彼らにとっての初カバーとなったのは84年「Dark Glasses(EDWINA LAURIE)」。 こちらは元々PWLの前身である「LOOSE END PRODUCTION」からの繋がりであった NICK KERSHAWによるオリジナル(83年カップリング曲)で、爆発的HI-ENERGYブームの最中、 スピーディに対応する為、当時はまだオリジナルストックが少なかったこともあって、急遽 「Dark Glasses」を採用したと考えられる。 HI-ENERGYファンにとってはレアアイテムであり、特にUKオリジナル12インチ (PANTHER ECORDS)で入手するのはかなり難しい。
翌85年では、JAMES BROWNの大ヒット曲「It's A Man's Man's Man's World」をBRILLIANTで カバー。 SAW流とも言えるエレクトリックサウンドを駆使したニュースタイルという意味では第一弾に匹敵するが、当時のSAWはまだ無名であった為、恐らく大手レコード社WARNERによる方針だったと考えられる。 カバー曲ながらも、セカンドミックス「The Trans Global Mix」を含む2バージョン存在しており、レゲエサウンドをキープしながらエレクトリックをアピールしたファーストバージョンと、O’CHI BROWNやPRINCESSのようなBRITISH-SOULテイストに仕上げたセカンドバージョンとそれぞれ魅力ですが、やはり何といってもオリジナル(Extended Mix)であり、特に繊細なシンセサンプルの使い方がいい。
86年の大ヒットと言えばVENUSですが、前作「It's A Man's Man's Man's World」から引き続いて、SAWによるエレクトリックなニュースタイルが遂に開花したと言える1作となった。 以前にも語りましたが、原曲のシックなイメージをリセットし、ヘビイなギターサウンドに進化させながらHI-ENERGYクラップを最大にアピールした最高傑作であり、ここまできたら最早オリジナルだと言っても過言じゃない。 BANANARAMAによる迫力あるシャウト(WOW…!!)もまた、ド派手なノリを演出した これぞグッド・カバー。
翌87年、VENUSと同系サウンドで再びカバープロデュースを行ったのが、 日本でも根強い人気を誇る「Get Ready(CAROL HITCHCOCK)」。 オリジナルはご存じTEMPTATIONS(65年)ですが、この2作カバーを聴いて個人的にはもう一曲やってもらいたかったのが、「Smoke On The Water」(DEEP PURPLE73年)。 しかし同アレンジスタイルを続けなかったところに、SAWの拘りを感じさせる。
決してビッグアーティストばかりではなく、ゴージャスさで言えばUSA FOR AFRICAに劣る気もするが、よく考えてみるとチャリティ企画とはいえ、BEATLESのメジャーヒットを採用するのは決して容易なことではなく、通常は簡単に許可が下りるとは思えない。 英国の名プロデューサーとはいえ、普段はPOP-DISCOがメインフィールドであり、 日本ではユーロビート・プロデューサーというイメージでしかない。
そんなチャラチャラとしたSAWイメージを抱く傾向も強いようだが、あのPAUL McCARTNEYがOKを出したことは紛れもない事実なのです。 PAUL McCARTNEYとの直接コラボはワンフレーズという僅かなモノでしたが、この功績はあまりにも大きい。 これぞ英国ポップミュージックを担う名プロデューサーとして、PAUL McCARTNEY に認められたという勲章に値する。
BOY GEORGEの歌声もいいが、特に魅力を発揮したのがEDWIN STARR。 SAWシングル「Whatever Makes Our Love Grow」と比べるなら、こちらの方が断然ボーカルが 光っている。MEL&KIMのサビメロ繰り返し部分もジャストフィットしており、今は亡きMELにとっても最高のメモリアル作品の一つとなった。 ギターソロのGARY MOOREも彼ならではの音色が心地いい。 12インチのカップリング「Mega Message Mix」では、GARY MOOREのギターソロ直後にスタートするメッセージには、ナント!STOCKとAITKEN二者の声が..。 これは何ともレアなシーンであり、彼らの夢が叶った瞬間とも捉えられる。
上記2作品に共通するのは、過去にも様々なアーティストによるカバーは存在したようだが、 トップ10以内の大ヒットを記録したのはSAWのみであり、全英最高位でHELP!は3位、Let It Beは7週連続1位という偉業を成し遂げた。
PAUL McCARTNEYとのコラボは、この後も「Ferry 'Cross The Mersey」(こちらもチャリティ企画による89年リリース)にまで発展するなど、PAULとのパートナーシップを築き上げた。