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ボローニャ国際絵本原画展コミュのボローニャ展のきっかけの、米倉斉加年さん死去

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2014年8月26日、米倉斉加年さん死去。

米倉さんは俳優ですが、イタリアボローニャ国際絵本原画展が日本の美術館(当初は西宮市大谷記念美術館のみ)で開催されるきっかけになったのは、米倉さんの絵本が1976、1977年とボローニャグラフィック大賞となったことですが、いまではあまり知られていません。
兵庫県下で10代だった管理人には、絵本に向かう原点となるほど影響がありました。

当時、絵本原画が公立の美術館で、美術展として展覧会がされることはなかった時代です。
西宮大谷記念美術館の学芸員だった川辺さんが、たまたまボローニャへの飛行機の中で、米倉さんとご一緒になったことで、企画されたそうでした。

現地ボローニャでの展示を知る人にはおわかりのような見本市の中での簡素な展示を、キチンと額装し美術品として美術館が展覧会をし、図録も制作し、丁寧に何重もの薄紙で保護した美術品扱いのていねいな原画返送の姿勢に、本家のボローニャ事務局のほうが影響されて、システムを整え図録も作るようになったといいます。

グラフィック大賞というのはブック賞のことで、原画の入選とは別なのですが、この頃、米倉さんの快挙により、その受賞作の絵本『多毛留』とともに、日本中にボローニャの名が知れ渡ったことでした。

しかもその絵本の絵と内容は、特異といってもよいでしょう、日本では従来の子ども向けとはいいがたいほど独創的で美しく毒のある、おそろしいような衝撃的な絵とテーマの作品が、国際的な絵本のコンクールで大賞をとったことで、絵本のアート性に大きな可能性を感じ取れたのでした。

その精神は、現在のボローニャ展にもつづいているのではないでしょうか。

「おとなになれなかった弟たちに」など、どうしても伝えたいという思いの戦争体験からのメッセージ性の強い絵本や、野坂昭如さんとの絵本「マッチ売りの少女」など、大人のための絵本、という方向も開いた作家でした。


感謝と敬意をこめて、合掌です。。。

コメント(2)

勉強になります。情報ありがとうございました。
>>[1]  やはりあまり知られていないのですね〜、ちょっぴりさびしいですので、ボローニャ展の歴史も知るかぎり伝えていきたいです。

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