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飛松中学校コミュの森と川がある学校

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「婦人の友」という雑誌から要請されて、次のような実践報告を書きました。
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森と川がある学校

 教室の窓から南を見ると須磨の街並みをへだてて大阪湾が一望でき、北側には山がせまっている。
神戸の市街地の背後に連なる六甲山地の西端に近いところに横尾山がある。その山麓に学校はある。校舎の北側の校庭を抜けるとそのまま自然の森へとつながっていて、昼休みや放課後には子ども達のかけまわる姿がある。
 須磨ニュータウンから水を集めて、須磨海岸で大阪湾にそそぐ妙法寺川。その支流のひとつが東細沢谷川である。学校はこの川がつくった扇状地の要の位置に建っている。
 森があり、川が流れる学校は、私が勤める神戸市立飛松中学校である。

 60年前にこの場所に新しい中学校を設置することを決め、森と川を校地に取り込むことを決断した先人達の発想に驚くばかりである。「山が林が呼んでいる。こずえの鳥もせせらぎも」で始まる校歌は、この学校のすばらしい自然環境を文字通りそのまま表現している。
 
 2000年にこの学校に赴任したとき、私はこの自然環境を生かして何かができる、何かをしたいとワクワクした。

ひょうたん池の発掘

 学校の地図で学校林の中心に「ひょうたん池」と書いてあるのに、池が見当たらないことが気になった。活動が停止していた理科研究部を再建したのは2年目のことだった。理科研究部の子どもたちと池のあるはずの場所を調べることにした。子どもたちは懸命に地表の土砂を取り除いていった。その結果、ひょうたんの形の池が姿を現した。池は森の斜面から崩れ落ちた土砂によって完全に埋没していたのである。
 暗い森が池を埋没させる原因であることに、私は気がついた。クスノキやアラカシのような常緑樹が大木となっている。林床には光が差し込まないために下草も生えないので、裸地になっているため雨が降るたびに土砂が流入し、池は埋められてしまったに違いないと考えた。校長室にあった古いアルバムを見ると、30年ほど前はもっと明るい森だった。今では、とても暗い森になってしまったのだ。もっと明るい森にする必要がある、そう考えた。 
 理科研究部の子どもたちは「飛松中学校の森の生態調査と再生作戦」というテーマで、森の樹木を調べ始めた。試しに池のまわりのアラカシを1本切り倒してみた。その瞬間に差し込んできた太陽の光。林床がぱっと明るくなった。そこに新たな草や木の芽がふき出すのにそう多くの時間は要らなかった。
「太陽の光って、すごいんだ」と子どもはつぶやいた。
 理科研究部の活動として、森林の調査と間伐、枝打ちなどの整備をほそぼそと続けていった。
子どもたちは、野外にでて活動したり調べたりすることがとても好きだ。特に水のあるところがおもしろいらしい。子ども達が調査し、学ぶことのできる自然の素材は身近なところにあふれている。その興味や問題意識を掘り起こして、飛松中学校周辺の自然環境調査(「東細沢谷川の土石流と崖崩れ」「東細沢谷川の環境と生い立ちを探る」「山の花こう岩が海岸の砂になるまで」などのテーマ)を理科研究部の継続的な研究として行なっている。

自然の中で自然体験「ネイチャースクール」

 恵まれた自然を生かした自然体験学習を1年生の「総合学習」としてやろうと計画がまとまったのは2003年のことであった。自然体験学習を「ネイチャースクール」と名づけてとりくみを始めた。
 まずは、自由な自然遊びをさせることにした。子どもたちに与えるのは、あふれる自然とたっぷりとした時間、そして「他人に迷惑をかけない」「笛がなったら集合する」というルールである。山を駆けめぐる、木に登る、自然のつるで縄跳び、ブランコをつくる、昆虫を捕まえる。のんびりおしゃべり・・・など実に生き生きと遊んだ子どもたちである。
 森の管理の必要性を説明し、そのための作業も呼びかけた。落ち葉を集める。ササを刈る。森の中に散らばっている枯れ枝や伐採した枝を集める。切りそろえて薪にする。のこぎりを初めて使う生徒もいる。夏休みの登校日は、春に集めた薪を使っての飯ごうすいさんである。
 草むらを開墾して畑をつくる。ここにサツマイモを植えて、秋に収穫して「焼き芋を食べる会」につながっていく。谷筋を200mほど上流へ行くと、1年中水が流れている。そこから取水し、ホースで水を引き、常時自然の水を供給できるようにした。サツマイモを育てる水である。
 自然の中での活動では、生き生きとした子どもたちの姿をみることができた。ふだん、自然とたっぷりと付き合っているとはいえない子ども。自然の中に連れ出し、見通しや課題を提起すると創造性を発揮する。いろんなものを発見する。何かをなしとげるときに協力や共同の力を発揮する。
 しかし、一方でこの活動をするためには教師にかなりの労力が必要であり、継続・発展には困難性も感じるようになってきた。


