ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

夭折の歌人 中城ふみ子コミュの中城ふみ子-中井英夫往復書簡

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 昭和29年『短歌研究』第一回五十首詠の第一位に入選したのをきっかけに、中城ふ
み子と『短歌研究』編集長中井英夫の間で取り交わされた書簡。現存しているのは、
ふみ子14通中井18通。往復は、3月22日より、ふみ子絶息の8月3日まで続けられた。

昭和29年3月22日 ふみ子宛中井葉書
 扨て先に"短歌研究?へ御応募下さいました"冬の花火"非常にすぐれた御作
 にて一位と決定、四一月号巻頭に掲載仕りますが、題名が太宰治にならはれたと存じますけれどもいささか弱く"乳房喪失”とさせて下さいませんか。……
 (自宅から入院先へ転送された。「大イニ感心ス(父ヨリ)」という父の添書きがある)

昭和29年4月2日 ふみ子宛中井書簡
 ……まだ御入院の御様子にて御予後如何かと案じ申上げてをります。……選衡経過には白々しいことを書きましたが実を申せば何万首といふ数の割に全くどうでもいいやうな歌の多い
のに驚き呆れ、とはいへさうした作者たちが無言の非難を向けてゐるやうに思はれましたのは
『それでもげんざい短歌研究に載ってゐる歌よりはましだらう?』といふことです。おほきにさう
には違ひなく、苦笑するほかないのですが、まあそんな中で、中城さんと大塚陽子さんの御二
人の御歌だけは目立って鮮かな作で漸く救はれた思ひがしました。……

昭和29年4月7日、中井宛ふみ子書簡
……短歌研究に発表されるといふことは恐らく日本中の歌人の希ひだと思ひます。
私はいろいろ先輩たちの焦りを見てひそかに軽蔑もしましたのに 今その椅子を与へ
られて 矛盾を感ぜずには居られません。只歌の職人になりたくないし又その機会も
無いでせう。癌と肺と両方病んでゐる私に「登場」をお強ひになることはありません。
 生意気な書き方ですわね。自分が登場したがってをります癖に。病人で甘やかされ
てゐるものですから。ごめん下さい。……

昭和29年4月19日 中井宛ふみ子書簡
  このごろ身体具合が悪うございまして、寝たきりのものですから度々速達をいただ
 き乍ら書けなくてごめん下さいませ やうやくとりとめもなく 私の場合 なぞと少
 し書きましたから削ったり推敲なさったりしてお使ひいただけますでせうか。あちこ
 ち痛み出しますと頭がぼんやりしてとても駄目でございます。御期待に副へなくて。
 写真は撮るつもりでしたが、間に合はないかと存じます。……


昭和29年4月21日 ふみ子宛中井葉書
  原稿ありがたうござゐました。しかし御写真はどうしても欲しいのです、入るやう
 にあけておいて組ませますけれど何とか大至急送って下さい、トップの方のが無くっ
ちゃ話になりません。もう、それに、照れ臭がったり考へこんでゐる時ぢやない 満
 座の観衆は固唾をのんで登場を待ってゐます。さういふ「登場」はこの歌壇では十年
 にコ茨の「事件」でせう。ためらはず、それを百年に一度の事件にしませう。……歌、
 直してくれなんて見識のないこといっちゃいけません。……

昭和29年4月23日 中井宛ふみ子書簡
 ……あなたは何て熱心で非情な方でせう。もと母の店で宣伝の方を引受けてました
私にはいやになる位あなたの強引さが理解出来て惑かれてしまひます。病人は虐げら
れてやうやく常人の意地をとり戻すのかしれません。……

昭和29年4月25日 ふみ子宛中井書簡
 かういふ小煩さいことで貴女を疲れさせたくないとはむろん考へてゐますが、……
“花の原型”のこと※一切、もしかしたら当の貴女よりよほど詳しく知ってゐるので、
その登場の花々しさを妨げぬ程度にこちらも叉負けずに「第二作」と御写真とを確保し
たい、と、かういふわけです。僕はめっぱうお人好ですから、その話をきいてすぐ、ああ
さういふ絶好の登場が用意されてゐたのならこちらで特選になぞするんぢゃなかった、
と正直そう思ひました。…… 
※川端康成の推薦により『短歌』にも「花の原型」と題した中城ふみ子の作品が掲載され
ることになったいきさつ

昭和29年4月30日 ふみ子宛中井書簡
……葛原妙子さんより、中城さんの御病気がまた御悪い旨伺ひました。小生が心なく
御無理を御願ひしたためではなからうかと、ひたすら案じてをります。またその析、
歌集出版の件もお話があったのですが、それは是非、こちらにお任せ下さいませんか。
小社ではありませんが、僕が重役(むしろヂュウエキですが)みたいな作品社といよ
のがあって、そこから一切条件なしで大至急御出ししたいと考へてをります、……

 ところでその歌稿ですが、例の川端康成さんに送られた「花の原型」のその後の様
子はどの程度にきいてゐらっしやいますか。僕の知ってゐる限りを申しますと、一二月
末川端さんがわざわざ角川を尋ねて大へん強く推薦され、では百六十首を一度に出さ
うといふことで、”短歌”六月号に予定してゐた処、短歌研究に特選となったため慌
てて考へ直し、いまのところ五十ー百首をやはり六月号に発表の予定です。
 ……僕は生きぬいて下さることを信じてゐます。同じ大正十一年生れといふのにも
何か一緒に暗い星のしたを歩いてきた同時代的な運命を感じ、またそれゆゑに「生き
ぬく」ことを信じられる気持でゐるのですが。……


