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【ジェンダーフリー】ブッタギリコミュの東大教授上野千鶴子の問題発言

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学術的な批判ではありません。

以下Wikipediaからの引用ですが、特に男女共同参画基本法に関して、「通してしまえば、あとはこっちのものというわけだ。 通ってから、変革のお嫌いなおじさんたちは、気が付きました。それで、いまさら攻撃しています。ざまあみろ。あはは」と発言しているのは実に由々しき問題です。フェミニスト達が、難解な学術用語を使って国や国民を騙したというのは、やはり真実なのではないでしょうか?

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90

「批判」
・『マザコン少年の末路――女と男の未来』(河合文化教育研究所、1986年)で、先天的早期脳障害の自閉症や、登校拒否(不登校)はマザコン(マザー・コンプレックス)が原因であると非科学的な主張をして、自閉症児を持つ親の会などから抗議を受けた。後に、その批判も併記して出版しなおされることとなった。しかし、上野はこの言説について撤回や謝罪は未だに一切していない。
・ホモセクシュアル(男性同性愛)とホモソーシャル(男性社会)を混同する無知を浅田彰に指摘されたことがある(後に訂正)。他に、「私は同性愛者を差別する」と書いたり、女性同性愛者を「オマンコシスターズ」と書いたことで、同性愛者団体やレズビアンから抗議されたことがある。
・『男流文学論』では、ある文豪を「マスをかき過ぎて死んだ猿」と罵倒し、こんなものは文学論ではないと厳しい批判が巻き起こった。
・1980年代に、雑誌『テーミス』(現在廃刊)で人生相談を連載していたことがあり、恋人ができないという悩みを寄せてきた若い男性に対して、「うふふふ、ウブですね〜。女の股を開かせることもできないなんて。(略)どうすればいいのでしょうね。あなたみたいなモテない男がいるから性産業がなくならないのですよね。性犯罪に結び付かなければいいですね」などと誹謗中傷・名誉毀損を伴う返答をしたため、批判が殺到した。
・『サヨナラ、学校化社会』で、かつて自分が勤務していた京都精華大学を「4流大学」と書き、物議をかもした。
・1989年、『月刊 ASAHI』で「女による女叩きが始まった。曽野綾子現象を解剖する」を寄稿し、男が女を批判するのは分が悪い。そこで女どうしの戦いを演出していると主張した。この文章は、「〜だもんね」などと表現されていたために週刊ポストは、「『だもんね』論文に批判殺到」と記事にし、西部邁は「真面目な話題を『だもんね』などという茶化した言葉で誤魔化している」と批判。曽野綾子も「少々若作りな薄汚い言葉を使うのは止めなさい」と批判した。
・『ジェンダー・フリーは止まらない』(松香堂)にて、「女は嫁に行くのが一番だ、と私は信じています」といった個人的信条を犯罪として取り締まるべきだと主張したため、ファシズムではないかと批判が広まっている。

