1987年(昭和62年) 18歳 6ケ月のバイト生活後、9月より〈セツ・モード・セミナー〉に入学。理由が1.絵が好きだったから。2.入学方法が試験はなくクジ引きであったから、3.週3日なのでラクそうだから。当時の生活は放課後、洋服屋でのバイト→翌日バイト疲れで自主休校が通常パターン。校内では友達できず。予備校帰りの小沢健二がバイト先にちょくちょく来店、二人でお茶の水のレンタル・レコード・ショップ〈ジャニス〉に通う。当時〈ジャニス〉は英国音楽好きが集うカルト的コミューンであった。友達の友達だった井上由紀子さんの勧誘でバンド活動を再開。そこで出会つた沖野俊太郎と伝説の(?)ニュー・ウェイヴ・バンド、ビロードも始める。どちらもリード・ギターを担当。渋谷〈シード・ホール〉にてホール・スタッフとしてアルバイト開始。業務はジョージア・オキーフ展などの展示スペースの端でもっぱら読書。あとは作品に接触せんとする輩に「触らないでください」と哀願すること。ビロード、シングル「Self Love Portrait」1枚残すが中古盤筋の評価は激シプ(ン百円?)。ちなみに現在は超高値(ン万円)にて流通。メンバー・チェンジを経てロリボップ・ソニックに発展。「歌う人がいなかったので」ヴォーカルもとるようになる。当時日本では完全なアンダーグラウンドだったアノラック・ムーヴメントにいたく影響され、ジャングリー・ギター・ポップ風のオリジナルを初めて作る。タイトルは「ゴー」。この頃、リード・ギターで小沢加入。