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量子論と複雑系のパラダイムコミュの超ヒモ理論1984年

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 ブーツストラップ・プログラムより得られた解が、長さだけがあり、直径がないというひも状の回答がだされた。ヒモ理論の開幕だ。

 このアナロジーであれば、相反するクオークなどの極端な還元主義として矛盾ある原子論も反原子論の到達できない解も包括して説明できるのだ。

原子論の矛盾とは、「統一理論によれば、クオーク、電子、ニュートリノのような素粒子はさらにもっと基本的は粒子の異なる現れでなければならない。しかし、その粒子が点であるとすれば、異なる状態や形状で存在するのは矛盾する。」というものだ。

ヒモ理論によれば、バイオリンの弦が振動数によって様々な音色を奏でるように、究極の物資が振動の違いによって、全ての力と素粒子を作り出すというのだ。

1次元は点のあつまりではない。それ以上分解できない根元的な形状でありながら、様々に振動できる。統一理論のパラドックスを解決できるのである。

しかし1960年代にヒモ理論が摘要可能なのは、空間を25次元とした時だけとされ、1970年代には、ライバルの極端な還元主義原子論の標準モデルが成功し、誰にも見向きされなくなってしまった。

 

ヒモ理論が再び復権するにはどうしたらいいのだろうか?

答えは、極端な還元主義原子論の標準モデルを包括すればいいのである。

しかし、その理論を創るのに10年以上を要した。

 

1984年になって次元を9までに減らすことができた、そしてヒモ理論がついにゲージ理論を取り込んだのだ。

 

さあ、のこる課題はあと一つ、空間の次元をいかにして3にするかだ。

 

これにはいいアイディアがあった。残りの6つの次元閉じてしまえばいいのだ。

しかしこれにも問題はある、閉じ方は何万通りもあり、なぜ6で無ければならないのか?5でも9でもない原理はどこにあるのか?

 

パラメーターを調整して、回答を得られることはできるかもしれないが、なぜそのパラメーターでなければならないのかという問題は、標準モデルに残された問題と同じである。

なぜそのパラメーターになっているのかというは最大の問題なのだ。

なにかいい方法はないものだろうか?

一つの可能性はもっと基本的なレベルのヒモの存在を理論つけることだ。

ヒモ理論では振動によって重力など、全ての粒子は生じるとされるが、時間と空間は動的で固定されていないという相対性理論の概念を組み込めていない。

そこでヒモは固定された空間で振動しているのではないと考えの導入が試みられている。

 

 

ウィッテン>超ヒモ理論がクオーク理論ともっとも違うところをもう一つ教えておこう。超ヒモ理論は重力の存在を予測できるんだ。

ソフィー>もともと相対性理論も量子力学も含んだブーツストラップから出発してるから、重力との仲がいいのね。でも重力はあるんだから予測って言葉を使うのはおかしいわ。

ウィッテン>僕らは、事後予測といってるよ。

超ヒモ理論にもいくつかの問題がある。

数え切れないほど多くの超ヒモ理論があること
超ヒモ自体が私達の住んでいる4次元以外にほかの6次元にも存在するということ。―つまりその次元が存在する証明をまずしなきゃならないってこと。
実証が事実上不可能なこと
なにしろ、このヒモは極端に小さい。ヒモと陽子の大きさの比率は、陽子と太陽系の比率に匹敵するほどだ。それゆれヒモを加速器で検出するには、1000光年の素粒子加速器が必要になるというのだ。ちなみに太陽系の円周でほんの1光日しかない。

 

 

 
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「187「宇宙は自ら進化した」 ダーウィンから量子重力理論へ リー・スモーリン The Life of the Cosmoc Lee Smolin 1997年(訳:野本陽代 2000 年) NHK出版

コメント(22)

人の勧めでこの間手に入れたこの本 
表題は気に入っているのだけど 未だ読んでません
なんか難しそうですね〜!
噛み砕いて 教えて貰えれば助かるのですが?(甘い考え)
そろそろ読んでみようかな〜!
お聞きしたいのですが、全然知識がないものでもしかしたら応えるに値しないかもしれません。

>超ヒモ自体が私達の住んでいる4次元以外にほかの6次元にも存在するということ。

これはなぜ存在すると言えるのでしょうか?それは計算式から導き出されるものなのでしょうか?