「講演における問題のあった発言の数々」
・2000年12月に開催された講演
−「男女共同参画社会基本法が可決された。しかも全会一致で、私はこのように思った。この男女共同参画社会基本法がどのようなものか知っていて通したのかよ〜と(笑)」
−「これにより後で保守系オヤジどもを地団駄踏んで悔しがらしてやる」
−「亀井静香ような信念をもったオヤジは死んでもらうだけだ」
−「ジェンダーフリーという言葉を使わなくても、痛くも痒くもない。使うなと言われたら、『男女平等』という言葉を使って、スリ返ればよいのです。そんなに大騒ぎするほどのことではない」
−「ジェンダーフリー・バッシングをする人には、『それなら、あなた、男女平等には反対ですか、男尊女卑は好きですか』と畳み掛ければ、言葉がつまります。彼らは絶対にそうは言いません。選挙に落ちるから」
−「だいたい、男女共同参画法を通したのは、不勉強なおじさんたちです。不勉強だったんですよ。無知。それで、通ってから、 変革のお嫌いなおじさんたちは、気が付きました。それで、いまさら攻撃しています。ざまあみろ。あはは」
−「ジェンダーフリー・バッシングの急先鋒に女の議員が立っている。高市早苗と山谷えり子だ。そんなに男に頭を撫でてもらいたいのか。はははは」
・日本型民主主義制度を悪用して、審議会委員や役人たちも真の意味を知らないまま答申が作られ、それに基づいて国の男女共同参画基本法が策定されたのだ。 大沢真理は、男女共同参画基本法の真に意味するところを積極的に情報開示せず、委員らを丸め込む。そして国会審議も同じ手で乗り切った。
−「通してしまえば、あとはこっちのもの」というわけだ。 通ってから、変革のお嫌いなおじさんたちは、気が付きました。それで、いまさら攻撃しています。「ざまあみろ。あはは」
・ジュンク堂書店で2005年に行われた講演で、聴衆の一人の男性の、「就職活動が不安だ」という声に対して、次のような旨の発言をし、侮辱的中傷を加えた。
−「最近の東大の男の子も、『就職活動が怖い』って言うんです。それは、母親から精神的に自立できていないってことなんだろうね。人間って成長していくに従って、何が出来て何が出来ないのかを自然と知っていくものだけど、今の若い男の子は、そういう経験が無いんだろうね。もう、これは色々な経験をして、『あ痛たたた・・・』っていう経験をするしかない」
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(関連トビ)

■上野千鶴子 『スカートの下の劇場』 批判
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9406981&comm_id=165104

コメント(33)

先生はあの法案さえ通してしまえば、もうそれで良かったのかもしれませんね。
もしウエノチズコがカワイイ女の子だったら!
もしウエノチズコが優しく気立てが良かったら!
もしウエノチズコが普通の思考回路だったら!

こんな不幸なことにはならなかっただろうw
上野の言うことって、逆マッチョですね
逆差別・逆セクハラ・逆レイプ等等がここまであてはまるやつっていないな
そんなやつが扇動している運動が、そういう性質をもつのは仕方がない。
上野千鶴子を批判すると必ず言われるのが、「フェミは一枚岩ではない!」ってな言動なんだけど、裏を返せば、統一した見解も議論も学術的な結論も何もないということ。
それが学問だというなら、ちゃんっちゃらおかしい。
フェミニズム自体が自分自身を学問ではないと認めていることすら気づいていない間抜けさでもある。
そういわれればそうですよね。何で気づかなかったんだろう。
フェミには一枚岩ではないとか言われたら議論のしようが無いのに、何だか法案とか政策とかは勝手に進行してるって結構怖い話ですよね。
またその政策が当初の目的を失い、新たな箱物行政の温床になってるから始末が悪い。
結局フェミニズムやジェンダーフリー、特に上野の唱える物などは小乗仏教のような物で弱者の側に立つ振りをして、思い通りのことをし、自分たちはそれによって地位、名誉、利権を手にし、箱物行政に至った。と言う感じが、、
大乗仏教的に全ての弱者を救済する教えはフェミニズムの要素も含みつつこの上野的強者を切り離し、生まれ変わらないと大衆を救えないのではないか?
と根拠もなしに言ってみるテスト。
せっかく女性として産まれたのに、
男性に愛される幸せを知らない(感じる事ができない?)
とても不幸で可哀相な人ですね。
>上野千鶴子を批判すると必ず言われるのが、「フェミは一枚岩ではない!」ってな言動なんだけど、裏を返せば、統一した見解も議論も学術的な結論も何もないということ。
>それが学問だというなら、ちゃんっちゃらおかしい。
フェミニズム自体が自分自身を学問ではないと認めていることすら気づいていない間抜けさでもある。

僕はちょっと違う感覚です。
例えば経済学っていうのもこれと同じなんですよ。学者によって全然違うことを言っているし、そもそも彼らの言うことは何もあたらない(苦笑)

だからいわゆる国内における学会としての見解やら結論はなんだかんだで見出せると思うんだけど、世の中にコミットできるようなことはなにも出来ないという学問。

つまり彼女らが真理だと思っているようなことは彼女らだけで完結していて世の中には全く意味のないものであると。少なくとも政治学や経済、経営にオーバークロスして何かをしたという話をほとんど聞かないので(そりゃ偉そうに評論はしてるけど、そうではなくてきちんとTodo決めて、期間決めてやるようなことに参画するという意味で)まあ、せいぜい人の心の向きを少しくらい変えて・・・これだけのために学問としてカネを使ってもらいたくないけど
折角なので、写真を貼り付けました。
>じんしゃんさん

経済学と女性学の規模が違いますよ(笑)
それに、「ジェンダーフリー」という女性学にとって重要な用語一つ定義できないレベルと、少なくとも経済学は用語の定義はできないようなレベルではありません。

科学というのは反論反証が可能で無ければなりません。
当然、経済学も反論反証ができるんですが、女性学は反論反証を行っても「一枚岩ではないから」や「ジェンダーフリーなんてまっとうなフェミは言わない」「過激な性教育とフェミは関係ない」などとまともな対応はしません。
つまり、学問よりもテツさんのいうように小乗仏教としての理屈しかないんだよなあと。

宗教は反論反証ができないようにできていますので、学問の中で同じような構造を持ってしまうと、それは似非科学と呼ばれます。

そもそもジェンダーという概念自体はフェミが使うような社会的性差が性差を決めているという仮説は証明されたことが無く、むしろジェンダーを提唱したと言われているミードの研究は否定されてます。

欧米で使われる「ジェンダー」という言葉は「セックス」を公の場で使うのがはばかられるので代わりに使っていると言うだけであり、社会的性差という意味ではありません。

世の中にコミットできることが何もない上に、虚構の上に成り立っているといえます。
そうだなあ。俺もチョット反論入れさせてもらうけど、フェミ同士で見解が違うはずなのに、お互いの利益が被ると取り合えず運動を進めるところとか、フェミ同士でも随分温度差があってしかるべきなのに、男性を敵視する論陣が張られると何となく反論もなしに議論を進めちゃうところとか。非常に変ですね。例えば取り合えず家父長制の所為された議論で「それと家父長制は関係ないんじゃない?」的なコメントはついぞ聞かれたためしがありません。

別にフェミが一枚岩である必要性は無いんですけど、そういう何となく感は非常に不快に感じます。
某国の「反日運動」と一緒ですね。
戦う相手が一緒なら、みんなでまとまる事が出来る・・・。
そうですね。
とにもかくにも否定したいもの(家父長制など)が最初にあって、そのための理屈を後からこねくり回しているようにしか見えません。一枚岩ではないというのは、否定の仕方が何通りもあるというだけの話ではないでしょうか?

私なぞは、彼らが否定しようとしている対象にあまりリアリティーを感じないので、彼等の理屈が似たり寄ったりに見えちゃいます。

>ギター侍さん

写真の貼り付け、有難うございました。
そうですね。リアリティーって言うか具体的に誰に向けて意見を発信してるか見えないって言うのもあります。
ここで何度も書かれてることですが、果たして多くの日本女性がそれを必要としているのか?又受け入れた結果どうなるのか?って言う一番重要な点は全く触れられないのも疑問です。
フェミによるフェミののタメのフェミによる運動化してる気がしますね。要するにファッショですよ。
男に理解も信頼されず、孤独で半端な女性集団の頂点ですね…。
>経済学と女性学の規模が違いますよ(笑)
>それに、「ジェンダーフリー」という女性学にとって重要な用語一つ定義できないレベルと、少なくとも経済学は用語の定義はできないようなレベルではありません。

