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乗馬(馬)研究会コミュの俺流 馬雑学 街伝説第1章 第2章

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 第1章 馬とは
 「馬は何故走る、犬は何故走る」皆さんは こんなことを考えた事はないだろうか、馬が走るのは 「好きだから」「運動のため」では犬も同じ事が言えるだろうか、

 馬が走るのは恐いから走るのであるなぜなら 肉食獣から追われる とりあえず 逃げておこう と言うことである、自然界で過す馬たちは(今は少なくなったが)ハーレムで生活する 一頭の強いボスが 群れを率いて 肉食獣からみんなを守りながら 生きていくが 大体 広いサバンナの中で 1キロ県内に肉食獣が居ないことを監視しながら 若い 次期ボスたちと 牝馬仔馬を守っている 、
頭のいいボスは 「あそこのライオンは 今満腹だから 大丈夫 皆安心して草を食んでいいぞ」と言って丸々肥えるが、

 頭の悪いボスは 満腹のライオンが居たら「ライオンが居る 皆逃げろ」って草を食う時間が少なくなってしまい あまり肥えていない、だから 「痩せ馬の先走り」とはここから来たのではないかと私は思うのである。

 犬は走ることによって美味しいものに出会う だから走るのが好きだ、馬とは正反対なのである。

 その 馬の走りを利用して競馬や馬術は出来ている、「如何に早く逃がすか」それを 「如何に早く走らせるか」に掛かっている 早く走ると 「この馬は速いから 子孫繁栄に使おう」と言う事で種牡馬になれる、が それは 一握りの馬に過ぎない、多くは自然の摂理で 弱肉強食になっていく。

 例えば障害馬術で 障害を飛ぶのも 本当は馬は飛びたくないのであるが 「ここを飛び越えたら 肉食獣は追ってこれないから ここを上手く飛んで逃げるよ」って騙しているのだ 又騙さないと馬は飛んでくれないから、 だから騙すと言う字は馬偏がつく。
馬乗りの極意は 如何に馬を 「騙すか」「馴らすか」(馴れるか)に掛かっている。

 馬にはけして お願いしてはいけない「お願い走ってね」「お願い飛んでね」などと言って「ハイ解かりました」と言う馬は絶対居ない、
拍車や鞭はそのために持って(競馬でも馬術でも持っていい事になっている)いいが それは「ほらほら ここまで肉食獣の 爪が来てるよ」、とか「ここまで肉食獣の 牙が来てるよ」とか 「騙す」のである。 

 「人間何故馬に乗るのだろうか?目的は何なんだろうか」よくそんな質問を お客さんに問いかけてみる、 大体答えは 「楽しそうだから」「馬が好きだから」「美容と健康のために」「癒しになる」「競技に出るため」「ステイタス」などなど。

 おいらの考えは「早く遠くへ行くため」だと思うのである、だが 人間が馬にたどり着くまでには 色々なものに乗ってみたと思う ライオンにも乗ってみようと思ったかもしれない ヒョウにも カバにも 亀にも 色んな犠牲もあったことだろう、そして犠牲もたくさん有っただろうが その先人の犠牲が有って 今楽しく馬に乗れていることを 思い出さなければならない。

 よく 「ふぐは食いたし 命は惜しゅし」と言う言葉や なまこや 山菜など最初に食べた人には敬服するものがある、それと同じように 馬もまた 最初に乗って見ようと思って 乗った人にも敬服する。

 つい先日、九州国立博物館で 「アジアを駆けた馬たち展」と言うのをやっていて 興味本位で見に行ってきたが 「やっぱりね、そうだろね」がとっても多かった その案内の中からの抜粋もアルが 大体おいらが考えていたような内容であってけして 盗作ではないことを断っておきたい。