昭和29年7月20日 ふみ子の中井宛最後の手紙
 「乳房喪失」の題名のよさがやうやくわかりました。御病気お大切に。今日
 呼吸困難で何も書けません。もうろうとしてます。でもお手紙はどんなにどんなにうれ
しく読んだでせう。御返事あとでゆっくり書きます ふみ子

中井さん
来て下さい。きっといらして下さい
その外のことなど 歌だって何だってふみ子には必要でありません
お会ひしたいのです。             ふみ子
きっと電報下さい。母も帰って私ひとりですのでお部屋きれいにしておきたいの
もっとも自分ではあまり動けませんしお魚のやうに声も出ませんもの


昭和29年7月22日 ふみ子宛中井書簡
 いま 電報を打ちましたが、二十四日、席がとれれば飛行機で、でなければ汽車でゆきます。
発つ前もう一度電報します。掃除などよけいなことです。体を動かしたり、 気毎つかったり
しても、僕には、ああベッドの下が汚れてゐるだの、部屋が殺風景だ のと考へる余裕はないも
の。そのため、すこしでも病気の悪化するはうが嫌だ。僕と 会って、もう安心したなんて気落
ちすることも、また。
  これから新しい生が始まるのだと思ってください。本当に、さうなのだから。お魚
 のやうに声が出ない、なんて−でも僕も、お魚のやうにあんまりお話はしない、そ
 してほんとに僅かな時間しかゐられなくっても笑ってゐよう。会ふまで さよなら
 風邪ぬけないでゐます。    22日
  元気で笑ってゐる ふみ子へ          英夫

昭和29年8月2日 ふみ子宛中井の最後の書簡
  封筒には「八月二日夜」となっているが投函は8月3日速達で、札幌着が8月4日
逝去の翌日。ふみ子自身は当然この手紙を読まずに死んだ。

煤煙に塗れて帰り着きました。風呂へ行き”かちやろーふ”へ早速寄ってジンを一杯だけのんできた処。
 初冬のやうな霧の深い夜です。十二時、ふみ子は又高熱に喘ぎ苦しんでゐるにちがひない。そして僕の「魔法」は東京に帰ってもその何分の一すら癒すことが出来ないのだらうか。でも実際、目のあたりにあの素晴らしいお母さんや薄幸のために美しいとさへ思へる子供さん遠を見ると、僕が行きさへすればなどといふ自惚は粉っ葉みじんになった。弱虫の魔法使ひ。
 しかし僕ももう一度勇気を取戻します。ふみ子も最後の勇気を出して、『九月十七日※の贈物』を下さい。
   (※ 中井英夫の誕生日)

 短歌研究 明日出来る由、ぱらぱらっと見て下さいね。歌集の再版も明日刷り上が
ります。ご王婦の友〃来ましたか。
 窓を明けると霧が渦をまいて入ってくる。どこかでつけ放しにしてゐるラジオが無
線の音を捉へて風に流してゐます。−1‐遠くへ行った僕はいま新しくふみ子の近くに
ゐます。
 内緒話ひとつ。「女体喪失だから」とふみ子はさびしく笑った。その意味を、おそ
ろしい啓示を 僕はきく。供が「女ぎらひ」のために、正にそのためにふみ子は乳房
を喪ったのではないか、と。
 長いお話は手紙でもいけないでせう。これから毎日、一、二枚づつの手紙を書きます。
あしながおじさんの報告書です。待ってゐて下さい。     2日夜



小さな花嫁さんに   英夫


「花の原型−中城ふみ子展」資料より抜粋
  書簡の全文は「中井英夫全集」で読むことができる



--------------中城ふみ子年賦 佐々木啓子 編 より--------------------

8月3日 

 風のない蒸し暑い日、午前10時50分、ふみ子は母きくゑをはじめ、多くの肉親に看取られ息を引き取る。直接の死因は呼吸困難からくる喀痰による気道閉塞であった。同夜、札幌医大病院の霊安室で仮通夜を行う。

『死にたくない!』の悲痛な叫びが絶句となる。享年満31才であった。

コメント(3)

興味深く拝見しました。
中井氏の気遣いがやさしいですね。。。
ふみ子の恋は、「生きている」証しとして、求めた”あえぎ”ではなかったろうか。


寺山修司は、その短歌論の中で、

「私の作歌活動ははっきり言って『乳房喪失』の読後からはじまった。
私の歌壇への挑戦的な態度は、この『乳房喪失』を認めまいとする旧歌人の
スノビスムに対して向けられたものだった。 (中略)

歌のなかでいちばん美しいのは相聞歌と挽歌であるが、いのちの実相にみつめ
入ってあやなす歌は相聞であるともに挽歌でもある、と私には思われる」

と書いている。

                   『寺山修司短歌論集』現代歌人文庫 国文社

斉藤茂吉と釈超空を失くした戦後歌壇にあって、この中城ふみ子と寺山修司を見出した、中井英夫の先見の明に改めて敬服せざるをえないですね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

夭折の歌人 中城ふみ子 更新情報

夭折の歌人 中城ふみ子のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング