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超短編小説集コミュのマグナムブーツは義足のために

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隼人は義足の左足を軸にして、右足で思いっきり男の顔面を蹴りつけた。電気コードを束ねるのにも使う白のプラスチックの拘束具で後ろ手に親指同士と手首を固定され、正座させられていた男の顔に回し蹴りでハイテック社マグナムブーツの踵がめり込む。男はごきんっと顎か鼻の骨が折れた音を立てながら、一回転するような勢いでコンクリートに叩きつけられた。隼人の黒いつなぎの戦闘服に男の血と正体不明の体液の飛沫がぴしゃりと着いた。
 元から男の顔は日本人離れしていて、下卑た売人のような顔だったが、一層醜くなった。鼻か口からだらだらと血を流し、みるみる腫れ上がってくるまぶたの隙間から涙が溢れていた。小便を漏らしながら命乞いをする様に隼人はさらに猛烈に怒った。黒い不燃材で編んである目出し帽の隙間からでも、その眼差しが、その形相がただならぬことはWebカメラも克明に捉えていた。
「がっ、っき、貴様ぁ!!お前は今まで、助けを求めた人のうち、一人でも助けたことはあるんか!?ええ!?」
 隼人の凄みに男は縮こまりながら、おずおずとつぶやいていた。
「た、助けて……。おで、おで……」
「はあ!?おでがどうしたんや」
「おで、こ、殺してない。ひ、一人も殺してない」
「おっ、お前はまだ分かってないんやな」
 もはや隼人はキレてしまった。
「ひぁぁ、たすね、助けて、助けて!!」
「何が助けてやねん。死ね!死んで贖え。お前の死で、お前の罪は贖われへん。お前の死にそんな価値は無い!!だから、その責任を死んで贖え!!分かるんか!?分かるんか!?」
 隼人が蹴りを入れまくり、男は食塩を掛けられた蚯蚓のように地べたで悶えるしかなかった。男のズボンとパンツはのたうちまわった時に尻の穴が見えるか見えないかのところまでずり落ちた。隼人の蹴りはそれでも止まらず、踏みつぶすように頭であろうが、どこであろうが蹴りまくっていた。
 もう一人の後ろ手に縛られた男は隼人の回し蹴り以降、ほとんど目をつぶっていたが、隼人のブーツとコンクリートの床に男の顔が挟まりドゴンッ、ガスッとこのだだっ広い倉庫に響いて音を立てるたびに短くひっ、と悲鳴にも似た声を挙げて縮こまるのだった。まるで、大戦中の捕虜のようにいたぶられる彼ら男二人に共通した不幸は祈るべき神がないことだ。畜群にはやはり、神が必要だ。畜群から神をマイナスしたところで、人間になれるはずも無い。ベヒモスはベヒモス。リヴァイアサンに狩られるゆえ、ベヒモスと呼ばれる。
 坂本がサイレンサーを付けたMP5から両手を離し、ストラップで胸の前に下げ、その空いた両手でタイムのサインを出し、隼人にやめるように伝える。それを見た隼人はぴたりと蹴りをやめ、代わりに僅かに肩で息をし始めた。
 坂本は続けて、くいっと右手の人差し指と親指を立てた手を振り、隼人にゴーサインを出した。隼人もこれ以上痛めつけるとバベルをやる意味が無くなるのは分かっていた。
 坂本は元の様にMP5を握り、さらにトリガーに指を掛け、まだ元気なほうのベヒモスに照準を合わせた。隼人の蹴りの音が収まったことに、状況がつかめないその男はそうっとつぶっていた薄目を開けてみた。
 男は見た。そこに自分に銃口を向け、照準を合わせる黒ずくめの戦闘服に黒の目出し帽
を被った男、坂本の姿と、この坂本以外の光景全てを克明に捉える高精度Webカメラが三脚で立てられていることを。そしてすぐ後ろで同じく黒ずくめの目出し帽の男、隼人がいることも分かった。その瞬間、男の口はSMで使うようなピンポン玉大のプラスチック玉と革ベルトの付いた器具で塞がれた。そして、足首も正座をしたまま、拘束された。その後、左手の手首が後ろ手に、コンクリート床から飛び出ているドーナツくらいある鉄のリングに南京錠で繋がれ、右手は今度は体の前側、ひざ下辺りにあるリングに繋がれた。