 最初の頃は もちろん裸馬、しかも 乗る人も裸同然で、たてがみにつかまっていたんだが 目的地の方向の指示も 止まれの指示も出来なかった まだ ハミのようなものももちろん無かっただろうし お尻が痛かったので 敷き物を馬の背中に敷いてのったがまだ痛い そこで 痛いところはどこかを考えて 創ったのが ズボンである それまでは 男は裸同然 女は腰巻くらいしか着けてなくて だから いまだかって 大体ズボンは 男で、スカートは女と言う風になっている。

 

 馬と言う動物が 動物の中心であると言うことを 皆さんは御存知だろうか?
その順番を決める 会議が神様の申し出で 行われた会議 つまり干支の事である
たくさんの動物を集めて 早いもん順に 12支を決めたわけだが 何故だか あのすばしっこい 猫がいないのである 皆さんは御存知であろう ネズミが猫に集まる日にちを一日遅く嘘を言ってたからであるが、 その腹いせに今でも 猫はネズミを追っかけまわしているわけだ、

 ネズミが何故一番かと言うことも皆さん御承知だろが念のために 二番目の牛の背中に乗って行って 神さんの前で 「ひょうい」と進み出たからだ。

 ところがここに来て(会議の最中に)神さんがはたと困った事が出来た、それは イタチが現れたからだ 12匹分の椅子は埋まってしまった、そこで神さんは「どうだろ イタチをどこかに入れられんだろうか」と相談したが皆は聞き入れなかった、
 困った神さんは 「仕方ない、月に一日だけイタチの日を作ろう」と言う事で皆に了解を得て 月の最初の日を 「ちょっと遅く着いたち」「ついたいたち」つまり「ついたち」と言う事になったのである、

 所でこの中で 馬はまだ出てこないが、7番目の動物が馬である、昔の時間の数え方が「刻」と言う 大体今の時間の 2時間が一刻、前後が重なることもあるが、

 一番最初の 子の刻(ネズミの時間)は 夜中の12時から始まる、「草木も眠る丑三つ時」とは 牛の時間が始まって 3つ過ぎた頃 夜中の2時か3時頃である、
 夜中の12時から始まったのを子の刻 それから 12時間後 昼の12時前後を 馬の時間 つまり午の刻と言う だから 正しい午と書いて 「正午」(しょうご)と言い 午の前を 午前(ごぜん) 午の後ろを 午後(ごご)と言う

 だから 馬が動物の中心と言うことになる。


 その会議の中で 神さんが「皆生まれて30年生きてていいよ」といったんだが 動物たちは一応に 「そんな長く生きたくない せいぜい10年以内でいいです」と言い出し 困った神さんは オブザーバーで来ていた人間に 「おい人間 みんなが要らんと言とる 余った歳を 貰ってくれんかい」と相談を受けた 人間は 「ハイ解かりました」と言って 115歳まで生きることを許されて 今日に至っているのだが、 

 最初の30年は人間自分の歳、その次の20年くらいは 馬から貰った歳を使っている、その証拠に 男が結婚の申し込みに行ったときに 親御さんから「どこの馬の骨ともわからんような奴に 娘はやらん」と言われる事もあり それじゃって事で 「馬車馬のごとく 働く歳」もちょうどそのくらいである。

 次の歳は 犬から貰う、 会社や社会でもそれなりの地位になり 意見も言うようになり いつも「キャンキャン」と犬のように吠えて 人に意見したり 指示指図をするようになる。

 その次は サルから貰う、 会社や社会的地位から リタイヤして 余生を送ってる じさま ばさまを見ると 皆一応に サルのような顔になってくるから不思議だ。
だから 「お」をつけて動物を称するのは 馬とサル「おうまさん」「おさるさん」一時代「おいぬさま」といったこともアル、
他の動物に「お」をつけて呼ぶことは無い、例えば おネズミさんとは 言わない、し おとらさんともいわない。

