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アドラー心理学コミュの100分de名著『人生の意味の心理学』

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NHKのEテレの番組、「100分de名著『人生の意味の心理学』」の再放送が行われていますね。番組の講師は、日本でアドラー研究の第1人者と言われる岸見一郎氏です。

この講義シリーズの第1回において、アドラーは「個人心理学」ということを提唱していることが紹介されました。この「個人心理学」の意味するところは2つあります。1つは、人間の心はこれ以上分解できない究極的な単位だとするとらえ方を意味しています。具体的にいうと、逆にこれまでの個人心理学でない視点に基づくと、人間の心をいくつかの構成要素に分けてとらえようとしており、人間の心の働きをそれらの構成要素の相互作用のメカニズムとして理解しようとする視点を指していました。実際、フロイトの心理学では「リビドー」だとか「超自我」といった概念が登場し、こういった心の構成要素の相互作用のメカニズムとして人間の心理を理解しようとしています。しかしアドラーはこのようなアプローチをとりません。

アドラーが提唱する「個人心理学」という概念が意味するもうひとつのポイントは、人間をタイプ分けすることを拒否しようとします。例えば、私たちが身近に接することができる「タイプ分け」の思想の例として血液型人間学があります。これによれば、血液型がA型の人はこれこれこういう気質を持っている、血液型がB型の人はこれこれこういう気質を持っている、血液型がO型の人はこれこれこういう気質を持っている、血液型がAB型の人はこれこれこういう気質を持っている、…、といった類です。あるいは、古くクレッチマーは、人間の気質と体型とは深い関係があり、やせ型の人はこれこれこうだ、筋骨型の人はこれこれこうだ、太り型の人はこれこれこうだ、といった分析を展開していました。

アドラーは、こういった人間をタイプ分けしてアプローチする方法を真っ向から否定しようとしています。そうではなく、「その人は自分をどう見ているのか」、「その人は世界をどう見ているのか」、「その人はどういう問題に直面しているのか」、「その人は今どういう勇気を必要としているのか」、…、そういうアプローチを試みているわけです。

「100分de名著『人生の意味の心理学』」の次回の再放送は、10月10日(月)夜10時25分からです。

【番組HP】

http://www.nhk.or.jp/meicho/

コメント(12)

『人生の意味の心理学』の再放送の2回目が昨日の夜10:25からありましたね。ご覧になった方、いらっしゃいますか。

この回では劣等感、劣等コンプレックス、優越コンプレックス、価値低減傾向といったキーワードが提唱されます。アドラーは、劣等感についてはそれほど否定的な評価をしているわけではないようです。むしろ人間が劣等感をもち、それを克服しようと努力することが人生を肯定的な方向に向かわせるモティベーションになると考えているようです。

しかしアドラーは劣等コンプレックス、優越コンプレックスについては否定的な評価をしています。番組を見て私が注目したのは、「価値低減傾向」という言葉です。アドラーがこの言葉でいう人間の心理で、いじめの行動が分析できるとしています。

学校などでいじめが起こるのは、いじめの対象となる人をいじめてその人をおとしめることによって、相対的に自分が優位にある大きな存在であるかのように装いたいのだとしています。自分の劣等コンプレックスや優越コンプレックスを上手に処理して、肯定的な方向に自分を高めていければそれが自己の成長につながるといえましょう。
『人生の意味の心理学』の再放送の3回目が昨日の夜10:25からありましたね。ご覧になった方、いらっしゃいますか。

第3回のテーマは対人関係です。冒頭、人間が抱えるすべての悩みは対人関係の悩みであると言っています。番組のおしまいのほうで、「課題の分離」というアドラー心理学のキーワードの一つが紹介されています。この概念はとても役に立つと思います。対人関係のトラブルは、人の課題に土足で踏み込むこと、踏み込まれることから起こると、講師の岸見先生は言い切っています。

これはあなたの課題なのか、それとも私の課題なのか、そういう峻別をしていくことが人間関係のトラブルを防ぐことにつながっていくことでしょう。しかし一方で、課題を共有することによってこそ解決していく場合もあることでしょう。Aさん、Bさんの両者が上手に課題を共有していくためには、分離できる課題と分離できない課題との区別を、Aさん、Bさんの両者が共にできることが必要な気がします。

テキストに書いてありますが、上司や教師、また親の側から、「これを共同の課題にしよう」と言い出すのはあまりお勧めできないとしています。上司や教師、また親の側から、「これを共同の課題にしよう」と言い出すときは、そうすることで援助しようと思っているのではなく、自分の思うように部下、生徒、子供を操作、支配しようとしているのだとしています。
>>[4] 本日のお昼の12時にも再放送されますよ。
第3回目を視ました。
改めてアドラー心理学はためになると思いました。
1回目と2回目を見逃したのが悔やまれます。
>>[7]