 隼人はもう一人の虫の息のベヒモスを羽交い絞めのようにして起こし、同じくピンポン玉を噛ませ、足首を拘束し、正座にさせた。ただし、もうこの男は自力で正座が出来るかどうか不明だ。
 隼人は坂本の足元にあるダンボール箱を取りに行った。そのときは、隼人はWebカメラからフレームアウトしている。つまりはライブビデオを鑑賞している端末にとっては、この空白の数秒間はベヒモスが二匹向かい合って正座しているようにしか見えない。
 隼人はダンボールを持って、またフレームに現れた。ダンボールを降ろし、その中から、今から鍋でもやるぞ、と言った感じでカセットコンロを取り出す。
 ベヒモスは二人とも口々にふぐふぐとわめいたが、ピンポン玉のおかげで気色の悪い悲鳴と命乞いの混じった懇願は聴かなくてすんだ。その洩れる息づかいを聴いて、坂本は密かに唇を歪めて薄ら笑いしていたが、隼人を含め三人はその様子に全く気が付いていなかった。
 隼人がポケットからメモを取り出し、読み上げる。
「我々、リヴァイアサンはこれよりバベルを執り行う。両名の罪は先ほど、各々が自白したとおりである。これはバベルに値すると我々は判断する。しかし、バベルは私刑ではなく、民主主義がその原型に戻った、直接民主主義に基づくものである。このバベルに立ち会うものは異議を唱えることができる。異議があるものは明瞭な日本語で申し立てよ。論理なきものは倫理なきと看做す」
 隼人は、まだ元気なベヒモスが猛烈にもごもごと悶えながら抗議しようとするのを一瞥し、ぼろぎれのようになった方も見た。もはや、この類の抗議や命乞いは彼らリヴァイアサンには届かない。目線をカメラに戻し、続ける。
「異議が無いので、続ける。これよりルールを説明する。まず、ベヒモスの双方がこの鉄の筒に右手を入れる。中にはスプーンのような金具が2本、ワイヤーの輪が2本ある。それぞれ一つづつを握る。ワイヤーは相手の手首を固定する仕組みになっていて、スプーンは相手のワイヤーをしっかりと握って置けば拳にはほとんど届かない仕掛けになっている。この金具をスタートと同時に炙る。熱さと痛みで先に右手を出した奴の負けだ。負けた奴は死んで贖う。しかし、お前達ベヒモスは死んで贖える価値は無い。だからこそ、その責任を死んで贖うのだ。また、双方が右手を最期まで抜かなかった場合は双方の勝ちで終わるが、それは双方が死ぬまで続けられる。では、始める」
結局、まだ元気だった方が先に右手を抜き、虫の息の勝ちとなった。負けた方はその瞬間に隼人が構えていたSOCOMピストルで後頭部から撃ち抜かれた。
Webカメラはそこで坂本によってスイッチが切られた。もう一人も同じくSOCOMで殺されたのを知っているのは坂本と隼人だけだと思っていた。
死体をいつも通り片付け、大きめのスポーツバッグを担いだ隼人は坂本と100メートルほど離れた車に戻った。しかし、隼人が持っていた車のキーがない。
「あ、坂本、すまん。車のキー、着替える時に落としたみたいや。戻って見てみるわ」
「ああ。俺はスペア持っているから、車に入って待ってるよ。あんまり遅くなるなよ」
 隼人はさっき力いっぱいベヒモスを蹴り付けたので、体は疲れきっていたが、仕事のあとの興奮が全身を熱となって包むのだった。
 隼人が倉庫まで戻り、着替えに使った守衛室の明かりをつけると、無人のはずの空の倉庫で何かが動いて、一つだけあるコンテナの陰に隠れた。50メートル。隼人は警視庁特殊急襲部隊SATで現役だったころと変わりのない体裁きで近づいた。そして、息を潜めているつもりの後頭部に死角となる物陰からSOCOMの照準を合わせ言った。
「動くな。手を頭の後ろに回し、ゆっくりと腹ばいになれ」
「きゃー!」
 若い女。一般人か。隼人の中で今日一番の鼓動が響いた。まずいことになったのか。
 