いやあ、どっちも生きていくうえでとりたてて必要ないもの。

学問の世界というもんは僕にとってはおんなじ。必要な人が必要なところをピックアップすればいいんだけど、少なくとも机上の学問という意味で自分が専攻した経済学は社会学より使えない。

>当然、経済学も反論反証ができるんですが

僕、ある教授の講義で自分の論争仲間とのやりとりってのを聞いていたんですけど、正直最終的には↓みたいなこと言ってるわけですよ。だって経済だってすべての要因を踏まえた真理なんてだせっこないんだから。

結果論に基づく書き言葉でやりあう学問はすべて自己満足と予想に使えばいいのではないかと。

>女性学は反論反証を行っても「一枚岩ではないから」や「ジェンダーフリーなんてまっとうなフェミは言わない」「過激な性教育とフェミは関係ない」などとまともな対応はしません。

>欧米で使われる「ジェンダー」という言葉は「セックス」を公の場で使うのがはばかられるので代わりに使っていると言うだけであり、社会的性差という意味ではありません。

いいんじゃないですか、日本は日本なりの概念を作れば。作るのは自由なので。社会学は特にそういうのが面白いと思います。

>世の中にコミットできることが何もない上に、虚構の上に成り立っているといえます。

ただ、僕はその女性についての学問というのもうさんくさいと思ってますから。
amazon.co.jp の、
上野千鶴子「生き延びるための思想―ジェンダー平等の罠」
についての書評によると、

> 「女も男のように強くなる。肉体労働もすれば、軍隊に入って戦場にもいく」
>
> 「女が男のように強くなる必要はない。弱いままで尊重されるべき」
>
> 上野千鶴子氏は、後者の立場を取る論客です。

……なんだ、差別自体は温存して、差別利権をむさぼるつもりなのではないか。
その手のものというと『同和利権』なんてものがわかりやすいですが。

これのどこが男女平等なんでしょうね?
例えば、「チョン死ね」などのネット上の暴言書き込みに対しては、たしなめる保守派・叱る保守派というのはネット上にもいるんですよね。良識が生きているのだと思います。

ですが、上野千鶴子の数々の暴言に対して「お前、東大教授がソレじゃまずいんじゃねえの?」というたしなめるフェミニスト・叱るフェミニストというのは寡聞にして存じません。

「一枚岩ではない」とか言っておいて、実は随分しっかりした一枚岩なんじゃないでしょうか。

フェミニストの品性というのは、タチの悪いネットウヨク以下なのではないか、と思える所以です。
汚らしいババァのご尊顔を拝見できて今とってもふ幸せな気分です。
>上野千鶴子の数々の暴言に対して「お前、東大教授がソレじゃまずいんじゃねえの?」というたしなめるフェミニスト・叱るフェミニストというのは寡聞にして存じません。


 それは、クリメント氏が実際に「寡聞」なんでしょうね。

 例えば、ネット上で大活躍のフェミニスト、小山エミことmacska氏は、上野のインタビュー記事を公然と批判して本人ともよく話し合っていますよ。macska氏の上野批判には、上野の「暴言」めいた物言いに関する部分もかなりあります(下記リンク参照)。この記事にかぎらず、このブログには、役に立つフェミニズム情報が多いので、批判をするにしても一応目を通しておくのがよいでしょう
http://macska.org/article/152
 
 そういえば、ミクシでも、去年の夏から冬にかけてフェミニズム・コミュでの荒れ模様では、フェミニスト寄りの女性たちにさえ強い反発を引き起こす上野の言葉遣いがまさに問題になっていたわけで、そうした事情については、このコミュにもご存知の方はおられるはずです。
 
 
>>25: イメヌさん
もう一度書きますね。

>数々の暴言に対して「お前、東大教授がソレじゃまずいんじゃねえの?」というたしなめるフェミニスト・叱るフェミニストというのは寡聞にして存じません。

例えばトピ冒頭にあるような【数々の《暴言》に対して】【たしなめているフェミニストがいるのかどうか】です、私がうかがいたいのは。「議論」ならしているフェミニストが居る事位は、このコミュでも色々勉強させて頂いておりますし存じております。

