺す必要がありました。私は、人道主義者なのですから。殺しに際しても、苦痛をできるだけ少なく彼を殺さなければなりませんでした。私は武道にも精通していませんし、もみ合いになるような状況を作り出せば、逆に私が殺されてしまうかもしれません。故に、証拠の残らない、確実で、尚且つ彼を苦しませずに殺す方法を採用しなければなりませんでした。それが、あのようなことにつながったのです。
 私は、心から、私が彼を抹殺するためにその巻き添えになった方々に対して、哀悼の意を捧げるとともに、彼の家族の方々に対しては深く謝罪いたします。また、私の罪を背負って生きていかなければならなくなった私の親類や、家族に対しても、とても申し訳なく思っていますし、いかなる行為で持っても償いは出来ませんし、来世は地獄で決まりだと、そう思うのであります。
 しかしながら、彼を少なくとも、私のいる世界からは痕跡を残さずに抹殺できたことを、私は大いに喜んでいます。これ以上、彼は私に対して危害を加えることも出来なくなりましたし、私も彼に危害を加えられる恐れを感じることはなくなりました。この心の解放感!まことにすばらしいものだと思います。
 ただ、誤解しないで欲しいのは、私は、復讐心や憎しみから、彼を抹殺したのではないということです。私が彼を抹殺したその理由は、そのような感情的な理由ではなく、もっと本能的なもの、即ち、殺すか、殺されるか、という殆ど無意識からの働きかけによったとしてもよいほどの、原始的で、野蛮な思考によるものでした。私は、彼を憎んではいなかったのです。ただ、彼が、彼の細い目が、その歩き方が、頭が、彼の背格好が、まだ見ぬこぶしが、とてつもなく恐ろしかったのです。
 今、私はそれから解放されています。これはこの上も無い幸福であると、私は考えています。自分を自分で守るということを達成できたこの達成感、それはいままで決して手にすることが出来なかった火を手に入れた人類のごとく、私の心を希望で満ちあふれたものとしてくれています。残念だったのは、それが、この国の法律では違法だということであり、その幸福を手に入れる代わりとして、犯罪者という烙印と、私がこの国から抹殺されるべき人間であるという大勢の人間の判断をえました。
 そのことに関して、私はなんら釈明すべきところはありません。そうです。私の行ったことは、誰がどう見ても犯罪であり、仮に、戦場で同じようなトラップを仕掛けたとしても、捕虜になれば憎しみから、確実に銃殺されていたでしょう。私は、それを否定はしません。先ほども申し上げたように、彼を抹殺するために犠牲になった人々には、まことに申し訳なく思っています。もし、彼らの遺族達が、私が死ぬことで少しでも慰めになり、全く見ず知らずの人間達が、私を狂人だとか、異常者だとか、自分勝手なやつだとか、色々に批判を浴びせることも、また甘んじて受けましょう。
 ただし、先ほども申し上げたように、私はただ、彼を、彼のみを、抹殺したかったのです。彼の存在しない世界に、後どれほど私はいられるのか、それはわかりません。ですが、彼がいないということ、即ち、自分の身を脅かす天敵が消えたということ、それは先ほども申し上げたとおり、この上ない幸福であり、私の人生の中で決して得られなかった満足感を感じているのです。
 今の私は、例えるならば屠殺予定の檻から猟師が狩ってきた狼の亡骸を見ている羊のようなもので、少々皮肉めいているとは、私も大いに感じるところであります。しかし、その羊はこうも考えるでしょう。やった、私を殺そうとするものがいなくなった!と。
自らの天敵にいなくなった世界、それがどれほどの幸せであるか、恐らく、多くの人は感じることのないまま、一生を終えることでしょう。それが殆どの人にとっては、“幸せな人生”であり、年をとるにつれ納得しなければならないことなのでしょう。しかしながら、私から見れば、それはとてつもなく不幸な人生であるとしか思えません。その人は、一生毛をむしりとられながら、狼の脅威に怯えて暮らす羊でしかありません。それにくらべて、私のなんと自由なことか。この自由を味わうためならば、わが身が滅びるくらい、どうということはありません。この自由を達成することの出来た自分は実に偉大であり、魂を神に一歩近づくことが出来たとさえ考えられるのです。
 すこし、興奮しすぎました。以上が、私が控訴を取りやめた理由です。
 私は、市民の最後の義務として、人間を縛り付けるものを、そのあらゆる手に最後にもう一度だけ従いましょう。
 その後は、私の自由にさせてもらいます。
 この自由を、肉体つきでしばらく味わった後で。