 ボディチェックをすると、女が一般人だと確証が得られた。免許証、財布、携帯電話。しかし、一番まずいことに、バベルの後半と隼人の素顔を見られた。殺すしかない。いやそうか?手錠を掛け、外に出て携帯電話で坂本に話し、坂本が来てから判断を待つか。坂本が来れば、必ず殺すだろう。さっきの熱が厚みを持って全身に回り、だらだらと汗が流れる。あまり、長くここにいると、不審に思った坂本がこっちに来てしまう。しかし、一般人を殺すのはリヴァイアサンでもイレギュラーだ。
 数十秒、沈黙し隼人は口を開いた。隼人は女に条件を付けて、後ろを振り向かないように言い聞かせて返した。
 車に戻ると、坂本が携帯メールに明け暮れている。文句を言い始める坂本に、車のキーがあったことだけ伝え、坂本を五反田まで送ったあと、飯田橋の自宅に戻った。

 翌日、隼人が都内のある病院の門で待っていると、女、沙希は隼人の言った条件を果たすべくやって来た。
沙希は怯えながらも隼人について病棟、病室へと進んで行った。そこには隼人の恋人、久美がいた。久美は眠ったままだった。病棟を出た隼人は紅葉と呼ぶにはいろいろな木々が雑然とした中庭のベンチで沙希に全てを話した。久美が特発性肺血栓塞栓症と原因不明の高熱を併発していること、手術に多額のお金が必要なこと、今は反応はほとんど無いがこちらからの問いかけを分かっていること、そして明日が手術だと告げた。隼人は沙希に明日、自分と一緒に来て欲しいと頼む。しかも、カウンセラーとして同席しろと。隼人は沙希がカウンセラーであることを昨日財布に入っていた、証明書を見て知ったのだった。
隼人にとってリヴァイアサンの仕事は久美の治療費を作るためだった。そして警察組織にとっては折角育てた優秀なSAT隊員を犯人に左足を切断されることで、失ってしまうのがもったいないのと、平成的民主主義がもう通用しなくなっているため、リヴァイアサンという国賊私刑テロ集団をでっち上げるしか方法が無かった。
 話を聴き終えた沙希はやっとまともにしゃべれるようになった。
「そうだったの。少し安心した」
 そう言って沙希は安堵の表情を浮かべた。こうやって見ると、沙希はいい女だ。久美よりももっと育ちがいいのかゆったりしている。身元を洗う為に念のため調べたデータでも良い両親と家庭に恵まれているのではないかと思う。中流の私立大学のカウンセラーの講義に群がるガキどもは、自分が欠落している故、誰かを癒してそれを一時的な自尊心に補完しようとすることを自覚できないアホたれぞろいだが、沙希はそうではない。しかし、この艶かしさは久美が目覚めたら、事情を話さなければ、勘違いして怒ってしまうかもしれない。病院に入るときは白衣を上着だけでも着てもらわねば。
 隼人はしかし、釘を刺すように言い放った。
「勘違いしないでくれ。俺はあなたが他人に言わないかどうかを常に見張るためもあって、近くにおいているんだ。もし、他言したら……」
 沙希はうんざりしたといった顔で隼人の言葉を制した。
「一度、言われたら分かるよ。お前だけでなく、家族、恋人、すべてバベルをして殺すでしょ?」
 