そもそも6次元が存在するというのはどういうことなのでしょう?私たちが暮らしている世界と同時並行して6次元の世界が存在するということなのでしょうか?

そして次元が閉じるという概念もよくわかりません。次元が閉じるとはその次元は存在しないということなのでしょうか??そうしてもし我々が4次元の世界にいるのだとしたら上の次元はともかく、3次元、2次元、1次元の世界は存在するのでしょうか?そしてそれは我々は把握出来ているのでしょうか?そこには知的生命体と呼べるようなものは存在するのでしょうか??


きっと初歩だろう質問で申し訳ありません。でもそこが一番知りたい部分だったりもするので、どうぞよろしくお願いします。
余分な次元に対する考え方は
「エレガントな宇宙」という本に詳しく書かれています。
また「宇宙のランドスケープ」のほうがわかりやすいかもしれません。

「エレガントな宇宙」の要約が
http://www.asahi-net.or.jp/~ny3k-kbys/contents/elegant_universe.html#chap0
ここに書かれています。

次元が閉じるとは、ミクロな領域で次元が巻き上げられているということらしいです。

細長い紙(2次元空間:横は無限長で縦が10のマイナス33乗ぐらい短い?)を縦方向に巻き上げると縦方向も無限に続くことになりますよね(球面は無限に続く2次元平面と思ってください)そんなふうに想像すればいいらしいです。
時間を一つの次元として考えていいのかなぁ?
>酔平さま

空間と時空間として分けて考えるのかなと思ってはいるのですが、よくわかりません。時間を一つの次元としてとらえることについて。

ただ
(1) 四次元球体が3次元空間を通過するのと
(2) 三次元球体が我々の認識する時空間を横切るのは
### (2)の場合、例えば過去から未来へ球体を移動することが相当するかと思うのですが
### 時間的に中間に住む我々がそれを見たとしたらという場合ですが
我々には区別がつかないことは確かなように思います。

(1)も(2)も
我々の認識する時空間に
点として現れ、球体が大きくなり、ある大きさから今度は小さくなり、最後は点として消える。
という現象になると思うのです。
>酔平さま

(2)の話は撤回です。
なんか違いますね。ずっとそう思い込んでいましたが
書いて読み返しているうちに?
となりました。

やはり時間は他の次元とは同じではない方に一票です。
ですよね〜ってあまり考えてませんが・・・


時間って次元の一つとして考えるべきではないような気がするんですよね・・

それと意志の次元ってあるんですかね?
あと、0次元が点っていうのも納得できない

0次元こそ、時間なんじゃ?って
次元といっても、数学的な概念への事象の投影にしか過ぎないでしょう。

そういう意味で、納得できなくても0次元は点という概念であり、時間と空間を「相対論的に扱う」(一つの数式内部で同等に扱う)のであれば時間軸を組み込んだ4次元時空を想定することにならざるをえないでしょう。

日常、相対論的な効果は経験しないので、時間軸だけは別という感覚は、至極当然だと思います。

あと、確かに、余剰6次元を押し込めるという感覚には違和感を覚えますが、説明するには計算上10次元が必要にもかかわらず、通常観察できる世界は4次元で記述できるため、その処理方法を「あーでもない、こーでもない」と矛盾しないように想像しているだけにしか過ぎないでしょう。

要するに、数学という記述方法に従ったとき、どの程度、一般感覚から乖離せずに、矛盾なく、記述可能か?ということを論じあった結果の「一つの理論」になるわけですね。
僕は、次元=自由度、として受け止めてます。
0次元ならどこにも動けなくて、10次元なら10方向に移動可能という感覚です。
時間は空間と同様に伸び縮みするから1つの次元として考えられるといいますが、たしかに感覚的には僕もさっぱりです。
あと空間の残り6次元のコンパクト化ってのもさっぱりですね。
たとえば6次元の世界は存在したとして、4次元にいる我々には近く出来る次元が足りなくてその存在を認知出来ないと言った論理はなりたつのでしょうか??