コメント(4)

「石切〜石切〜。当駅では越境のための検問があります。皆様
、身分証、越境手形をご用意ください。」
アナウンスが僕を目覚めさせた。くそ、良い気持ちで寝ていた
というのに。やっと確保したロングシートだ。西大寺にに着く
までは何があっても立つつもりはない。それでも、大阪兵は起
立を求めてくるだろう。床に寝転がってる奴らにやわらかいク
ッションを奪われないといいのだが。
「君、身分証と手形みせてんか。」
目の前には、糊の効いた軍服をいかにもエリートであるかのよ
うに着こなした男が、ぬうっと立っていた。
「はい、今すぐに。」
そういって僕は書類を渡す。
軍人はしばらくそれをながめ、
「君、学生か。」と呟いた。
「はい、奈良大学で歴史を勉強しているんです。」
笑顔で答える。その効果は推して知るべし。
「このご時世にのんきやのう。ま、ええわ。九州の子ぅやしな
。うちらにしっかりお金落としてっておくんなはれ。」やけに
べたべたの大阪弁(それとも京都弁か?僕にはいまだに判断つ
かない)で答えて書類を僕に手渡した。手形にはしっかり「近
畿および北陸連邦共和国」の判が押されている。とりあえず、
これで一安心。やっと下宿に帰れる。少しばかり浮かれている
と、すぐそばで問答が始まった。
「なんで私がおかしいでんの?挨拶返しただけでんがな。」
「あほ、いまどき「儲かりまっか?」なんかを挨拶にしてる大
阪人がおるわけないやろ。なめとんのか、われ。ちょっと来い
や。」
偽装していたつもりだったのだろう。が、彼らの間諜がこの程
度というのは・・・。絶句せざるを得ない。なぜ、素直に九州
だの、東海の人間を装わなかったのか。
「許しておくれやす!わて大阪出身でけつかんでまんねん!」
もう、どこの言葉かさっぱりわからない。
「おとなしくせぇ、アホ!ほらこっちや。」
似非大阪人は電車の外へと引き出された。
まもなく、検問を終えた旨アナスンスがされて、電車は動き始
めた。僕が最後に見た彼は、ホームで両手を後ろで縛られてい
た。
電車がトンネルに入る直前に、風船玉を破裂させたような音が
遠くで聞こえたような気がしたが、気のせいだったかもしれな
い。
103号室にて

必死で目を開けている。
それでも足りずに、左手で上のまぶたを、右の中指で下の肉を押さえ、必死で鏡を覗き込み、右の人差し指を近づける。
「それだと、睫毛に当たっていますね。」
傍らの女性はそういって、僕に手本を見せてくれる。鮮やかに、全くの苦労もなしに。
僕はそれを見る。そして、もう一度向き直って試してみるが、どうしてもまぶたが閉じてします。
いい加減、横で見ているのが苦痛になったのか、彼女は僕のまぶたを抑え(ついでにそれは、僕の頭をも押さえていたのだ)指を目に近づけていった。段々と、彼女の人差し指が、僕の目に、目に。恐怖のあまり、僕の目は閉じようとするが、閉じられない。仕方がないので、目は、グルリと横を向いた。
彼女はもう諦めたのか、僕に窓口に行くように指示した。窓口の女性達はきっと何も感じてはいなかったのだろうが、僕はそうは思えなかった。彼女達は、僕を嘲っていた。
僕は、殆ど茫然としていた。
建物を出たときに寒気がしたのは、もう季節は秋だというのに、背中が汗だくだったからだ。

昼飯は、ラーメンにしてみた。
そこに行く途中、子供数人と黒人が遊んでいる光景を目にした。なかなか、このあたりも変わったものだと思う。一駅さきの僕の住んでいる地区が衰退するのと反比例しているかのように、このあたりは、小物店や、カフェなんかが出来てきている。