 それから一ヶ月が過ぎた。久美の手術は成功し、回復してきた。沙希は隼人の約束どおり、午後のカウンセリング訪問前に久美の病室に通う。それでも、久美は隼人が来るときの方が安心して、むしろ子供のように退行するのだった。
「おら、おなかすいたなー。おやちゅが食べたいど。隼たん、買ってきてぽ」
 隼人は久美のわがままを聴いてあげることすら、うれしくて仕方が無かった。一階のロビーに下りて自販機でポッキーを買う。こういうときに行きなれない階段の僅かな段差に義足は引っかかるのだ。隼人はほんの少しの間、SAT時代を思い出しながら、病室に戻った。病気から目覚めた久美は食べ方まで変わって、まずチョコの部分を舐め回して、プレッツェルの部分だけになるとくちゃくちゃと音を立てて食べるのだ。実家の新潟にも身寄りらしい身寄りのいない久美が本当に甘えられるのは隼人だけなのだ。隼人は笑って許し、その代わり、沙希も居るのも構わず久美のほっぺたにこびりついているチョコをいただくことにした。隼人にしてみれば、まだ、セックスできるほどは体力が回復していないガキんちょは久美であろうとも、子供は子供と思っていた。しかし、その頬を舐められながら久美は意外にも色っぽく喘ぐのだった。
「あうぅ。だ、だめぽん。恥じゅかちい……。あう。久美たんの、久美たんのチョコだど」
沙希は確か、隼人より少し年上のはずだが顔を真っ赤にして目を背けた。隼人は久しぶりに久美の頬っぺたに触れたのと、その喘ぎ声ですっかり欲情してしまった。沙希が居なければ、ペニスにチョコレートを塗りたくって、久美に頬張らせていただろう。

それらからしばらく日が経ち隼人と久美は退院祝いとしてデートに行った。本当なら、自宅のベッドで久しぶりの久美の、女の体を堪能したいのだが、まだ、久美はセックスできる体ではない。休日、隼人は家に居ても悶々としてしまうのであくまでデートを楽しんだ。
六本木ヒルズのウェストウォーク5階にある、ザ・キッチン・サルヴァドーレ・クオモでイタリアンビュッフェスタイルの遅い時間のランチを楽しんだ。モッツアレラチーズののった釜焼きピザを食べながら、隼人はこれを期にリヴァイアサンを除隊しようと思っていた。リヴァイアサンは去るものは追わない。隼人が、何気なく相談するためになあと言おうとしたそのとき、
「ねぇ……」
 と、久美が尋ねた。
「あなた、何か隠してない?」
 久美は疑問形で話しているが、その内心が確信を持っているのは隼人にもありありと分かった。ただ、何に対する確信か。
「いや……。隠すことは何もないよ。隠してない」
 隼人はごく自然に微笑みながら、隠していることはリヴァイアサンだけだったかどうか、頭の中で検索した。些細なことなら、幾つかある。実は久美が病室で寝込んでいる機にソープに行ってみたとか、ただ、素人とはやっていない。それが俺たちのボーダーラインだったはずだ。と。
「そう?でもね、あたし知ってんだ」
 何か間を置く、久美。空気はズドンと隼人の回りで重くなり、さっき食べたポテトのチーズグラタンがトマトのサラダと魚介のマリネと混ざって喉の奥までずり上がって来ているのが分かった。
「隼人がね、リヴァイアサンなの」
 隼人はさー、と血の気が引くのを感じた。
「な、何言ってんだよ。俺はあれ、あそこ辞めてから、科捜研だって。それに、なんで警察の俺が、私刑集団リヴァイアサンなんだ?」
 隼人は完全に動転し、SATは何とかあれと言ったのだが、昼のレストランで、科捜研だのと口走ってしまった。
「いい。うん。いい。隼人がリヴァイアサンでも。私、帰る。新潟のお家帰る」
 そこまで言って久美は泣き崩れてしまった。一杯だけ飲んでいたスパークリングワインで久美の顔は幸いにも真っ赤だったので、久美の二の腕を掴み外に出るために引っ張った。六千円をお釣りはいらないとレジに突き出して、酔いすぎた恋人をなだめるふりをして店を出た。
 その日は久美とそのまま六本木で別れて、お互い自分の部屋に戻った。
 夜、二時眠れない。久美は本気で言っていたのだろうか。それとも……。自分で考えるには分からないことだらけだ。久美の性格から考えて今夜は寝付けないだろう。今、電話を掛けても起きているはずだ。しかし、何て言えばいいのだ。俺は久美のために、リヴァイアサンに入った。そうするか手術代を払うことは出来なかった。実際、そうなのだが、これを言ってしまうと、とぼけることはもう出来ない。
 翌朝、出勤前に電話を入れようと、久美に掛けるが繋がらない。さては今頃、疲れ果てて大いびきをかいて寝ているのだろう。そう思いたかった。
 夜、やっと繋がった久美は今、新潟の実家にいると言った。実家と言っても、唯一、血縁で面識のあったおばさんも新潟には居ないはずだ。がらんとした実家は今日眠りに帰るだけで、明日からは中学校の友達の家に無理やり止まりに行くという。俺はまだ、リヴァイアサンの件はとぼけた。
 