なんとなくそこにSF的なものを感じたいんですけど(笑)。
>3: 全充 さんの紹介された、
>余分な次元に対する考え方は
「エレガントな宇宙」という本に詳しく書かれています。

 にありますが、時間の1次元を除くと、我々の感じる巨視的な3次元の他に、非常に小さくたたまれた、7次元があるが、これは、あまりに小さく、人間に感じる事はもちろん、現在のいかなる方法でも、観測できません。おそらく、今後、数百年のうちに、何か画期的な方法が見つからない限り、観測することは出来ないでしょう。
 で、感覚的に理解できないことは、2つあると思います。(以下の話しで、時間の1次元は、除いて考えます。)我々は、3次元の宇宙は、有限か無限かはともかく、連続した一つの存在としてあるように感じているのに対して、この小さくたたまれた次元は、プランク長の中にたたまれた物が、膨大な数、至る所に存在する、ということです。
 もう一つは、なぜ、3次元だけが巨視的大きさになり、残りの7次元が小さくたたまれているのか、3次元でなくても、4次元でも、5次元でも、1次元でも、良かったはずなのに、ということですが、これも、何故かは分かりません。
 物理学は、「世界はこうなっている」ことを説明できても「何故そうなっているのか」の根本に関して、答える手段を持たないのです。
 一つ言えることは、もし、巨視的次元が、4次元以上あったときには、物質や銀河が安定して存在することができず、そのため、我々人間も存在しなかったろう、ということ。もちろん、2次元以下では、現在のような宇宙にならなかったのも確かです。つまり「観測する人間がいる」=「宇宙が3次元である」という理由しか、説明する原理がありません。(人間性定理という奴ですね。)
 他の次元の宇宙があったかも知れず、どこかにあるかも知れませんが、そこがどのようになっているか、知的生命体が居るか、ということについては、何も分かりませんし、どのような方法を持っても互いに影響を及ぼすことが出来ませんから、存在しないのも同じ、というのが、物理的考え方であると思います。

 なお、「エレガントな宇宙」は、非常によく解説してある本ですが、大部であり、前提として、ある程度の宇宙や物理に関する知識が必要と思われ、読んで意味を理解するのは、なかなか大変だと思います。私も、まだ、少ししか理解できていないと思っています。
そういえば相対論的には、通常我々は時間軸方向に光速で移動しているということです。
もう少し正確に言うと、
C^2=Vx^2+Vy^2+Vz^2+Vt^2
ということになりますか。
>そういえば相対論的には、通常我々は時間軸方向に光速で移動しているということです。

 その通りですね。
 ここのところを、あまり、分かりやすく解説した本が無いのが残念ですが。
 私たちは、通常、3次元の空間の中に静止しているとき、「完全に静止していて、時間だけが過ぎ去っていく」というイメージを受けるのですが、実は、時間を止めることは出来ません。(あたりまえに思えるでしょうが、ここが重要です。)
 時間は、光速をかけて、ct とすることで、通常の距離と同じ、長さの次元を持つことになります。そして、時間を止めることが出来ない、と言うことは、我々は、常に、時間軸の次元の中を、移動し続けて居ることになるのです。つまり、時間次元を、常に「走り続けて」いることになります。
 人間が(あらゆる物質も)座って何もしていなくても、実は、時速30万Kmで、走り続けていて、止まることは許されない、ということです。(少し単位系の表現など、あえて、曖昧にしてあります。)
 相対論的に考えると、もっと分かりやすいです。
 よく、光速に近い速度のロケットの中では時間がゆっくり進む、ということが言われます。これは、x、y、z方向の次元に、非常に早く進むことですが、そうすると、止まっていれば、30万Kmで、時間次元方向に、止まることなく走り続けなければならない状態のうち、ある程度が、距離方向の移動に使われる事になるため、時間方向への移動が少なくても、トータルすると、結局、30万Kmで、移動していることになります。
 つまり、我々は「静止」していることは許されず、常に、トータルが光速になるような形で、時間方向あるいは、長さ方向に移動し続けていなければならない存在なのだと。

 ここが、わかると、時間だけ特別な物と考える必要が無くなり、宇宙内の運動が、光の速度によって、全て決まってくることも理解できるのではないかと思います。

 相対論の入門で、この辺をもっと、分かりやすく説明すると良いと思います。「絶対静止」はあり得ず、「光速移動」しか、存在しない。もちろん、その中間もない、ということです。

 やや、説明が曖昧なところもあるでしょうし、勘違いもあるかも知れませんが、こう考えると、すっきりしませんか?
ここの話題とずれるかもしれませんが
宇宙ステーション内の人口重力中でりんごは落ちるのか?

