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荒木貞夫コミュの荒木貞夫と2・26事件

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 コミュの参加、本当にありがたいと思っています。そこで、コミュに賛同してくれる人がいるので敢えて馬鹿な質問をします。
 
 僕は歴史家でもなければ、専門家でもありません。大東亜戦争に対する書物を何冊かあたり、NHKのドキュメントを見ている程度ですが・・・。 荒木大将に対してもコミュの紹介文で書いたように荒木大将のキャラクターに惚れた部分もあってこのコミュを立ち上げたというのもあります。
 
 2・26事件といえば、皇道派が皇居を占拠し、時の岡田内閣の重鎮たちに対し襲撃して死傷させた事件で、ちまたでは「軍の暴走」の代名詞のように言われているみたいですが、僕は、それは、戦後の因果関係を大事にしない、結果しか見ない歴史観でものを言っているのであってそれは違うと思うのです。
 時代背景をみない歴史観ほど怖いものはありません。

 では、一点だけ質問します。2・26事件は本当に軍の暴走であったのか?
時代背景から見れば、都市の経済が潤っているのに対し、地方はとてもじゃないけど潤っているとは言えない状況だった。荒木大将も第一次世界大戦終了後九州の連隊長になった時に地方の状況を見せつけられてたし、その現状に満足しない若手将校らの意見を聞き入れて皇道派をけん引するような役割をしたのだと思うのです。このような時代背景をみれば、軍の暴走ではなく、政治の怠慢が5・15事件や2・26事件を引き起こしたとしか思えないんですね。以上を踏まえて皆さんはどう思いますか?

コメント(5)

すみません。荒木大将の皇道派での役割を同時にお応えしていただくとありがたいです。
>大元帥陛下さん

>特に多いのは現在の埼玉県飯能から秩父のあたり出身が多か>ったようです。
これは少し驚きましたね。田舎ってか住んでるのが秩父なのでへぇ〜と感心するばかりです。明治時代に、「秩父事件」が起きた郷なので、政治に対する反抗心はもともと大きい所だとは思ってましたが、まさか2・26事件までにも関わっているとは夢思っていませんでした。

ちょっと、2・26事件のコミュも覗いてみましたが、確かに真崎大将に対する評価は厳しいものがあるようですね。軍の暴走もあったのか〜と納得しました。
荒木大将に言及いたしますと、彼はクーデターによる政権交代にはむしろ否定的だったと聞きます。だとするならば、軍の暴走を少しはコントロールできなかったのでしょうか?
荒木大将は最初は尉官クラスに人気はあったのですが、政治力もなく精神論に終始して国会答弁でも身内から非難されてましたね。高橋是清蔵相に予算をよこせと言ったら「それだけ必要な根拠を示してください。」と言われた。そこで精神論を振りかざしたところ、「君は何が言いたいのかね?」と言われる始末。
しかも、そんな有様を見て深夜に荒木邸はしばしば酔っぱらった佐官や尉官に”襲撃”される。
しまいに「そんな連中を取り締まれないのか!」とやってこれ以来人望に陰りが出てしまい、大事を打ち明けてくれなかった様子ですね。
荒木大将の子分は、参謀本部の作戦担当であった小畑敏四郎少将や秦真司憲兵司令官・中将等でした。香椎浩平司令官も秦真司中将系です。
小畑少将と石原中佐の兵棋戦は相当見応えがあったそうですね。ただ、政治力は皆無でありそれが統制派に敗れ去っていく原因でしょうか。
陸軍内部には深刻な人事抗争があり、2.26事件はこの人事抗争が色濃く影を落としております。
粛軍で陸軍を萎縮させたのは宇垣人事のせいだ・・・と、皇道派は言っております。
実際、広田内閣の後で宇垣一成に大命降下されるのですが、陸軍は協力せず結果的に林銑十郎内閣になる。それだけ宇垣は恨みを買っていた。
宇垣の政治力というのは群を抜いていた様子ですね。

皇道派はもともと長州閥であり、田中義一の跡を継いだのが上原勇作であり、その次が荒木貞夫になります。
しかし、この繋がりはさほど強い連携ではなく、足並みの乱れはかなりありました。
それが余計2.26を可能ならしめたのでしょうね。

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