ラーメン屋に母がいて、PCである記事を見せてくれた。それは、親戚がかつて書いたものだったのだという。外国の鉄道に関する記事だったのだが、どういうわけだか、その記事を丸まる盗用し、ネットにアップしているものが隣のウィンドウに表示されていた。
もっとも、内容はまるっきり違うものだったのだが。(どうやったら、鉄道の話からナチオタがコスプレしている写真に変われるというのだ?)
ネットには、僕の親類とされる写真がいくつもあり、その中で、現在生きているのはただ一人だといって、祖父の兄の息子、僕にとってはまた従兄弟だろうか?彼のだと一つの写真を指差して言った。だけど、彼はこんなに老けていたのだろうか?まあ、もう10年以上あっていないのだから、記憶の中の彼とこの写真の彼とを比較しても、意味のないことだろう。一応納得させた。
僕は、ケータイを取り出して、プレイヤー機能を使い、1812年のラスト、一番盛り上がるところを聞いてみたが、ちっとも盛り上がらなかった。音が悪かったし、何より、大砲の音が足りていなかった。
母が、「いらないから、食べて」といって、自分のうどんを差し出してきた。きつねうどん。胡椒の粒が浮かんだきつねうどんだった。高速道路のサービスエリアで食べるそれとよく似た味わいだった。

〜続き〜

帰り道。このあたりは昔からちょっとした住宅地として、人口密度はそれなりにあったし、地元の金持ちも多く住んでいた。そういう土地柄なのだ。
踏切を渡る直前、あの黒人が、今度は相棒だろうか、自転車に乗って話しているところを見かけた。どこかで見た顔だと思ったら、ドン・チーゲルによく似ていた。
後頭部が修道院の僧侶のように剃られていたのは、とてつもなく奇妙だったが。

自転車に乗って走っていると、横に子供連れがいるのを確認した。5歳くらいの男の子が一人と、3歳くらいの女の子、2歳くらい、歩き始めたばかりの男の子と、その母親。母親は若かった。
そこは、よくよく見れば昔住んでいた家の近くだったので、久しぶりにどうなっているのか確認してみようと、目の前の坂を歩いていくと、彼らもその坂を登ってきた。
というよりも、一番元気な男の子が、僕にまとわりつくように歩き始めたから、仕方なくかもしれない。コンクリート舗装がなされた坂道。右手はよくあるコンクリートの壁(多分、上に家が建ってでもいるのだろう)だったのだが、左手は、少しばかり変わっていた。地蔵、それも坐像が、ひたすら並んでいるのだ。それも祠のように、それぞれがそれなりにスペースをとっている。
男の子が、コンクリート舗装に文句を言った。たしかに、歩きにくいのは彼の言うとおりだった。

登りきった先の風景は、やはり大いなる変貌を遂げていた。もとの畑は全部埋められ、住宅に変わっていた。元からあったものも、何か、新しく作られたのか、建売のプレハブみたいなものに変わっていた。
唯一変わっていなかったのは、確かに、その方角から見れば右手に見える、都市近郊通勤型鉄道の支線の線路だけだった。
男の子は僕から離れ、はしゃいでいた。母親は乳母車を押しながら、常に彼をたしなめている。このあたりに住んでいる人なのだろうか?登り切った先にも、地蔵の祠は一つあり、坂と垂直に建てられていた。つまり、歩き出した僕のほうを向いていたというわけだ。