その割には、「暴言」という面から批判している方が少ないな、というのが私の印象です。議論し合っている割には、妙な庇いあいがあるように感じる。正直、こうした暴言を吐き続けておいて我が国の最高権威と目される大学の教職にあるというのは、国辱モノであるとすら考えております。

勿論、私は自分がこの問題に関して「寡聞」である事は重々承知しております(そうでなければ「存じません」ではなく「いません」と申しました)。

もし違うと仰るのならば、実例を挙げて反証を頂ければ幸甚です。

あと、

>去年の夏から冬にかけてフェミニズム・コミュでの荒れ模様

これは、実際にコミュニティかトピックへのリンクを呈示して頂けませんか?大変興味があります。誤解されておいでかもしれませんが、私も反左翼の一念のみでやっている訳では御座いませんので。
>>25: イメヌさん
>macska氏の上野批判には、上野の「暴言」めいた物言いに関する部分もかなりあります

全部読んでみたのですが…少なくともmacska氏が本文中でそのような批判をしている所は私には見付かりませんでした。細かい箇所を御指摘願えませんでしょうか。
>その割には、「暴言」という面から批判している方が少ないな、というのが私の印象です。

 まさか「暴言」という言葉を使って批判しなければ「暴言」のたしなめになっていない、とは言わないですよね。暴言とは、他人を傷つけるような乱暴な言葉のこと、つまりたとえ主張の意図に一理あろうと、その言い方が粗雑で攻撃的であったりして誤解や悪印象を招くものである場合、「暴言」と言いますね。

 macska氏はまさに、上野のそういう側面を批判するために、「言説分析の手法」を用いているはずです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 わたしの批判を読んだ上野さんの最初の反応は「誤解が多い」「ためにする批判ではないか」というものだった。誤解というのはすなわち、上野氏はセクシュアルマイノリティの排除やセクシュアルマイノリティについての教育を否定してはおらず、否定しているかのように批判するのは誤解に基づくということだ。また、「ミソジニーでないゲイがいるのか」というのは挑発的なレトリックであり、彼女自身を含めミソジニーを持たない人などどこにもいない、自分の内外のミソジニーに抗い続ける人こそがフェミニストであるというのが真意であるということだった。また、「ためにする批判」というのは、すなわち批判したいという気持ちが先にあるためにする批判という意味だ。

 誤解ではないかという反論については、わたしはそれこそ上野さんがわたしの批判のロジックを誤解しているのではないかと思った。というのも、今回の批判においてわたしが採用したのは言説分析の手法であり、言説分析は「著者の意図したことが文章の正しい意味である」とする解釈を否定し、文章に隠された意図せざる前提や権力関係を明らかにするものだ。したがって、「それは意図していなかった、だから誤解である」というのではまったく反論にならない。意図すらしていない部分に問題が潜んでいる場合だってあるのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 このように、macska氏は、上野の物言いには、「挑発的レトリック」だと言ってすまないような問題があることを、懇切丁寧に説明しているわけです。これは、「暴論」批判でしょう。



>例えばトピ冒頭にあるような【数々の《暴言》に対して】【たしなめているフェミニストがいるのかどうか】です、私がうかがいたいのは。

 上野には、「オマンコシスターズ」のような単純な暴言もあるし、考え方としておかしいという意味での暴言(同性愛に対する発言など)もあります。「数々の《暴言》」というクリメント氏の最初の発言は、とくに特定の暴言をさしているわけではないので、インタビュー記事の「暴言」をめぐるやりとりを引いたわけですが、そこでも上野の言葉をとらえて、macska氏は、

>上野さんの発言が彼女自身の意図せざる異性愛中心主義を露呈しているからこそ、セクシュアルマイノリティの人たちを疎外し、かれらが「ジェンダーフリー」の看板により固執するという「効果」を巻き起こした