 馬と人とは似通った所が多い、少なくとも 牛とより人間との方が共通点は多いようだ。

 例えば 牛には 胃が4つアルが 馬や人には 一つだ、歯も 牛の歯は 上顎にはついてない、馬や人には上下ともある しかも 前歯は尖っていて 奥歯は 平たい、
人と馬と最も共通する所は 汗をかくこと 他の動物で汗をかく動物は カバだけ、他の動物は汗をかかない、牛は鼻の頭で 犬はベロでといったように。


 馬にまつわる 言葉や ことわざもたくさんある、 良きにつけ 悪しきにつけたくさん登場する。

例えば「どうもあの人とは うまが合わん」と言う事がある、又逆に 「あの人とは うまがあう」という事があるが
その言葉の意味は 馬に乗ってみるとようく解かる 逆にに乗ってみないと解からない、うまが合わん「うま」と 乗る「馬」は一緒のことだからだ。

 「うまがあわんひと」からは 意見が合わなかったり 嫌事言われたり 変な態度取られたりするから 嫌いになる、だから「どうもうまがあわん」になるが、

 「うまがあうひと」からは 褒められたり 「そうね」って同調されたり お互いが 常日頃から 合わせ合うから 「あの人とはうまが合う」と言うことになる、

 何故馬に乗らないとそれが解からないかと言うと、馬に乗った経験がある方は 最初に乗った時の 前後左右のあの揺れに 「びっくり おっかない 痛い」があるのを感じたことだろう、

 馬に乗ったら 絶対的に馬の動きに 合わせて行かなければ 「びっくり おっかない 痛い」が 永遠に続くことになる、 

 ではどうして馬の動きに合わせて行くか、変な言い方かもしれないが 「馬に乗らずに リズムに乗る」事が大事である、 馬の前後左右の揺れを 腰で全部吸収して 腰から上に 馬の動きを伝えないと言うこと、

 だから腰と言う感じは にくずきに要と書く とっても重要な所なのである、

 「あの人は 腰が低いねぇ」とか 「腰の座った人」などと言うのは褒め言葉なのだ、

 だから 対人間にも こっちから 絶対的に合わせて行く事が 「うまの合わない 人を作らない」秘訣でもアル、 こっちから絶対的に合わせるのは 目上の人に限らず 部下にも 子供 など 上下関係 関係なく 特に 夫婦間では とっても大事なことである。

 「馬には乗ってみよ、人には添うて見よ」ということがある、馬を買うときなど 絶対的に乗って見なければその馬の良し悪しは解からない、
よく聞く話しだが「ビデオだけ見て 気に入ったから買ったら とんでもない馬だった」とか 人任せにして「この馬は間違いない」と言われたから買ったら どうも自分には合わないとかよく聞く話しだ。

 人ともそうである 顔がいいからってそこだけに惚れてしまって 一緒になったら いびきがすごかった、とか。

「天高く馬肥ゆる秋」
秋になっていい天気で 食事も美味くて スポーツするのも雨が少なく絶好の日和になることの 代名詞のように聞こえるが、実はこのことわざには後があって 昔 中国東北部には 馬賊という騎馬民族が居て 夏のいい草を食った馬たちは肥えて いつでも略奪にいける体制になっていて 農耕民族が育てた 穀物などを奪いに来るので 秋になると元気な馬で襲いに来るから注意しなさい、という戒めがある。

 「馬耳東風」「馬の耳に念仏」などということわざがあるが 「あいつに言って聞かせても無駄だ」と言うような意味である、


 だから馬はあんまり頭のいい動物ではなさそうだ、大体 人間の頭脳にすると5歳くらいと言われている、実際 馬の頭がよかったら 馬には乗れないかもしれない なぜなら 馬が「おまえ下手いね、乗せにくいから 乗せん」と言って 暴れるかも知れないからだ、

 なかには 6歳7歳の頭脳を持った馬もいる事がある 今までの経験で こんな馬は本当に恐い、向かってきたり 本能的に立ち上がったり 尋常な跳ね方ではなく 本気で落としてやろうと言う 跳ね方をする。

