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フンメルドールコミュの102. ベルタ・フンメルの世界/フンメルドールの背景など

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 フンメルドールの背景となる、ベルタ・フンメルさんの生涯や育った環境などを
紹介し、より楽しくフンメルドールの可愛さを味わうために役立てばと新しいトピを
作りました。

 管理人がアップするものは、資料からの引用が主になりますが・・・
 比類なき可愛さをもつ人形を、なぜ M.I.フンメルさんが生みだしたのか?
 また、その背景となるドイツのババリア地方の歴史や文化や・・・
 ドイツの修道院の意義・・・

  そして、何よりもそれを観光としてでも、地元の方々の感じるところも理解して
フンメルドールの素晴らしさと愛らしさを共有できればと考えながら・・・

 メンバーの皆様のお考えや感じ方を第一に
  出来れば研究家やコレクターの意見やデータも尊重しながら
   彼女の育った南ドイツのマッシング(Massing)や 
   彼女が仕えたジーセン修道院(Siessen Convent)のことなども
 フンメルドールを楽しむ仲間として知る事も共有したいと考えています。
 発行書籍の版権や著作権から、メンバーでの回し読みの範囲にさせて頂きたく
ご理解をよろしくお願いします。

 写真は 良く出て来る修道院時代の Sister Maria Innocentia のものです。
 イタリア語は分かりませんが、ちなみに英語での innocenceなら「無邪気」
「汚れない」というような意味と思いますが、洗礼名も自分の意思が反映されると
聞いているので、このシスター名にも彼女の意思が現れていると考えています。

 ====================================

<ベルタ・フンメル年表概略 / Berta Hummel >

 1909年 南ドイツ Bavaria州、 Rott郡、 Massingに生まれる
       スーパー経営の父 Adorf Hummel, 母 Viktoria の三女として誕生
       兄弟(姉妹)6人。
       子供の頃から窓際に腰掛けて絵を描くのが好きだったようです。
 1914年 第一次世界大戦が勃発  父親も従軍する
 1917年 国民学校入校。 教師はカソリックシスターで厳しい躾をするが
       不服従で、家に帰っても絵に没頭し勉強はしなかったらしい。

 1921年 ベルタの絵の才能を認めてくれたシスターの勧めで隣町 Sinbach の
       幼児専門学校に移る (12歳) ここでは表彰もされている
       ここで絵の他に粘度を使う塑像造りにも興味を示し修練を積んだ
 
 1925年 Marienhoehe 美術学校に進む
       この学校では学業とともにミサや宗教の活動も行われ、その影響で
       宗教神話や聖書の話に興味を示し、宗教への関心も強くなった
       学校の絵の教師のアシスタントを務めるようになり、自身も絵の教師
       になることを希望するようになる

 1927年 Marienhoehe 美術学校の主任教師の勧めと家族の協力もあり
       Munchen の美術アカデミーに入校 多くの教師の指導を受ける
 1931年 美術アカデミー卒業
       同時にフランシスコ派の修道院 Siessen Convent に入る
 1933年 Maria Innocetia のシスター名を受ける
        (それからは有名なので省略)
   1946年11月6日 Siessen Convent にて死亡 修道院墓地に埋葬

 ====================================


<引用>
  再引用および(特に)コピーはご遠慮ください。
  コピーすると使用権制限がある私のものからになり、再使用者は訴えられる
 危険性がある為です。(私は購入者として限定した使用は許可されている前提)

M.I. Hummel The Golden Anniversary Album   ISBN0-88365-745-7
Berta Hummel / Catatalogue raisonné 1927-1931 ISBN3-7913-2824-7
Hummel the comlete collector's guide and illustrated reference ISBN-na
In the Land of Hummel (Traditional Bavarian Life) ISBN0-942620-28-3
etc.,

 

コメント(16)

左から2歳の写真
中は妹との7歳の頃の写真
右は(年代不明ですが)おそらく15歳ころの妹との写真

 あまりコメントしたくないですが、意志が強い女の子 と感じています。
(左) 美術大学(ミュンヘン近くのカレッジ)時代 
     おそらく20歳前くらいの写真
(中) 同時期の 自画像デッサン

(右) 好んで書いた 蜂の絵の一つ
     フンメルドールの古いものには蜂の絵が Goebel 銘とともに
     裏に焼き付けられています。 (Goebelは無いものが多いです)
     彼女の意志の現れかもしれません。
さて、今でも守られていると聞くババリア地方の風俗や風景です。

 (左) ババリアのお祭り風景の一つ   人形にもなっています
 (中) 煙突掃除マイスター(Chimney Sweep) これも人形にあります
 (右) ババリア地方の典型的な小さな街の風景
      (彼女が育った Massing ではありません)