「課題の分離」と「課題の共有」は、アドラー心理学のかなり深い部分ではないかと思います。「課題の分離」がちゃんとできない人は、「課題の共有」もちゃんとできないでしょうね。これは例えていうと、「個」が確立していないと「社会の一員」としてのふるまいもきちんとできないのと似ています。

日本の社会では、「個」の確立が不十分なまま、チームプレーだの協調性だのが求められすぎているような気がします。
番組は2月の放映の時見まして、今回は見直せてないのですが、今読んでいる「嫌われる勇気」が、ちょうど課題の分離の項目なのでちょっと嬉しかったりしました表情(嬉しい)

まだまだ、反射的に「他人の顔色をうかがう」ことから自由になれてないので、ここはゆっくり丁寧にクリアーしたいと思います。
最終回の放送が月曜日の夜10:25分からありましたが、ご覧になった方いらっしゃいますか。実は私はこの回の放送を見ていたときは、けっこう疲れていて、眠かったものですから、番組の内容はそれほど鮮明に覚えていません。しかしその中でも私の頭にかろうじて残ったものだけについて感想を述べてみたいと思います。

まず番組のはじめのほうに共同体感覚とは何かということについての解説がありました。アドラーは共同体感覚とはどういう感覚なのか、それを次の3つの観点から見る必要があると言っています。
1.自己受容
2.他者貢献
3.他者信頼

これについて私が連想したことを申し上げたいと思います。最近、プロの将棋指しの三浦九段という人が、将棋の対局中、席を外して将棋ソフトにアクセスし、将棋ソフトに着手を判断させて、それに基づいて自分の着手を決めたのではないかという疑惑をもたれていることはご存知の方も多いと思います。もし三浦九段がそんなことをしたのだとしたら、言語道断ですが、一歩譲って、仮に三浦九段が潔白だったとしても、そのような疑惑をもたれているということ自体で、将棋連盟全体の成員の相互の他者信頼が傷つけられ、将棋連盟全体の営みが立ち行かなくなる可能性があると思います。

将棋連盟の営みは、将棋連盟に所属している棋士は全員、将棋ソフトにカンニングするような不正行為は行わない清廉潔白な人間によって成り立っているということが前提になっていると思います。共同体感覚が他者信頼によって支えられているということはそういうことなのではないでしょうか。

ところで、この番組のおしまいのほうで、教育における「叱る」という行動について考察が成されています。アドラーは人が人を「叱る」ということについて基本的に否定的です。叱るという行為は、上下の対人関係を前提としています。アドラーはあらゆる対人関係は『縦』ではなく『横』の関係にあり、人と人とは対等であると考えていました。人は叱られて育つと、人の顔色ばかりうかがうスケールの小さな人間になってしまうとしています。

また、アドラーは、叱ることだけではなく、ほめることも否定しています。ほめるというのは、能力のある人が能力の無い人に対して上から目線で下す評価であるというのがアドラーの見解のようです。すべての人間が対等の横の関係にある、人は誰にも何にも支配されない、この2つの考え方こそが本当の意味の民主主義だとアドラーは考えていたようです。
>>[10]
最終回は子供に邪魔されたので、前半だけみました。

自分が感じた事をtomtomさんの例で例えると
三浦九段は自分の将棋に対して、例えタイトルが取れなくても自分らしい将棋の指し方に自信を持っていれば(自己受容)、カンニングは起こらなかった(疑惑ですが^^;)。
そして、もし、自分自身に自信を持てたなら、弟子や一般人の人に自分の将棋の指し方を教えられた(他者貢献)。そして、他者にその指し方を教えると言う事は他者に対して、信頼を持っている(他者信頼)からで、そうする事によって、社会の中に自分自身の居場所が出来たり、自分だけでは限界があっても、他者と助け合って限界の水準を上げる事が出来る。限界の水準を上げる事によって、自己の思っている事を実現出来る範囲が広がり、それは自分にとっても、社会にとっても幸福な事に繋がる。

と言う連鎖反応的な感じなのかな?と思いました(あくまでも自分の感じた事です。あしからず)。

最後に三浦九段が、もし、本当にカンニングしてたとしたら、自己受容が出来ず、自分自身に自信が持てなかったため、自分の利益に走り、他者を信頼(良い意味での相手との競争?)が 出来ず、結果として将棋界の仲間を傷付けてしまったのではないでしょうか?
>>[11]

1.自己受容、2.他者貢献、3.他者信頼についての大変興味深い考察だと思います。将棋連盟の棋士の中に、将棋ソフトにカンニングしている棋士がいるということが明らかになると、将棋連盟が契約している新聞社などのクライアントに提供している棋譜の商品価値が著しく棄損すると思われます。いわば、「カンニング行為によって汚れた棋譜」になるわけです。新聞社としては即契約打ち切りになる可能性ありですがまん顔

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