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ヤットのプレーが好きすぎる!コミュの遠藤の経歴

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経歴

鹿児島県の名門・鹿児島実業高校卒業後、1998年に横浜フリューゲルスに入団するが、同年限りでクラブが消滅。1999年に京都パープルサンガに移籍した。京都がJ2に降格した2001年からはガンバ大阪に移籍。チームの中心選手として活躍している。日本代表も各世代でコンスタントに選ばれており、所謂黄金世代と呼ばれているの選手の1人である。

2006年10月11日インド・バンガロールで行われたアジアカップ予選のインド戦のため現地入りした後、発熱して試合を欠場。帰国後も微熱や肝機能低下などの症状が続き、後の検査の結果ウイルス性肝炎と診断された。10月20日に兵庫県西宮市内の病院へ入院した。 11月6日に退院し、12月2日のリーグ最終戦の浦和レッドダイヤモンズ戦に後半9分から出場し、復帰した。


プレイスタイル

中盤の底から長短自在に左右に散らす正確なパス、際立つ視野の広さ、要所要所での守備。ガンバの攻撃サッカーにおいて遠藤が果たす役割は大きい。
右足のキックは強くてパンチ力がある。チームではFK・CKを任されることも多く、またミドルレンジからのシュートは大きな武器でもある。
PKとFKの上手さは日本人全体から見ても1・2を争うキックの名手であり、特にPKに関してはPK職人というニックネームも一部でつけられている。PKの特徴としてはゆっくりとした助走から入り相手GKの動きを見ながら相手の逆方向へ蹴る。しかし2005年のナビスコカップ決勝戦、ジェフ千葉とPK戦までもつれ、1人目のキッカーに指名されたが立石智紀にセーブされ、チームも優勝を逃すという悔しい経験もしている。試合後には「初めてPKを失敗した」と話した。その後のリーグ戦でもPKを任されるとほとんど決めているが、ジェフ千葉と対戦したときは立石智紀に再びセーブされる試合もあった。

経歴

鹿児島実業高校 1995年-1997年
1995年 高校選手権大会 優勝
1996年 全日本ユースサッカー選手権大会 優勝
横浜フリューゲルス 1998年
Jリーグ初出場 1998年1stステージ第1節横浜戦(3月21日)
Jリーグ初得点 1998年1stステージ第15節鹿島戦(8月1日)
京都パープルサンガ 1999年-2000年
ガンバ大阪 2001年‐現在

Jリーグ出場記録

年度 チーム J1/J2 リーグ戦 カップ戦 天皇杯
1998年 横浜F J 16試合1得点 4試合0得点 0試合0得点
1999年 京都 J1 24試合4得点 2試合0得点 2試合0得点
2000年 京都 J1 29試合5得点 6試合1得点 1試合0得点
2001年 G大阪 J1 29試合4得点 4試合0得点 3試合1得点
2002年 G大阪 J1 30試合5得点 8試合1得点 1試合0得点
2003年 G大阪 J1 30試合4得点 6試合0得点 2試合0得点
2004年 G大阪 J1 29試合9得点 0試合0得点 3試合0得点
2005年 G大阪 J1 33試合10得点 4試合0得点 2試合0得点
2006年 G大阪 J1  -試合-得点   -試合-得点   -試合得点
通算  220試合42得点   -試合-得点   -試合得点


代表歴

1998年 アジアユース(タイ)出場 準優勝
1999年 ワールドユース(ナイジェリア)出場 準優勝
1999年 シドニー五輪予選出場
2003年 A代表
コンフェデレーションズカップ(フランス) 予選リーグ全3試合に出場。
キリンチャレンジカップ 8月20日ナイジェリア戦にて日本代表初ゴール
東アジア選手権大会(日本) 全3試合に出場。
2004年 A代表
ワールドカップ・アジア地区一次予選 オマーン戦(ホーム)、シンガポール戦(ホーム)に出場。
キリンチャレンジカップ
アジアカップ(中国) 1次リーグ全3試合、決勝トーナメント準々決勝ヨルダン戦に出場。準決勝バーレーン戦で一発退場。
2005年 A代表
ワールドカップ・アジア地区最終予選 北朝鮮戦(ホーム・アウェー)、イラン戦(ホーム)に出場。
キリンチャレンジカップ
2006年 A代表
2006年ドイツW杯代表選出(出場機会なし)

個人タイトル

2003年 - ベストイレブン
2004年 - ベストイレブン
2005年 - ベストイレブン
2006年 - ベストイレブン

エピソード

スケールの大きなボランチとして、同世代の稲本潤一と常に並び称されてきた。
2006 FIFAワールドカップ日本代表に選出されたが出場機会は無かった。代表に選出されたフィールドプレーヤー(GK以外の選手)では遠藤だけがピッチに立つことが出来なかった。
「桜島の遠藤三兄弟」と言えば地元でも有名だが、保仁はその末っ子で、次兄はヴィッセル神戸の遠藤彰弘(前横浜F・マリノス)である。
チーム内での愛称は「ヤット」。また容姿が似ている為か一部には「ガチャピン」とも呼ばれている。実際2005年9月24日放送のフジテレビ「ポンキッキーズ」に出演した際、本物のガチャピンと共演し、「僕に似てるって言われるでしょ」質問をされ、「昔は良く似てるって言われてました」と答えた。
TBSテレビスーパーサッカーPLUSのガンバ大阪優勝特番にて、アンケート内容の回答項目のほとんどが「特になし」だった為に、加藤浩次から突っ込まれた。
私服はかなりオシャレである。

コメント(2)

2005年ナビスコ杯決勝のPKが“人生ではじめてはずしたPK”だったんですよね。
素晴らしい試合だったので、すごく覚えています。
しっかり目に焼きついていますよ。
でも、どうも立石選手とは相性がよくないようですね(^-^;

2006年W杯。出場を祈っていたけれど。。。
俊輔を活かすにはヤットが必要だったと思うんですが・・・。
“水を運ぶ選手”“ミスの少ない選手”・・・
オシム下でも必要な選手だと思います!!!
オシムJAPANで輝くヤットが見たいですよね☆
2010年南アフリカ大会は絶対出場出来ることを信じています!!!

肝炎から復帰した2006年最終節浦和戦、
アップの時にヤットコールをしたら手をあげて答えてくれました。
普段は絶対そんなことをしない選手なのに。。。
たったそれだけのことに胸が熱くなってしまいました・・・(T^T)

なんかヤットにドラマを感じるのは私だけでしょうか?

淡々ときちんと答えつつ、マニアックな笑いを誘うコメント。
ガチャピンや鬼太郎に似ているルックス。お茶目な笑顔。
ちょいワル系の私服・・・
ヤットの魅力は噛めば噛むほど味わい深いですね〜(ノ∇≦*)♪
2005年ナビスコ決勝でPK外した時のヤットの顔は一生忘れません。

シドニー予選、W杯ドイツ大会、
と、出場できないつらさを味わってるヤットですが。。
2010年南アフリカ大会では中心選手となって活躍すると期待してます!!!

ガチャピンに似たシュールさも大好きです★☆

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