と厳しく批判してます。セクシャルマイノリティに対する彼女の問題発言をとりあげているわけですから、「私は同性愛者を差別する」発言や、「オマンコシスターズ」発言などと同種の「暴言」に対する批判です(ただし正確には、「同性愛者を〈差別〉する」と言っているのでこの違いは尊重すべき)。



>妙な庇いあい

たしなめる、ということ自体、手心を加えた批判ですから、たしなめる保守にも、ある種の「庇いあい」はあるでしょう。まあ、信条が近ければそういうものですし、相手の発言を全否定するよりは生産的だと思いますね。




>これは、実際にコミュニティかトピックへのリンクを呈示して頂けませんか?
 
これこれ。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9779724&comm_id=53049 

>>29: イメヌさん
>まさか「暴言」という言葉を使って批判しなければ「暴言」のたしなめになっていない、とは言わないですよね。

そんな事は申しませんが、発言している内容の批判ではなく、言葉遣いの事を私は申しております。イメヌさんだったら読解して下さると思ったのですけれど。

それから「たしなめる」についてですが、上野氏の言葉遣いについて「たしなめる」程度の事すら、著名人の同じような路線のお考えを持つ方々からは聞かないのですが、これも実例がありましたらお教え下さい。

私は「下品だ」と言っているんです。「品なんて問題じゃないだろう」と、イメヌさんや上野氏が仰るのなら、まだしも論は一貫しますが。

ただ、リンク先の61: えこまさんは、ちゃんと「言葉遣い」について言及されていらっしゃいますね。

>なんていうか小倉氏も上野氏も言葉遣いが「オヤジ」なんですよ、女のオッサン。そういう言葉遣い(女性への気遣いの足りなさ)が、アンチ・フェミ女性とか生み出して「女性同士を分断させるつもりはない」と両氏は言いつつ、自分達が先頭を切って分断させる言葉遣いをしているのでは?と。

共感するところ大ですし、品を弁えよう(あるいは戦略的な動機からとしてでも言葉遣いを考えるべき)とされる方が立場の違う方にもいらっしゃるというところには安心しました。御教示、ありがとうございます。

ところでイメヌさんの仰りよう・語り口というのは、このコミュだけに限定されたものではないんですね(苦笑)。そういう意味でも大変参考になりました。
>29
兵役と参政権がセットかよ!ってトピックもあるようですな。
共和制ローマはちと古い。もうちょっと新しくして
「代表なくして課税なし」(アメリカ独立戦争)
でいくなら、税金払わないから参政権いらない、っていうのも
あっていいと思いますね。
朗報です。


●音声記録公開の請求を棄却 福井地裁、上野教授ら敗訴
http://www.47news.jp/CN/200801/CN2008013001000442.html

 上野千鶴子東大教授らのジェンダー関連の著作が2006年、
福井県の施設から一時撤去された問題に絡み、上野教授や
市民団体メンバーら13人が県男女共同参画審議会の音声記録の
公開を求めた訴訟の判決で、福井地裁(小林克美裁判長)は
30日、請求を棄却した。

 判決によると、06年3月に県生活学習館から著作約150冊が
撤去されたため、上野教授らが、条例に基づく苦情申し出書を県に提出。
同11月、苦情を議題とする審議会が開催された。上野教授らは審議会の
音声記録の情報公開を請求したが、県は公文書でないとして、非公開を決定。
上野教授らは07年2月、音声記録は公文書に当たり、非公開は違法として提訴した。

 県は06年3月、男女共同参画推進委員から
「家族の解体を目指すなど内容が不適切」との指摘を受け、
著作を撤去。しかし、市民団体の抗議があり、元に戻した。

2008/01/30 13:52 【共同通信】
よく男女共同参画関連のコミュニティセンターのHPに書籍紹介というのが出ているが誰がどう見ても偏っているよね。こういうのを国民の税金使ってやってんだから、ある意味、すごいよねうまい!

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