 「牛引く馬鹿に 馬追う馬鹿」
牛は引いてもなかなか動いてくれないし、角で撞いてくる場合もアルからやめたほうがいい、
 馬は逆に 追うと 蹴ったりとんでもない方向に行くからだ。

 馬と鹿と書いて 「ばか」(馬鹿)と言う言葉があるが この言葉の意味は 諸説アルが、
昔中国で 威張った殿様がいて「おい 今から 狩に行く 馬を用意しておけ」といつものように 威張り散らして言っている
家来たちが 鹿に鞍を着けて 待っている、「馬を用意しておけといったのに、なぜ鹿に鞍着けておる」と家来が「いえこれは馬でございます」 殿「何が馬だ 鹿だろうが」違う家来に「これは鹿であって馬ではないだろう」と 別な家来も「いえこれは馬でございます」と 又別の家来も 次の家来も皆 「馬でございます」と 言うもんだから 殿は「俺は鹿だと思うが 皆が馬だという 馬と鹿の区別が出来なくなった」と そこから 「馬鹿になった」と言うことに、

 こんにち、この「馬鹿」と言う言葉は 「何も知らない」ことや「変なことをする人」のことをさすことが多いが

 この「馬鹿」と言う言葉は 目上の人には使っていいが、けして目下の人に使ってはならないのである、なぜなら 目上の人は何でも知っていて当たり前 でもその当たり前をかさに来て 威張り散らすような奴には、、、、、。

 目下の人は知らない事が有って当たり前 だから 目下の人には 教えて引き上げてやるのが 上司として 友達として大事なことである。

 「道草しないで帰れよ」、とよく言われたが この道草も馬が絡んでいる
昔 自動車が無い時代 馬車が貨物を運ぶ手段だった、
田舎から街まで せいぜい一往復 夕方 小腹がすいて 今で言う ドライブインのような食堂があって そこで酒を一杯引っ掛けて 馬車に寝転がっていれば 馬が我が家まで連れて帰ってくれたものだった、

 ところが ばくち好き女好きのオヤジは たまに遊んで帰る いつもより遅い旦那を 家で心配しながら 奥さんは待っている 遅くになって 馬車に揺られて帰ってきたオヤジの言い訳が、「この馬奴が 途中の道端の草ばっかり食べて 遅くなったよ」って言い訳したのである 奥さんは まんまと騙されて 遅いときは 又馬が道端の草 道草してると思いこんでいた、何かの拍子でそれがばれてしまった、
今でも 子供たちに「道草せずに帰りナよ」って言うのはここから来ている。

 バケツという 水を汲む道具があるがこれも馬から来ている、昔は偉い人しか馬に乗らなかったから その馬も 「お馬様」と言って 馬屋も 立派な板張りの間で 四六時中家来が 馬方 馬番として ついていて 糞も ションベンも し始めたら 板張りを濡らす(汚す)といけないから 柄の着いた桶を差し出して 取ったものだった

 馬のけつに持っていく桶、「ばけつ」となった訳だ。


 馬のつく漢字がたくさんあるが いくつくらいあるとお思いだろ、JIS規格で40個ほど その他探したら400個ほどあった、そこで 馬偏の漢字の面白さを、
 一番 楽しいと言うか 的を得てると言うか そんな感じがこれだ「騒ぐ」(さわぐ)
馬をじっと観察してると けしてじっとしてない、常に動いて 尻尾を振ったり 前足を上げたり 後ろ足を上げたり 首を振ったりと 常に動いている それも激しくなったり 大きくなったり、「あのうまさわがしいねぇ」と言って近づいて見ると 答えが出てくる「馬に又虫」が付いてるからだ、
その虫は 「ウシバエ」と言って 吸血バエだから 人間が蚊に指されたのと同じで 「パシッ」と一瞬の内に叩く それといっしょなのだ。

