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カープファン物語連載中コミュの昭和50年の物語(連載第5回)

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 万年Bクラス、最下位の常連、勝つよりも負ける方が多いそんなカープであっても、お目当てのカープ選手の背番号をつけ、日が暮れてボールが見えなくなるまで毎日草野球をしていた少年たちも、そのお陰か元気に成長し、今や高校生となった。
 カープは彼らが小学校4年の年、昭和43年だけはセリーグ3位でAクラスとなったが、翌年から1974年(昭和49年)までは延々とBクラスを低迷していた。
 必死になって応援しても負け続けるので、
 「もうカープファンはやめた!」
と公然と表明する者も続出。しかしそれを非難することも憚られるような状態だった。
 時はまさにジャイアンツの黄金時代。1965年から1973年まで、少年たちが物心つくかつかないかの頃から、思春期を迎える頃まで、巨人以外のチームがセ・リーグはおろか、日本シリーズでさえ、優勝するのを見たことが無かった。
 テレビでは延々と巨人V.S.阪神戦などが中継され、長嶋、王、金田、堀内、高田、土井、黒江などV9の巨人の面々と、田淵、村山、江夏、バッキーなどが凌ぎをけずっていた。
 しかし、そんなカープにも遂に待ちに待った時がやって来た。
「真面目にやっていれば、いつかはきっと報われる時が来る」とは、なかなかそうならない者の為の慰めの言葉として世間でよく使われるが、今の世の中それが現実になることは余り無い。
 だがしかし、まさにその言葉通りのことがこの年現実に起こったのだ。
 1975年(昭和50年)、ルーツ前監督の後を受け継いだ古葉竹識監督の下、広島カープは破竹の快進撃を続け、リーグ優勝までのマジックナンバーも一桁となり、いよいよ優勝も秒読みとなった。
 最後の数試合は平日のデーゲームが多く、テレビ中継はあったが、授業があるのでまさか見る訳にいかないから、高校生たちは弱り果てた。今まさにわれらがカープが今日にも明日にも優勝を決めようかというこの重大な時に、授業どころではなかった。
 そこで知恵をしぼった高校生たちは、トランジスタラジオを制服の懐に入れて、イヤホンをつなぎ学生服の詰襟の首の後ろを這わせる。それを長髪の中に隠し見えないように耳に差し込んで授業中もこっそりラジオ中継を聞いていた。
 全員がそんなことをしている訳ではなかったから、授業中あちこちでこっそり途中経過を教えあって応援していた。
 すると、ある教科の先生は非常なカープファンで試合経過が気になったらしく、
「今、何対何になっていますか?」
と自分の授業中に公然と生徒に聞くような始末だった。
 また地理の先生などもものの良く判った人で、
「今日は今からちょっと用事があって自習にします。ああ、それで 地理教室のテレビはつけて自由に見てていいですから」
とまあ、これが一応進学校といわれた高校の当時の有様だった。

 そして、我らがカープは、遂にマジック1、いよいよ運命の、1975年10月15日、東京・水道橋の後楽園球場で、対巨人戦を迎えたのであった。

コメント(1)

>そこで知恵をしぼった高校生たちは、トランジスタラジオを制服の懐に入れて、イヤホンをつなぎ・・・こっそりラジオ中継を聞いていた。 ・・・すると、ある教科の先生は「今、何対何になっていますか?」

これ、まさに75年の私の高校(三津田)です。つかささんは舟入ですか。ほとんどノンフィクションだと思いますが、どこでも同じだったのですね。数学の先生が授業しながら時々「おい、教え〜や。今どうなっとんない」と聞いてきたのを覚えています。

日本シリーズも休み時間になると各教科の部屋に行って見させてもらいました。懐かしいです。

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