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ビートチャイルドを検証するコミュのネットでみつけたビートチャイルドに関するコラムです。

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以下のURLに掲載のコラムから引用したビートチャイルドに関するお話ですのでご紹介致したいと思います。



http://www.gg.e-mansion.com/~techie/column/column036.htm


ビートチャイルド
2001.10.30


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1987年8月22日。10代最後の夏、僕らは熊本の阿蘇にできた野外劇場アスペクタというところにいた。くすミュージック主催、伝説の野外ライヴイベント『ビート・チャイルド』に参加するために。
当時の僕らは所謂フリーターで、何処にも属せず、誰にも縛られず、趣味でバンド活動をしていた。翌日力丸野外スケート場でイベントに出演することになっていた僕らはメンバー3人で阿蘇に行った。オールナイトでライヴを観てそのまま車で力丸へ向かう計画だ。楽器を載せておんぼろのスターレットで陽気に歌いながら高速を南へと向かった。大きな草原に駐車場というより空き地。そこに車を停めた。駐車場は阿蘇独特の茶色い土で覆われていた。曇り空の中、僕らはアスペクタという会場へ入って行った。
このビート・チャイルド何がすごいかというと当時の日本の音楽業界でもトップクラスの面々がこの阿蘇山奥の草原に集結するということで、佐野元春 with THE HEARTLAND、ハウンド・ドック、BOOWY、尾崎 豊、渡辺美里、ザ・ストリート・スライダース、ほか全部で13組ということだけど、悲しいことに思い出せない。ブルーハーツ、岡村靖幸、アップビート、白井貴子、レッドウォーリアーズなんかもいたような気がする。当時では単独で武道館を満員にするといわれたアーティストばかりだった。
ちょうど昼くらいに会場に入った僕らはDブロックとかいう大きな紐で縊られた草叢に腰を下ろす。このチケットを入手するのにも、かなり並んだ記憶がある。前から2番目の区画の割に、ステージは小さく遠くに見えた。後ろをみるとさらに遠くまで丁度スキー場のような傾斜が続く。交通手段のない阿蘇の山麓に日本全国から7万人の観客を動員したというから驚きだ。僕はライヴ前の雰囲気が好きで、野外はのんびりと寝そべったり、野外ならではの楽しみだ。ビールを飲んだり、思い思いに時を過ごした。曇り空を見上げて草原で昼寝。曇っていると油断したら焼けてしまった。

伝説のライヴ
2001.10.31


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「大雨洪水雷雨注意報」。雨天決行という言葉。いろいろな憶測、言葉が飛び交う中、ぽたりと滴が頬を濡らした。もちろん傘は3本あった。しかしながら、騒然としたオーディエンスをあざ笑うかのようにあっという間にどしゃ降りになり、傘なんてあまり意味がない。開始時間直前、閃光が走り、まるで魔法のように目の前にずうんっと落ちる。かなりヤバイ。誰もが、中止だと思ったに違いない。普通に登山していても中止、若しくは何処か雨宿りするだろう。車に乗ればとりあえず濡れなくてすむ。7万人の観衆がなりゆきを見守った。アナウンスが決行を告げると、遂に伝説のライヴ『ビートチャイルド』は始まってしまった。ステージですら屋根を横切って振り込んでくる雨。嵐の中、ライヴは続いた。どれだけのPAが、楽器がイカレタだろうか。夏とはいえ、高度も高く、気温が低めのうえに寒さが襲う。足元の草原は川のように水が流れ、土の中に足が吸い込まれていく。コンディションとしては史上最悪の事態だった。僕らは雨の中飛び跳ねて騒いでいたので気付かなかったが、プレス用、警備用、アーティスト商品販売用のテントもすべてが救護用に使われたらしい。
遂に連れのひとりがうずくまりダウンし、僕らも身の危険すら感じた時間帯にお目当てのアーティストをほぼ見終わると、車の中へ逃げ込んだ。たしかスライダーズをみたあとだった。一歩一歩地面に足が埋まりこむ。
車に乗り込むとずぶ濡れになった体を拭い、自分の足元を見て絶句。靴が片方無くなっている。しかも、残っている方の白かった靴は泥で茶色く変色している。周りをみると同じ様に車に乗っている人も少なくなかった。車の中で窓を開けてうとうとしながら尾崎豊や佐野元春を聴いた。やがて明るくなり朝がきて幕を閉じた。
あの時出演したアーティストたちのことやライヴの内容は、残念ながら記憶が薄れている。しかし、あの雨や地面の感触は今も鮮明に残っている。ビデオが出ている噂を聞いたこともある。できれば、手がかりとして、機会があれば手に入れたい。
調べによると翌日、熊本県内の衣料品店、靴屋にはビショ濡れのお金を握り締め、何かを達成した満足感に満ちた、笑みに溢れた多くの若者が立ち寄ったという。
伝説の聖地アスペクタは僕にとっては特別な場所。想い出の場所。想い出の場所は約束の日、約束の場所と化して新しい伝説を今も作りだしている。そして阿蘇の大地にたくさんの足跡が残っている。


力丸
2001.11.1


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悲劇はまだ始まったばかりだった。
『ビートチャイルド』は終わり、嵐の夜は明けた。駐車場に停まった車はぎっしりと詰まっていて駐車場から出るどころか身動きがとれなかった。車の中で焦りを感じながら、成す術もなく寝るしかなかった。力丸でメンバーが待っている。携帯電話やポケベルが普及していない時代にそんな中連絡することすら出来ず、苛立ちを隠せない。動き始めた車のタイヤはあちこちで空回りして、上手く進まない。ブレーキを踏むとずるっと滑る。駐車場から脱出することができたのは既に昼近かった。行かなければいけない。
やっとの思いで辿り着いた時間はリハーサルはもちろん、本番までも終わっていて後片付けまでも終わっていた。力丸という野外スケート場でイベントがあり、ヒメノギリカとかいうアイドルタレントの前座のようなものをやることになっていた。下手なコピーバンドがギャラまでもらってこんなことができるのはとても貴重な大事な演奏で折角のご好意、関係者一同ご立腹、メンバーもキレていた。キレて当然だ。僕らが到着してすぐに音が出せるように、いろいろとセッティングを終わらせ、準備していたのだ。待ち続け、謝り続け、何も出来ず、片付けたのだから、大変なことになっている。僕らも早めに抜けて行けるつもりが、こんなに足止めを食らうとは、夢にも思わなかった。すべてのスタッフに深く謝罪し、力丸を後にした。ヒメノギリカってどんな人だろう。今だに見たことがない。
そのとき僕の片足が裸足だったことは言うまでもない。
メンバーで喧嘩はいつものことだったし、その事でねちねちと小言を言うようなことはなかった。しかし、それからしばらくして活動を自然休止、消滅していった。以来、僕はギターを殆ど握らなくなった。




コメント(3)

>>[1]

同じく私も南こうせつサマーピクニックには何度か参加してました。

高校生でしたが夜は寒くなるのと絶対雨が降るって誰かに聞いていたのか
雨具とかさ張らない『ゴミ袋』を必ず持って行き首と腕のとこに穴を開けて
装着、その上から雨具を着て過ごしました。ビートチャイルドでも周りの人に
ゴミ袋を配った記憶があります。

ニュースで見ましたが小雨も降り前夜祭も寒そうでした。
夢まちランドのドークショーは唯一素晴らしい天気でしたね。
ロケットコンプレックスで蘭丸のとこ流れないかな〜。

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