 「馴れる」(なれる)これは 昔まだ 水道が発達してない頃 田や畑で 汗をかいて 一生懸命 仕事して お疲れ様と言う意味で 川に連れて行き 汗を流してやろうと 連れて行くが 昔の川は 浅くて広くて 大きな鮒や濃いがたくさんいて 目のいい用心深い馬は「あそこに何かいる 恐いから 川には入らない 入りたくない」と 仕方なく 川岸につないで 水を汲んできて かけてやってたら ほてったからだが 気持ちよくなって 何度も行ってる内に 馬が水の中に入って じっとしてる 水を掛けても気持ちよさそうにしてるところから 「馬が川に入ってきた」「馬が川に」「馴れた馴れた」と言うことに、、。

 そのまだ馴れてない 馬を川岸に繋いで置くときに 使った植物が 「駒繋ぎ草」という 学名の草が 川岸には生えている。
馬が引っ張っても抜けないくらい 根を張った草だ。

 「駅」この字は「尺」と言う字が 「取り返る」と言う意味がある 馬を取り替えて 新しい馬で 旅に出る所が「駅」。

 「験す」(ためす)「人には添うて見よ、馬には乗ってみよ」と言うが いい馬かどうかは 乗ってみないと解からない 「験してみないと」。

 「駿」(しゅん)これは 「すばやい、すばしっこい」とも読む 速い馬 勝つ馬 優駿は 「優れた速い馬」ということ。

 「騙す」(だます)馬は攻撃する武器を持ってない よわい動物である しかも学習能力が低い つまり頭が悪いから すぐに騙される、逆に騙され無い馬には乗り難い、馬に乗る極意は「いかに馬を騙すか いかに馬に馴れるか」、、どちらも馬がつく。

 「驚く」(おどろく)、馬の前に立って 見上げながら「ほ〜う いい馬ですなぁ、すごい馬ですなぁ」と馬を敬う顔が おどろいたように見える。

 「騎」騎乗などに使うが 馬に乗るときには 馬に近寄っていかなければ乗れない。

 「駄」(だ)駄目などに使うが 馬は太りすぎると よくない 人間も同じ太ってる人は 何かにつけ駄目駄目。

 駆ける(かける)この駆けるは 近くを走っている馬に用いる

 駈ける(かける)この駈けるは 遠くを走っている馬を指す 「あの丘」は向こうのほうにある。  

 ひゅう、(パソコンでは出なかったが)、轟くという字のように 馬を三つ書いて 「ひゅう」と読むが たくさんの馬が 走ると 早くて ひゅうっと行ってしまうからだ?。


第二章 馬に乗るということ
日本人が 誰でも馬に乗り始めたのは 戦後のことである、それまでは 特権階級の人しか乗れなかった、例えば  皇族 軍人 その取り巻き 極ごく一部のお金持ち位だった だから いまでも 「馬に乗ってるの」「趣味は乗馬です」と言うと 「ほう、いいねぇ、お金持ちやねぇ」と言われる事があるのはその名残である。

 元々「馬」と言うものは 戦争の武器だったから 「誰でも乗ってはいけない」と言う 御触れがあって 馬の管理管轄は お上の仕事だった。
 
 昔の参勤交代には 「けして馬に乗ってきてはいけない 何人の家来と歩いて江戸までおいで」と言う決まりがアル。

だから日本人には 馬に乗ると云うDNAが乏しく 今 趣味で馬に乗ってる方々は ほとんどの方が馬乗り初代である だから 苦労する、商売でも何でも 初代というのは苦労するものなのだ 
今の日本で 馬乗り二代目という人が ようやく出てきたが 三代目になると 絶滅危惧種くらい少ない、

 ところが ヨーロッパ アメリカ モンゴル辺りの方々には 馬に乗るというDNAが 脈々と流れている だから スポーツ乗馬 いわゆる馬術の世界において 日本人がなかなか勝てないのが現状だ。

