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夭折の歌人 中城ふみ子コミュの中城ふみ子最初期作3首見つかる

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十勝毎日新聞に中城ふみ子の新たに見つかった短歌のことが紹介されている。
http://www.tokachi.co.jp/news/201108/20110803-0009971.php

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戦後の歌壇にすい星のごとく現れ乳がんにより31歳で短い生涯を閉じた帯広市出身の歌人中城ふみ子が、帯広高等女学校(現帯広三条高校)3年生当時に詠んだ短歌3首が新たに見つかった。

これまで最初期の作品とされた東京家政学院学生時代より2年さかのぼる古い作品で、高校生時代の短歌では初めて。地元での創作活動が明らかになり、発見した帯広市図書館の吉田真弓館長(59)は「帯広が歌のスタートだったことが分かる貴重な資料」と話している。3日は、ふみ子の命日。

帯広高等女学校校友会・同窓会の会報誌「ときは木」の中に掲載されていたふみ子の短歌3首
 短歌が見つかったのは、1938(昭和13)年3月に発行された、帯広高女の校友会・同窓会会報誌「ときは木」十号。学生の文学作品を紹介する部の中に、3年生の作品として野江富美子の名で3首が収められていた。

 会報誌は、帯広高女でふみ子より一年先輩だった故浜中(旧姓渡邊)千枝さんが所有し、遺族が他の書籍と共に市図書館に寄贈した。全部で4号、6〜11号の7冊あり、この中から吉田館長がふみ子の短歌を見つけた。別の号には、ふみ子が作った俳句、小説、日記、童話も確認され、日記では与謝野晶子の歌に関心を寄せていたことも分かった。

 最初期の作品は、家政学院学生の短歌作品を集めた「ひぐらし抄」(40年)と「おち葉抄」(41年)の中の8首とされ、国文学古典研究の大家池田亀鑑同学院教授から短歌の手ほどきを受けたというのが定説だった。帯広高女時代の作品は、過去に詩は見つかっていたが、短歌の存在は知られていなかった。

 短歌雑誌「辛夷」の編集委員でふみ子の研究家でもある吉田館長は「ふみ子が本当に家政学院時代から短歌に飛び込んだのか、ふに落ちないところがあった。女学校時代に詩や俳句、短歌などいろいろチャレンジし、選んだのが短歌だった」とし、「帯広にいたときから短歌の芽が培われていたことがこれで分かった。やはり地元にはまだ隠れたままの情報が残っている」と意義を語る。

 ふみ子の実妹で帯広在住の野江敦子さん(79)は「女学校時代に学校やクラスで何かあったときに歌にして詠んでいたと言っていた。長い月日がたった現在に新しい歌が見つかりとてもうれしい」と話している。 

 同館は今後、会報誌のコピーを2階の中城ふみ子資料室に展示する。

新たに見つかった3首
・獨り居のこの夜を雨のふりいでゝ軒おつる音しばしつゞけり
・道の端にふみしだかれし霜柱息ひそめつゝ小石蹴りける
・かすかにも紅の緒の色にじみたる眞白の足袋をほしにけるかも

コメント(4)

>池田亀鑑に出会う前からふみ子は短歌をやっていたのですね。

たしか、父君が短歌を作る人だったようですね。

この三首、女学生としては古風な感じがしますけど、如何ですか?
のんちゃん さん

ありがとうございます。

>ふみ子もやはり最初はこうだったのだなと思いました。
>山崎方代にしろ塚本邦雄にしろ最初は、アララギ的だったり茂吉的だったりしてましたよ。

そうなんですか。みな、最初はアララギ的だったのですか・・・・。

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