 次の深夜、久美から電話があった。酔っ払っているが、こんな感じに要約できる。たまたまあった、中学か高校の同窓会に友達が参加を前から決めていたから、久美もそこに出た。すると、当時付き合っていた元彼がいたという。
「でね、その人に結婚を前提にお付き合いしませんかって言われたの」
 隼人は少し嬉しそうに話す久美にだんだん腹が立ってきた。隼人の返事を求めて、久美はそこで、一呼吸置いた。
「で、どうすんの?」
 隼人はぶっきらぼうに聴いた。
「どうすんのって、だから、隼人に相談してるの」
 久美は少し怒っているようだった。もういい加減眠い。隼人は話を切り出しておいて、勝手に怒る久美に今日は付き合い切れずにこう言った。
「勝手にすれば」
「ふーん、いいんだ。勝手にしても」
「ああ」
 隼人にしてみれば、久美とはまだ別れた訳ではなく、少し経てば戻ってくるだろうと、問題はリヴァイアサンであることがどうして分かったのかと、自分がリヴァイアサンであることをカミングアウトするかどうかだった。
「じゃあ、好きにします。あんたも、リヴァイアサンでも何でも好きにしたら」
 そう言って、久美は電話を切った。隼人は一気に目が覚めた。心臓が早鐘のように高ぶる。最悪の展開。公安は隼人の身辺を毎日探ることはしないだろうが、通信は絶対に記録を取っている。すぐに坂本に知れるだろう。そうなると、俺や久美が危険だ。すぐ、久美に掛け直しても繋がらない。そして着信拒否。
 翌朝、バーボン漬けになってようやく眠りにつくことが出来た隼人の頭を電話のベルが割ろうとしている。受話器を取った瞬間にベッドからずり落ちた。声で悪酔いは取れたが、200倍のバッドな状態が押し寄せてきた。坂本だ。
「おはよう。何故、俺が電話したか分かるよな」
 坂本のこの口調は完全に奴のモードだ。絶対になあなあで収まりは付かない。だからこそ、坂本はそのキャリアの経歴に似合わない、リヴァイアサンという歴史の闇に属することになった。
「選択肢は二つ。隼人、お前だから二つ用意したんだ。一つは久美と結婚し、機密をばらさないこと。もう一つは久美を殺すこと。俺はお前がどちらを選ぶかは興味がない。ただ、今はとてもまずいのはお前も分かるところだろう?違うか?」
 坂本はブレーンであり、隼人にとっては、俳優が隼人で奴が映画監督みたいなもんだ。
「そうだな」
 役割が違うため、向こうからの注文にしたがって実働するのみだが、昔の警察組織と違って対等な関係で物事を処理しようとする。隼人は慌てて付け足す。
「どちらの線にしろ、二週間欲しい」
「二週間。お前の取るほうは一つだろう。それで二週間でいいのか」
「ああ」

 久美に電話をする。電話に出た久美は非常に不機嫌で、そんなに不機嫌だと本当に不細工で性格まで悪くなりそうだ。
「なに」
 久美はまるでしなびた会社のババアの受付嬢が、押し売りをけん制するかのようなトーンで話す。
「あのなぁ……。まあ、いいわ。一つだけ。リヴァイアサンの名はめったなことでは口にしないほうがいい。これは絶対だ。久美が、俺は久美が好きやから、こう言っている。これについて話したいなら、俺が新潟に行ってもいい。だから、他の人にはその話をしてはいけない。分かるよな」
 久美を子供扱いしない程度に、言い聞かせた。もう、実際は久美も隼人も回りや通信網は公安にマークされているはずだ。
「……。うん」
 久美は言葉少なげにだが、分かってくれた感触のある返事をした。
「それでなくても、俺、新潟行くよ」
 そう言う隼人の言葉に久美は少し迷惑そうな感じで答えた。
「あ、いい。いま、うーん……。また、その日程の話は今度しよう」
 話半ばで久美に電話を切られた形になった。