 よく 「馬7に人3」ということを聞くが いくらいい馬に乗っても人が 乗れなきゃ 最初は動いていても(飛んでいていい成績も出せるが)だんだん 馬のほうが 「この脚力だったらこのくらいでいい」と 学習して 段々飛ばなくなる、
それを 日々調整してベストコンディションにもって行くことこそ 調教であり よき乗り役ということになる、調教とは 調べて教えると書く 何も新馬を飛ぶようにすることだけが 調教ではない。

 馬に乗る以上 初心者でも 調教をしている、それは いい馬を悪くする調教ということ ただ初心者の場合 仕方ないことではアル だから ここでも 乗れるいい調教者が必要になる 今のインストラクター(指導者)は 人に言葉で教えることは出来るが 馬に自分の体を使って教えることの出来る インストは少ない

 人に言葉で教えても それを教えられる人が実行させるまでの プロセスの難しさでは 馬術(乗馬)スポーツの中で一番難しいのかもしれない、例えば 野球で 空振りしても それはペナルティーはあるが 直接怪我にはつながらない、が 馬に乗ったら 空振り=落馬 ということになる もちろんペナルティーはアルが 痛い目にあうことになる。

 ただ 馬に乗ってるということは 宙に浮いているのと等しい所があって 人馬一体になっているといいのだが 人馬二体になると 地球の重力に従うことになる「あいつの人生は 地に足が付いてないから いつまでたっても、、、、、、、」まさに馬に乗ったら地に足が着いてない人生のようなものなのだ 
いかにして地に足をつけた乗り方をするか できるかは 日々の練習と そこで見つける 筋肉、関節の柔軟さ 又脚力の柔軟さが重要になる、落ちる人は 皆 その柔軟さが無くて 硬くしてしまっている、人間の体は 筋肉も関節も 自由に硬くしたり柔くしたり出来るようになっていて 「とっさ」の場合 それが硬くなるようになっているが 馬の上で 「とっさ」が来た時に 硬くしては 跳ね上げられて 幽体離脱ではないが ほぼ同じ事が起きる、「気が付いたら地球に座ってました」という経験がある人も少なくないだろう 悪ければ 救急車のお世話になることにもある。

 馬を読み 自分の体重を馬に負担を欠けない乗り方 それは コンピューターでは計算の出来ない 人間の持った 「動物的勘」が 必要になる スポーツ的勘(運動神経) より リズム感のいい人ほど上手く乗れる だからカラオケに行って歌の上手い人ほど馬乗りには適している。    


 馬という動物が如何に 重要でかつ便利なものであったか、その証拠に 馬に乗れる軍団を持った武将「騎馬軍団」は 強かったのである。

 遠くは 源平合戦の 一の谷の戦い 鵯越は「鹿も四足、馬も四足」とは 武蔵坊弁慶の有名な話しだ ところが 弁慶は 偶蹄目も寄蹄目も知らなかったから 大変だったことだろう。

 「馬を傷つけてはならじ」と 馬を背負って下っていった家来もいた と言うこともある。

 戦国時代の 武田騎馬軍も その名をとどろかせた。

 ナポレオンだって ジンギスカーンだって 馬に乗れたから 遠くまで攻めていかれたのだ。

 外国の映画に出てくる 保安官(騎馬警官)などは 皆馬に乗ってるが 日本の代官所の役人は 代官様だけが馬に乗って「御用だ御用だ」と家来たちは走っている しかも 代官様は馬に乗れないから 誰か足の速い家来が引き馬で行っているシーンが多い。

 昔 映画に出演した事があるが 主役も 役者さんたちも馬に乗れないから おいらたちが代役をやっていた、出た映画は 「乱」「里美八犬伝」「天と地と」だった

 おいらも馬に乗れたから 映画やテレビ新聞雑誌に登場する事が出来た 馬に乗れなかったら 普通のオジサンだったことだろう、、、、、、。

コメント(18)

すごーく興味深く読ませていただきました。
ありがとございました。
馬に乗った人ならどれも頷けますね!面白かったです
ゆうさん、凄いですね〜電球ぴかぴか(新しい)