現地で学ぶ大地の成り立ち・・・理科教育

 「わたし達の生きる大地の成り立ちと生い立ち」と題する理科の授業の第一番目のテーマは「学校の周辺の地形」である。子ども達を校舎の屋上に連れて行き、神戸の街をながめて地形の観察をする。
「南はどんな風景が見えるでしょう」「北はどうでしょう」「東は何が見えますか」「その地形を簡単にスケッチしましょう」と問いかけ、課題をだす。
 「先生、北ってどっち?」「僕の家が見える」「あれがダイエー」などと言いながら、ふだんは立ち入り禁止の屋上で大喜び。「スケッチ」というと、建物ばかりに目がいってしまう。平野と山地の地形を意識させるのは、なかなか難しい。
 次は、その地形を読み解くことを課題とする。昔の地形図を配って学校の位置を確認する。もちろん、そこには学校はなく、ため池があったこと、学校が扇状地の要の位置に建っていることを確認。この日の学習の重要なポイントは、扇状地の地形がどんな働きでつくられたかである。
 小さな「溝」にすぎない東細沢谷川は大雨が降ると大暴れをする「土石流危険渓流」である。昭和36年の大雨で発生した土石流で、飛松中学校の校庭の三分の一が破壊されたことがある。そのときの記録写真を見せた。
「すごい、水にこんな力があるんだ」「また、こんなことが起こると怖いな」
 扇状地は山から運び出された土砂が積み重なってできた地形である。山が材料を提供し、川が仲介して、平野がそれを受けとめる。いよいよ、この山と平野の関係を学んだ子ども達を連れ出してのフィールドワークである。
 学校の裏門を出て5分ほど山の方へ行くと砂防ダムにつきあたる。ダムの裏の谷の斜面の岩石を手に取ると形を保つことなく完全にばらばらになる。
 私が素手で岩石を壊して見せると、子どもたちも崖に近づきそれぞれ岩を壊しだした。
 「ほんまや、こんなに軟らかい」「砂みたいや」「すぐ、崩れるで」
墓石や石垣に使われている美しく硬い岩石とは、とても同じものとは思えない。風化した花こう岩は崩れやすいから、斜面の各所で崖崩れが起こった跡を見ることができる。
 
 山地では大雨が降ると崖崩れが発生し、土砂が谷底にたまっていく。数年〜数十年に一度の集中豪雨によって、土砂は土石流として下流に運び出される。土石流を防ぐために、砂防ダムが設置されている。  
実際に、砂防ダムの上流側には土砂が大量に堆積している。
 「ここはミニ平野なんだ」と言った生徒がいた。あまりにも適切な表現なので感心してしまった。
 子ども達はこの日の野外観察で、硬い花こう岩が風化して、もろくなり、崩れて、運ばれて、堆積するという一連の過程とそのために発生する崖崩れ、土石流のことを現場で学んだ。
 自分たちが現地で観察してきたことをレポートにまとめるのが、次の時間の課題である。
 この一連の授業で興味をもった子どもの中で、3年生の夏休みに、ダムにたまった地層を掘り出して調べるグループも現れた。