ドーナッツ型宇宙ステーションはドーナッツ状の居住空間を回転させ遠心力を重力として利用しますが

これは一般相対性理論の対称性と考えてよいのだと思うのですが

でもりんごは落ちないのではないでしょうか
いや正確には等速運動で床に落ちる?
落下時決して加速度は受けないのではないでしょうか。

直線的に加速度運動していれば地上にいるのと区別はつかないと思いますが、等速円運動による遠心力は重力と対称性をなすとは言えないような気がするのですが
しかし宇宙ステーションの床に立っている限り下方に重力を感じますよね。
等速円運動をしている宇宙ステーションの中でリンゴを落としたら
宇宙ステーションの回転半径をRとして
角速度をωとすると
ざっと考えて、Rωt^2程度の加速度を受けて床に落下するように見えそうな気がしてきました。

宇宙ステーションの外でぶら下がっていて、手を離した際も宇宙ステーションから離れていく状況はやはり手を離した場所から自由落下していくように見えるような気がしてきました。
しかし少なくとも手を離した場所が手を離してからの回転が90度に近づくあたりからあやしくなりませんか。
16: 全充 さん
チョット横入りすみません
宇宙ステーションは無重力空間に存在するものでしょう
引力とつりあうスピードで地球を回っているのかも知れませんが
その場合ぶら下がるという「下」はどの方向なのでしょうか?
自由落下もドチラヘの落下なのでしょうか?
手を離しただけで 何の力も加わらなければ そのままなのじゃないのですか?
ヒモっていうと輪って感じがするけど

手毬の様な紐だと思うと球体っぽいですよね
「エレガントな宇宙」のなかで対称性について記述があって
重力質量と慣性質量の対称性(等価原理?)についても記述がありふと思いついて書きました。
話を簡単にするため、天体からの影響がまったくない状況を考えています。

等加速度(g)で直線運動をしている床(運動方向に垂直な面)に慣性力で立つ人間は、慣性力と重力の区別がつきません。(地表での体験と区別がつかない:細かいこというと区別つくのですが)
リンゴを投げればリンゴは地表と同じ等加速度運動で床に落下します。(のように見える)
また斜め上に放り投げれば方物線を描きます。床のあいた穴に落とせば等加速度で落下します。(そのように見えます)

だったら遠心力(慣性力?)を重力として生活している等速円運動(宇宙ステーション)でも同じようなことがいえるのかなと考えました。
しかし、リンゴは等速円運動をしている物体(人間)から離れたら等速直線運動をする(宇宙ステーションの外から見て)。
絵に描くと判りやすいのですが、外から見ていれば立っている人間より回転方向よりの床に落下します。(たぶん。コリオリの力は働かないと思うのですが、間違ってますか?)
また遠心力で宇宙ステーションの外にぶら下がっていた物も切り離せば同じく等速直線運動を始めます。
宇宙ステーションで人が立っている床に窓があって、その外にぶら下がっている物体(その時点では遠心力で足下直下にぶら下がっているように見える)を切り離したら宇宙ステーションの床からは真っ直ぐ落ちていくかのように見えるかなと思ったのですが、等加速度直線運動をする床から見るようにはならないようです。
おそらく遠ざかっていくようには見えるのですが、徐々に回転方向後方に落下していくように見えるのでしょうか。
>だったら遠心力(慣性力?)を重力として生活している等速円運動(宇宙ステーション)でも同じようなことがいえるのかなと考えました。

重力は一様に(平行に)かかっている。地球が十分大きいから
でも万有引力は危ういってうわさが・・・

十分離れた2点の運動にさえ相関関係が見られるのはご承知のとおり。一方で新しい熱力第2法則をこの粒子に適応しAds/CFT対応とやらでこちょこちょってやればエントロピックフォースが現れて、極端に弱い結合力の重力は必要ないってことになるらしいよ。

詳しい方おられません?こちょこちょってのはホログラミック原理ってゆうらしいです。専門外ですかね。トピずれならすいません。

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