ジョン・レノンの命日にストロベリー・フィールズに献花するヨーコ 2005年12月8日(Photo by Rocketboom/Hamletphase)オノ・ヨーコ(Yoko Ono Lennon、日本名:小野 洋子、1933年2月18日 - )は音楽家、前衛アーティスト。ビートルズのジョン・レノンの未亡人。
争点の一つとなっていたのは、ビートルズの楽曲クレジットに関する問題である。ビートルズの活動中、ジョン・レノンかマッカートニーの書いた曲は、どちらが書いても、また共同で書いても、すべて「レノン=マッカートニー」名義とされた。レノンの死後、マッカートニーは、彼単独で、または彼主導で書いた「イエスタデイ」などの曲について、クレジットの順序を「マッカートニー=レノン」と変えようとした。オノはこれを認めず、レノンの生前に二人が取り交わした協約に違反すると非難した。マッカートニー側はこれに反論、そのような協約は存在しなかったとする。他のビートルズメンバー二人が、クレジットは従来どおりにとどめるべきだと意見すると、マッカートニーは要求を撤回した。しかし2002年、この論争が再燃する。マッカートニーはアルバム『Back In The US Live 2002』で、ビートルズ時代の19曲について「作詞作曲ポール・マッカートニー、ジョン・レノン」と記したのである。なお、同作の元となったツアーにて、オノは招待券を申請したが、マッカートニーは「仲の良い友人というわけではないから」という理由で断っている。
2005年にQアウォードを受賞したとき、オノはマッカートニーの作曲を侮辱しているともとられるコメントを述べ、メディアで物議をかもした。彼女はこう述べたのである。レノンはあるとき自らの作曲に不安を抱き、「なぜ他のミュージシャンはいつもポールの曲をカバーして、僕のはしないんだろう」と訊いた。オノはこう答えたという。「あなたは優れたソングライターよ。あなたが書くのは『スプーンを手に六月』(June with spoon)みたいなのじゃないわ。あなたは優れたシンガーだから、多分ほとんどのミュージシャンは怖くてあなたの歌をカバーできないのよ」[2] ("June with spoon"は、適当に韻を踏んだだけの内容のない歌詞という意)オノの発言に明白な侮辱の意図があったたかどうかには、議論の余地が残る。ヘザー・ミルズ・マッカートニーは、夫がこの件をどう受け止めているか聞かれ、こう語った。「そんなこと、彼は知りもしないわ。ヨーコの音楽がポールの音楽に比べてどれだけ成功しているか、考えてみなさいよ。おのずから明らかでしょう」
[編集] ソロ・アルバム ヨーコの心/プラスティック・オノ・バンド - Yoko Ono Plastic Ono Band — (1970年) フライ - Fly — (1971年) 無限の大宇宙 - Approximately Infinite Universe — (1972年) 空間の感触 - Feeling the Space — (1973年) シーズン・オブ・グラス - Season Of Glass — (1981年) イッツ・オーライト - It's Alright (I See Rainbows) — (1982年) スターピース - Starpeace — (1985年) ライジング - Rising — (1995年) ストーリー - A Story — (1997年、1974年録音) ブループリント・フォー・ア・サンライズ - Blueprint For A Sunrise — (2001年)
[編集] ジョン・レノンとの共作 未完成作品第1番 トゥー・ヴァージンズ - Unfinished Music No. 1: Two Virgins — (1968年) 未完成作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ - Unfinished Music No. 2: Life With The Lions — (1969年) ウェディング・アルバム - Wedding Album — (1969年) 平和の祈りをこめて〜ライブ・ピース・イン・トロント - Live Peace In Toronto — (1969年) ダブル・ファンタジー - Double Fantasy — (1980年) ミルク・アンド・ハニー - Milk and Honey — (1984年)