 その翌日、隼人は郵便受で何度もそれを見つめた。冗談や脅しの類ではなく、本物と判断した。久美と新潟の元彼との挙式案内状だった。挙式は12月25日。ちょうど、坂本に貰った二週間の最期の日だ。隼人はもう一刻も無駄には出来ないと新潟に行くための荷物を手早くまとめた。まだ、今から用意すれば新潟行きの新幹線に間に合う。
 その日の夜、沙希の携帯がなった。久美からだった。
「も、もひもしー」
 久美は酔っ払っている。
「あ、はい。磯村です。久美さんですか?」
 沙希は酔っ払いの相手ではなく、久美が伝えたいことがあるから久美の相手をしなければならないことが一瞬で分かった。
「そうです。久美です。おひさしぶりー」
 久美は酔っていたが、そこに心はちゃんとあった。久美が何かを語るのは間違いない。
「さ、沙希さん。御免ね。こんな夜中に。あのね、お願いがあるの」
 早速来た。
「お願い?どんなお願いですか?」
 沙希は久美がすぅっと語りやすいように呼び水を打った。
「隼人に、隼人にね、伝えといて欲しいの。あたしね、まだ、隼人のことが好きよ、って……」
 最期の方はほとんど、嗚咽で掠れて聞こえなかったが確かに久美はそういったのだ。そして喉を震わせながら続ける。
「今度ね、私、新潟の人と結婚するの。隼人と喧嘩してたときね、……。高校の時の元彼にあったの、結婚を前提に付き合おうって、私、新潟には行くところないから、その人の家に行ってたの。でもね、違うのよ。私は隼人の所に戻らないと行けなかったのよ……」
 沙希は酔った久美の話しを全部聴く前に言わなければならなかった。
「いい?久美さん、分かるよ。そうよね。でも、それは久美さんが隼人さんに直接言わないといけないことだと思うよ」
 沙希は言うべきことを言い切った。なんの因果か、隼人と久美の仲に巻き込まれたが、ここでは本職としての押さえどころだった。久美は激しく泣きじゃくった。向こうの受話器の前にはもはや、涙と鼻水の区別も付かないくらいくちゃくちゃになった久美の顔があるに違いない。
「言えないよ……。あああー、ばああああ……、あっあっあー…。そ、それに、っ、ぞれにね、さっき携帯に掛けても繋がらないのよ。る、留守電は入れたよ、この話のね留守電は、入れたよ。ばあっあっあー…」
 沙希は自分の左の頬を涙が伝うのに気が付いた。沙希は隼人がリヴァイアサンであり、隼人と久美が苦悩しているのを知っている数少ない一人だった。今まではカウンセラーとして、また、隼人の脅しというか、忠告もあり、本人たちの秘密を守ってきた。しかし、その理性の堰は今、切れてしまった。久美の独白を聴いたことで切れてしまった。誰に秘密をばらす訳ではないが、カウンセラーとしての沙希ではなく、そこに居た一人の人間として体験してしまった。その頬を伝う液体は沙希をカウンセラーとはいえ、やはり激しく沙希の胸を抉るのだった。
「ね、落ち着いて。落ち着いてね久美さん。もう少ししたら、もう一度、掛けて見ましょう。ね。私も掛けてみる。でもね、やっぱり、その話は久美さんからしてね」
「う、うん……。有難う」
 久美はとりあえず、落ち着くだろう。沙希はそう思った。
 その留守電メッセージは隼人の携帯電話の着信履歴にまだ入っていなかった。その間も東京発新潟行き新幹線ときの最終号は隼人を久美の傍まで運ぶのだった。隼人は新幹線で休むこともままならず、大きなスポーツバッグを足元の義足の横に置いたまま宙を見つめていた。

コメント(1)

超短編を名乗るにはちと長いですかね。
これは以前、仲間内でやっている恋愛小説朗読会で発表したものです。
夜9時から朝5時で書き上げました。
僕にとってはかなり頑張ったな状態。

ニセハードボイルドとか、たしかに当たってる批判です。

アイディアは、実話から来てます。
僕ではなくて知り合いの人が、
長年付き合ってたのに、喧嘩して、
そこに元彼が現れて、って話。

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