大人だって森で遊んでいいですか・・・とびまつ森の会の発足

 2006年12月に飛松中学校を会場として兵庫県立淡路園芸景観学校が「里山を考える」講座を開催した。約20名の受講者が1週間にわたって、熱心に「里山」に関わる諸問題や技術を学んだ。  
 講座が終了した時に、私と学校長の連名で「大人だって森で遊んでいいですか」と飛松中学校の森を活用する自主的なボランティア団体の設立を呼びかけた。学校林を活用し、整備し、管理しながら、この森と川を人々が心地よくすごせる空間にしていくことが目標であった。
 この呼びかけは地域の人や同窓会にも行なわれ、すぐに地域や園芸景観学校の受講生などが30人ほどの人々が集まってきた。規約、組織や活動計画も決められ、4月に会は「とびまつ森の会」としてスタートした。月2回の定例活動日には、森の下草刈り、樹木の調査、畑の整地や植え付け、間伐などの作業を行なっている。
 理科研究部の子ども達が1年前から掘り進めていた「池づくり」は、三ツ星ベルトからゴムシートの提供を受け、森の会のパワーを借りて、ビオトープとして完成した。いま、ビオトープには何種類もの水生植物が育ち、多数のメダカ、オイカワなどの魚が泳いでいる。季節に応じたトンボもやってきていたから、今年はこのビオトープから生まれるトンボもいるだろう。
 生き物がいると、子どもたちも集まってくる。水辺に立ってじっと指を出し、自分の指にトンボを止まらせた生徒がいたのは感動ものだった。
 夏休みには、地域の小学生を対象にした「親子自然観察・木工教室」を理科研究部と森の会の共催で行なった。飛松中学校の生徒が参加する「大流しそうめん大会」もやった。
 学校の教師と子ども達だけで行なってきた森林の管理や整備の面でも、この自然を生かした活動や学習の面でも、「とびまつ森の会」の存在と活動がいままでの限界を打ち破って新たな展開につながっていくだろう。


自然と人が触れ合う豊かな森と水辺への夢

 13年前の阪神淡路大震災は、わたし達に自然の力の大きさと人間の非力さを見せつけた。あの地震は六甲山地の変動のひとこまとして、自然にとってはごくありふれた出来事だった。自然は法則どおりに、ささやかな動きをしたに過ぎない。
 しかし、人間にとっては衝撃的な大事件であった。自然のスケールと人間のスケールの違いを知らなければいけない。人間は自然には勝てない。
 そのことを知った上で、自然を生かし、自然と共に生きる知恵や技術を発揮することが求められている。
 自然を育て、自然を生かす、自然から学ぶ、そんな試みが積み重なって、10年後、20年後の自然と人が触れ合う豊かな森と水辺がいっそう豊かに充実していくことを夢見ている。

コメント(2)

はじめまして。たぶん35回生のどっぷらーと申します。
カクさんの書かれたのを拝見して、中学時代を懐かしく思い出したので少し昔話を。

しばらく飛中に行ってないので今もあるかどうかわかりませんが、
北側の運動場の奥にあったテニスコートの横をさらにのぼっていくと
ダムに突き当たり、丸太橋がかかったコンクリートむきだしの涸れ川と
それをはさんで少しスペースがありました。

私が在学中は、一年生の夏休みに全員でその裏山(?)でキャンプをしてました。
昼頃集合して、4,5人のグループにわかれてテントをはって、
夕食には定番のカレーを作って食べて、そしてこれまた定番のキャンプファイヤーをして、
そして消灯。

しかし中学生がそう素直に寝るはずもなく、こっそり抜け出してプールに入ったり、
ラジオをイヤホンで聞いてたりと、結構やんちゃしてましたが、
先生も知っててある程度見て見ぬフリしてくれてたんでしょうね。
ちなみに私はその時、中島みゆきのオールナイトニッポンを聞いてました。
3時前眠たいのを必死に我慢して、最後のいい話が書かれた葉書をみゆきさんが
読むのを聞いてからやっと眠りにつきました。変な中学生でしたね。

すみません。話がそれてしまいました。
で、その裏山は、理科の授業で植物の生態を観察したり(シダの観察とか)、
昼休みに鬼ごっこをしたり、運動部がトレーニングするときに使ってたりと
みんないろいろな思い出があることからか、
卒業アルバムの集合写真をそこで撮るクラスも結構あったと記憶してます。

飛松中は隣の太田中とか西代中にはない自然に囲まれた素晴らしい学校だったんですよね。
それが当たり前のように思っていたのですが、貴重な経験だったと今改めて思います。
どっぷらあさん。
アカシア広場でのキャンプを4年前に復活させました。
「とびまつ森の会」というボランティア団体ができて、
毎月、2回「とびまつの森」で、「遊んで」います。
もし、可能であればぜひご参加下さい。

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