「うーんほっとした顔  なるほどね〜!!  そうなんだぁ!?・・・」て、一気に読みました指でOK目がハート

物知りに成れましたウマ電球

お馬さんは、上手く騙して、上手く馴れて行くことが 大切なんですね電球

・・・あとは、人間が、強がって(たとえ、ビビリでも)揺れるハートグッド(上向き矢印)乗ることが、大切ですね・・・私ウッシッシ

ありがとうございますプレゼントウマ

続きが〜楽しみですウマ・・・るんるん
ランディーさん
こちらこそありがとうございました。まだまだ続きが有りますので よろしくです。


 たぎるさん
そう言って頂くと 冥利です、今後ともよろしくです。
プリントアウトして俺流とともに大事にしますわーい(嬉しい顔)
 ママさん
今までやってきて 思った丈を書いたまでですよ、皆さん知ってるようなことを 文章にしたまでで そういっていただくと嬉しいです、続きもありますから。

 ぞうさん
雑学ですからね、読んでたら 頭のどこかの引き出しにでも入れておいていただくと 何かのときに役立つかもしれませんが。
面白かったですわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

この間、お聞きした、都市伝説集も楽しみにしています指でOK
shinnさん
次回を請うご期待です。


 MARINさん
長く生きてるだけですよ、次回今書いてますので?(キーを叩いている)。
ゆう様

ためになる内容で、人にすぐ自慢したくなっちゃいます。

確かに、お猫とか、おヤギとか言いませんし。

もっと色々な都市伝説とか速く読みたいです。
アダチ犬さん
ためになれば幸いですが、何せ俺流ですから 当てはまらない所もありますので。
すごく勉強になりますウマ

馬に歴史ありウマ
俺流に歴史あり指でOK

首を縦に振りながら、なるほどと思いながら読みましたるんるん

古いけどへぇえボタン押しまくりです手(パー)〃〃〃〃〃
 かおりんさん
馬に興味が有るならこのくらいのことは、、、、、。

 
私は『好きだから』乗る

これまで実に人と関わる仕事や役割があったけど、馬に乗ってみて、人も馬もどれだけ関われるかで深さを知った気がする

いままでの知識や経験だけでは絶対に未来は作れないから、たまには仰天する馬や人に関わるのもいい(笑)

そうして自分の未熟さを知って努力する私は欲深いのかもしれないですねあせあせ

ゆう様

ゆうさんは銀幕デビューしてたんですね!!!

実は私もプロフィールにも書いてあるように銀幕を馬で颯爽とデビューすることが夢なんです。

いかんせん、芸能関係に知己が居ないため難しいところですが。

ところでどんな役でデビューしたんですか?
たぎるさん
いやいや、それが一番大事なことですよ 好きだから、おいらもそうです 好きだから今までやめずにこられました、 どっちかというと やめられずに来ましたが 正解かも知れませんが。

人の意見に流されること無く 俺流で。


 アダチ犬さん
銀幕だなんて そんなに大げさなものではありません スタントマンとも違います、そう言うめぐり合わせでそうなったと

 あの頃は どうしても大袈裟ばセットが無くては 映画は取れませんでしたから 乗れる奴を集めて ままごとでしたよ、

 印象に乗ってるのは 仲代達也さんの横で 実際演技が出来たことです セリフはありませんでしたが。


 今はCGで簡単に作れますから 仕事が干上がりましたが、、、。
ゆうさん 素晴らしい!

どんなテキストよりも私の宝物の1ページになりました。ハート達(複数ハート)
近かったらいいのに・・・。
ひろさん
ありがとうございます、そう言っていただくと お調子モンですから もっと頑張る 糧になります

 なお 誤字脱字 変換ミスと思われる所がありましたら お教え下さい

 全国を股に掛けたお忙しいお仕事中 福岡近辺においでのときはお寄り下さい。

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