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DragQueen大好き!コミュのドラァグクィーンの説明ゃ歴史…

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黎明期
日本におけるドラァグクイーン第一号は、ミス・グロリアスだと言われている。ミス・グロリアスは90年代初頭から京都を拠点にしてドラァグを広めていく。同じ頃、
東京ではマーガレットこと小倉東がアメリカのゲイ文化としてのドラァグを紹介していた。そして関西では「Diamonds Are Forever」という
クラブイベント、関東では「Gold」という伝説的クラブでドラァグを行う者が多く現れ始めた。
この頃のドラァグには、関西と関東でその毛色に違いがあった。関西では主にレヴュースタイルやアート的な要素が強く、逆に関東ではクラブの盛り上げとして周年パーティ的、あるいはミスコン的なお祭り騒ぎであるものが主流であった。
折しも映画『プリシラ』のヒットに乗って1990年代前半のゲイブームが到来、ドラァグはゲイカルチャーに無くてはならない存在となった。1990年代半ば以降は
スーパーモデルばりにキレイなドラァグクィーンが主流になっていった。「歌モノハウス
」が隆盛を極め、そのためクラブイベントでのドラァグは、洋楽女性DIVAのリップシンクや、お立ち台へのお供えが中心となっていった。
その一方で、UC(アッパーキャンプ)と呼ばれる従来のドラァッグとは一線を画すドラァグが東京に現れ始める。UCの出現によりドラァグは、日本の女優を
オマージュしたセクシャルなショーに変化。流行アイドルのリップシンクや、テレビドラマのパクリなど、ネタ色が強く、しかもだれもが知っているようなネタにより、これがファン層を広げることにもなった。
2000年代後半に入り、マツコ・デラックスやミッツ・マングローブが容姿のインパクトに加え、鋭い切れ味を持つご意見番的なオネェ系という存在でメディアに欠かせないキャラクターとしての地位を確立した。
2010年代に入り、マツコ・デラックスやミッツ・マングローブの人気や、かねてからのオネェ系のブームにより、様々なドラァグが主にバラエティ番組を通してメディアへ露出するようになった。その結果、あくまでオネェ系のひとつの形としてではあるが、ドラァグの存在は一気に社会的に認知されることとなる。

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