〜続き〜

元畑だった場所に、何か店が出来ていた。こんなところに作っても繁盛するとは思われないのだが。田舎の茶屋のような、民宿のような、開け放たれた軒先に入り込むと、僕の叔母家族と祖母が、みなでテレビを見ていた。何か、子供向けの番組が終わったところで、僕は、テレビがあまりにもつまらないものだと思ったから、電源を消してやった。すると、父がテレビの前にうずくまり、床と頭をくっつけている僕の背中をはたいたか、突っついたかして、テレビをつけろと言ってきた。
つけたくはなかったが仕方がない。電源を入れると、それは、何かの中継に変わっていた。空撮によって映っている橋は、ブルックリン橋のような吊橋で、その上を白い服を着た集団が固まって走っていた。マラソンなのだろう。
それにしても、危ない。なぜなら、波はかなり高く、橋脚に当たって白い泡を立てていたくらいだからだ。マラソンを監視する為なのか、大型のホバークラフトが走っていたが、橋脚に乗り上げた後、その姿を消した。
テレビの画面は、それを隠すかのように、12人の巡査が、よくリゾート地なんかにある大きな浮き輪に浮かんでいる光景を映し出していた。こんな波の高い日に、危ないな、と思っていると、大きな波が彼らにたたきつけられ、彼らはそのつながりを失った。もし、それだけなら何事もなかったのだが、その中の一人が、波に切り裂かれ、赤い血を噴出しながら、四肢がバラバラになった。
あまりにも瞬間の出来事だったので、だれがその叫びを上げたのかはわからなかったが、その声を聞いて、台所で用事をしていた母が、駆けつけてきた。
倫理コードの触れているんじゃないのか?
そう思ったが、テレビはサービス精神旺盛だった。その光景を、スローでもう一度繰り返したのだ。波によってバラバラになった彼らと、一人だけ、その波の勢いをまともに受けて、吹き飛ばされながら、手と、足と、その他もろもろの体のパーツが、かまいたちにあったようにバラバラになっていく。
スローだけに見やすかった。その副次被害で、制服の背中が破れ、ギザギザに肉を切られた(彼の場合、不思議と血は出ていなかった)同僚巡査の様子も見てとることができた。
そこは、海岸に近かった。
カメラは既に海岸の光景、赤いランプ、介護人、現場に張られたテープといったものを映し出し、ついでに字幕つきで、その巡査―ぎょろ目で、口周りのひげが濃く、分厚い唇の持ち主だったが、小島よしおよりも顔が正方形に近かった―のインタビューを届けてくれた。
そして、映さなくてもいいのに、彼の後ろには、例のバラバラになった女性巡査が、袋に入れられている、その光景が映し出されていた。今度もまた、字幕付だ。まだ若い、22か、23、そんなところらしかった。彼女の体のパーツは同じ女性巡査によって袋に入れられていた。
彼女の首が取り出されたとき、僕はすこし意外に思った。彼女はレゲエを好む人たちがよくやる髪形をして、面白いことに後頭部の髪の毛を剃っていた。
カメラはかなりの高感度だったのか、僕には、彼女の首が、そのはげた後頭部が、その皮膚がぴくりと、波打つのが見えた。

僕は目を覚ました。
そして、詰まりそうな息を何とか元に戻しつつ、自分のいる場所を確かめてみた。
ベッドだ。そうだ、僕は、帰ってきてからすぐに風呂に入って、まだ陽があるというのにベッドにはいったんだった。あまりにも疲れていた。腰が痛かったんだ。そうでもしないと、生きていられなかったんだ。

あれから、3時間しか寝ていない。
きっと眠りが浅かったのだろう。この悪夢も、それで説明できる。
それでも、僕は思い出すたびに、恐怖で叫びだしそうになる。この悪夢についてではない。もっと違うことだ。それが自分の情けなさを責めているにしては、あまりにも酷く体を伸縮させていたので、それが原因ではないと思う。
この孤独。慣れているはずの暗い部屋に、先ほどの巡査の亡霊が出てくるような気がする。居間に行けば家族はまだ起きていることだろう。そうすれば、気持ちも静まるだろうか?
そのとき、ぐらりとベッドが揺れた。一瞬で収まるよくある地震だが、目を覚まし手いた僕を余計に不安にした。

いたたまれなくなったので、僕は居間に下りていくことにした。まだ、時々思い出しては頭をかかえ、目を押さえることになるが、よく考えれば、晩御飯を食べていないのだ、食べれば、気分も落ち着くかもしれない。

なぜ人類は、眼の中に指を突っ込まなければならないコンタクトレンズなんてものを作ったのだろう?

そう問いかけてから、思い切ってベッドから降り、ゆるゆると、壁に手を当てたまま(そうしないと立てなかったのだ)、僕は、階段に向かって歩き出した。

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