はっぴいえんど解散後、ソロ活動を始めた細野の一枚目のアルバムである。当時埼玉県狭山市のアメリカ村(航空自衛隊入間基地がアメリカ空軍のジョンソン空軍基地があった頃に基地所属の軍関係者の住居が建ち並んでいる場所で基地が返還された後、それらの家は安価な賃貸料で貸し出された)と呼ばれていた場所にあった細野の自宅に(AMPEX 16 TRACK RECORDER)の録音機材を持ち込んで作られた。日本で最初の宅録アルバムと言われています?。バック演奏のメンバーは、1972年末まで小坂忠とFour Joe Halfで活動していた林立夫/松任谷正隆/駒沢裕城、細野と共にはっぴいえんどで活動していた鈴木茂だった。その後、細野は、林/松任谷/鈴木とCaramel Mama(活動途中Tin Pan Alleyに改称)を結成する。細野は、このアルバムについて(狭山での生活を詰め込んで作った)と語っている。
[狭山では、好きな音楽がいっぱい増えて、最初は点だったのが線に繋がった。ただ楽しむんじゃなくて、ルーツを探っていく。深い勉強をしたおかげなんです。 Van Dyke Parksの(Discover America)っていうアルバムを徹底的に聞き込んでいくうちに、あのアルバムをとっかかりにして、ぼくの感覚が過去に戻っていった。たとえば、ぼくが子供の頃に聞いていたHollywoodの映画音楽とか、そういうノスタルジクな世界を思い出したんだね。HollywoodのSoap Opera、その後にはGeorge Gershwinとか、アメリカの歴史を遡っていたね。1920年代のポピュラーと民族音楽。むかしからきいてはいましたが、とくに熱中しはじめたのは、このレコーディングの途中から それと同時に、精神的安定さから、James Taylorとか、ああいうシンガー・ソングライターの暖かい音楽に救いを求めていた。 Rock Beatがイヤになったんだよだから古いCountry Musicを聴き直したり、Singer Song Writerものを聴いたりしていたわけだ ぼくはこの頃から不安に陥っていたんだ。 当時の僕は終末感にさいなまれ、その上、ある精神的なショックのFlash Backなどもあって、身も心もズタズタに分裂してしまうような状態に落ち込んでいた。 この頃は家族がよく付いてきたと思うよ。あの頃、自分が狂った姿を一番見ていたのが奥さんだからさ、 そのいっぽうでR&Bの新しい動き、Sly & The Family StoneとかBilly Prestonなんかが入ってきたでしょう。 当時は、R&Bの中でも、16beatの音楽に非常にエネルギーがあって、特にBilly PrestonとかSly & The Family Stoneが飛び抜けて新しい楽をやっていたんです。 そういうものを、ぼくは同時に見てたわけ。そういう時に作ったから(HOSONO HOUSE)っていうアルバムには、それらの要素がみんな入ってるんだよ!*細野晴臣/基本的にはThe Bandの[Music From Big Pink]の雰囲気を狙ってたんですよね。スタジオとコントロール・ルームが分かれてるっていう発想を変えてしまって、ひとつの部屋に全部の機材があって録りたいときに演奏するっていうか、楽器と同じように録音装置を扱いながらやりたいなと思ったんです*吉野金次/Caramel Mamaの夢は、(Muscle Shoals)みたいに、スタジオ・ワークをまとまったリズム・セクションでやろうということだった*石浦信三/トリオ・レコードと風都市が設立したレコード・レーベルをSHOWBOATと命名。名付け親は細野晴臣なんです*前島洋児]