     ===========

 ドイツの歴史の中でも ザクセンやプロイセンなどとは異なり、
ナポレオンに組したり、やがてプロイセンにより統一されたドイツと
対抗するフランス、オーストリー・チェコを拠点とするハプスブルク家との狭間で
特異な文化を民衆の力で守ってきた地域という認識です。
 ヨーロッパの中でも比較的豊かな自然と強国との関係、そしてババリア(野蛮地)
と呼ばれながらも他のドイツ地域とは異なり、北欧神話よりもローマンカトリックの
影響が強いと思える強い宗教心も、ベルタ・フンメルの人形たちに影響しているように
感じています。

 同じように人形では有名なスペインのリアドロの表情とは少し違う人間的なものを
感じることと、北欧の陶器製の人形に多い妖精はあまり無いことなど。
 ババリア文化特有の「人の顔のお面」のお祭り の影響はあるかもしれません。
 ギリシャ哲学で言う「ペルソナ」の別の面での仮面という意味です。

<ご注意> コメントは全て自分の感じ方ですから、お読みになってもリセットを
      お願いします。

ここから少し趣向が変わります。
 ベルタ・フンメルさんが、美術カレッジ時代に残したデッサンや絵の一部の紹介

 まずは、美術カレッジ入学前からカレッジ諸学年の頃のもの
カレッジ初学年のころのデッサンなど
カレッジ後半のデッサン、スケッチなど
十字架のキリスト

 左はカレッジ初年 右はカレッジ後年
カレッジ時代の子供のデザインスケッチ
まずは、ここまでで一区切りにしたいと思います。

 絵は苦手ですしコメントしづらい難しい対象と感じていますが、
少なくとも画家としてもデザイナーとしても幅広い対象への興味と高いレベルでの
ものを残したことと感じています。

 敢えて他の画家との差を感じるのは、対象かそのときの印象かは分かりませんが
表現に非常に幅があることと、細かいところですが赤(しかも血の色に近い赤)の
使い方に特有なものがあること、そして目の描写がまるで対象の心の中までを見て
書いているように感じることです。

 穏やかな話に戻りますと、デザインスケッチの子供やマリアには 人形の印象と
通じるものがあると感じることです。

 沢山ある絵やデッサンなどから 勝手に拾いだしたものですが...
 ご覧の皆さんはどのように感じられるか・・・ 心配な部分もあります。

 これも無視して頂きたいですが、どんなものも正視してその多面性の一部分を
もっとも強く表現する感じを受けており、それが子供の愛らしさ、可愛さとして
フンメルドール(のオリジナルデッサンに)表したのではないか? という想像を
しています。
 逆に言えば、子供へのエールか願いのようなものではないかという考察です。
 それが他の子供の人形とはちょっと違う、ある意味では想像を超えた可愛らしさ
ある面ではその裏にある子供の現実を暖かく受け止めているという心を感じること
というのが自分としての印象です。

 (言葉を選べず申し訳ないですが)表面的な可愛さや奇麗さが多い他の人形とは
少々違う表現を、なぜベルタ・フンメルが出来たのか・・・ は考えないことに
したいと思っています。

<補足1>
 ベルタ・フンメルが育った ババリア中南部 Massing の郊外と教会の写真
および、美術学校を出てすぐに入った Siessen 修道院の写真です。
<補足2-a> フンメルドールの製作過程 1〜3

 1.モールド型での焼き上げ
 2.下地塗りと焼き上げ
 3.上地塗りと焼き上げ
<補足2-b> フンメルドールの製作過程 4〜5

 4.目の下塗り
 5.全体の塗り

   この後、さらに焼き上げるそうです。

 また、モールド型も塗りも全て人の手作業で、特に塗り(絵付け)は大勢の
デザイナーによってなされるので、基本デザインは同じでも、表情や雰囲気は
沢山出来てしまうということらしいです。
 お求めになるときには、出来れば目で見て 可愛いと感じる表情のものを
選ばれると良いと思います。
<補足3>

 フンメルドール(ゲーベル社製)の刻印(インプリント・マークとシンボル)に
ついて、資料に載っている範囲のものを例示します。

 左は刻印の歴史、 中は実際に台の裏に焼き付けられた刻印、
 知る限り、必ずスタンプで刻印され焼き込まれています。
  (手書きではないという意味です)
 また、ゲーベル社の刻印の特徴は下地に上薬があることで、生地に直接というのは
やはり実例を知りません。
 (手書き、上薬なし のものはイミテーションの危険性があるということです)

 スペースがあるので、残されているベルタ・フンメルのオリジナルデッサンの例を
一緒にご紹介します。 

 これで、フンメルドールの背景の一区切りとさせて頂きます。
  (忘れっぽいからまた補足するかもしれません) m(_ _)m

 ミスを発見されたり、疑問があれば 「こんにちはと雑談のページ」へどうぞ。
 誠に失礼ながら、こちらへのコメントはお控えください。

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